手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

手相はいいのに

手相はいいのに

 

 占いに凝る人は多いようです。数々ある占いの中で、手相はかなり当たる確率が高いのではないかと思います。少なくとも、姓名判断などよりも真実味はあります。

 姓名判断は、字画数で占いますが、例えば3画の漢字であれば、山も川も一緒です。一緒でいいのでしょうか。文字には意味があるはずです。山田さんも川田さんも同じ運命と言うのはどうでしょうか。余りに大雑把ではないでしょうか。

 しかも、その字画数が新字体旧字体では当然画数が全く違います。虫と言う字は、昔は蟲と書き、虫を三つ書いて虫でした。そうなら、旧字で占うのと、新字体で占うのでは全く運命が変わってしまいます。どちらの漢字を採るべきかが、占い師によって判断がまちまちです。

 更に旧字体と言っても、漢字は時代時代によって全く画数が違います。1945年以前の文字と1000年前の漢字は更に違います。一体どの時代を正解と見るのか、その点が全く曖昧です。余り古い時代の漢字を元に占うのだと、我々は元の文字を見つけることが困難です。

 その上、ひらがな、カタカナ、アルファベットはどうなりますか。それぞれどう考えたらいいのでしょうか。いろいろ考えてみると、どうも姓名判断は当てにはなりません。

 

 干支占いも、星座占いも、どうも怪し気です。午年生まれの人がみんな同じ運命になるのなら、学校の同学年はみな同じ運命になります。星座も、同じ月に生まれた人は同じ運命になるなどありえません。どう考えてもあまりに大雑把でインチキ臭いです。

 

 そこへ行くと手相は、かなり個人差があって、千差万別です。しかも、昔から言われている個性的なサインがかなり本質を語っているように思います。私は若いころから手相に興味を持って調べていました。

 

 掌を広げて、親指と人差し指の間から、親指の周囲を大きく回って腕の付け根近くまで伸びている線が生命線。

 その生命線とほぼスタートを同じくして、途中から緩い弧を描いて外にそれて行くのが頭脳線。小指の下2センチあたりから、ゆっくり人差し指下あたりまであたりまで弓反りに真横に伸びているのが感情線。この三つの線は誰でも持っている線だそうです。

 これらの線が太くくっきり伸びているか、か細く、消えそうであるか、横から余計な線が入って来て、邪魔をしていないかとか。縦横いろいろな線の変化を見つつ運命を予見します。

 例えば、生命線が太く長く伸びているのは、健康な証拠と言うことですが、仮に細く、短い生命線であっても、早死にと言うわけではないようです。生命線の長さと人生の長さは比例しないようです。

 感情線が細く鎖状に連なっていると言うのは、見るからに繊細な印象を受けます。実際繊細な人が多いようです。私などは、感情線が深く、太くて、余りデリケートな性格には見えません。そうした点ではあまり芸術家向きと言うわけではないようです。

 なかなかすべての人にあるわけではない線に、運命線、太陽線、財運線。と言うのがあります。運命線と言うのは手首近くから中指に向けて、まっすぐ伸びている線で、経営者や政治家が良く持っている線だそうです。これは短くても問題はなく、掌の真ん中あたりから中指に向けて1~2㎝伸びていても、運命線として効果があるようです。この線があると、人の上に立って、大きな仕事ができるそうです。

 大体、手相で、縦に伸びる線は幸運を表します。運命線もそうですし、太陽線と言って、掌の中心から薬指に向けて伸びている線を持っている人は、人気稼業に向いていると言われます。更に、手首の少し上から小指に向かって長くのびる線は財運線と呼ばれています。これがしっかり太く長く伸びていると相当な財産を手に入れるそうだと言われています。ただしこの三線は持っていない人があります。

 運命線、太陽線、財運線の三つを備えている人は特に覇王線と言われ、めったにない手相で、大きな成功を手に入れる人の手相だそうです。

 

 まことに僭越ながら、私の掌には、運命線も、太陽線も、財運線もあります。太陽線が少々頼りなくか細いのですが、あることはあります。財運線などはかなり強烈に太くあります。手相のわかる友人などに見てもらうと、「いい手相ですね」。と褒められます。30代のころはそれが嬉しくて、「そうか私は人が滅多に持っていない手相を持っているのだ。きっと大きな仕事をするだろう」。と思っていました。

 然し、人に上に立つなどと言ってもマジックの世界でチームを作るなどと言うのは余りに小さな組織ですし、マジック団体の役員をすることなどと言うのは、吹けば飛ぶような立場です。人気運と言っても、マジック中でのポジションでは大したものではありません。

 肝心の財産運も、高円寺に小さな家は建ちましたが、くっきり太い財産運なら、とてつもない財産を作るかと思えば、17坪の家のことかと思うと、がっかりです。ちょっと目端の利いた人ならこれくらいの成功は掴むでしょう。

 私の手相は本当に私の将来を暗示してくれているのか、と訝しく思います。40代50代なら、「いや、まだまだ若いんだからこれからいいことがあるよ」。と言われて、そうかと思うでしょうが。来年70になるかと思うと、仮にこの先のとてつもない財産が手に入ることなど考えられません。いや、仮に手に入ったとしても、もうそう先がありません。仮に病院で寝たきりになって、財産が手に入ったとしても幸せとは言えません。娘と女房が喜ぶだけです。私が財産運の恩恵にあやかれたわけではありません。

 同じ財産が手に入るなら、30代や40代に入って来たなら、派手に遊んで楽しい人生もあったでしょう。然し、私の30代40代は、手相はいいと褒められていながらも、いつも金が足りなくて、足りなくて、新しい道具を作ると言っては金が足らず、リサイタルを開くと言っては金が足らず、チームのため、弟子のため、借金を繰り返し、土砂降りの人生でした。

 随分必死に働いてきたのですが、いつも金が足らなかったのです。働けど働けどわが暮らし楽にならず、じっと財運線を見る。「いい手相だと言っておきながら、ちっとも手相は当たらないじゃないか」。とぼやいてばかりいました。

 願わくば、70になる少し前、つまり今年から来年にかけて、まだ60代のうちにまとまった財産が手に入らないでしょうか。大財閥にならなくて結構です。大成功を秘めた手相を持ちながら、これまで大きな成功が来なかったのですから、贅沢は言いません。

 この際1億円くらいで手を打ちます。その1億円で、70代は、呑んで、好きなものを食べて、いい服を着て、ちゃらちゃらして生きて行きたいのですが、天は、このささやかな芸人の夢をかなえてはくれませんか。

 大した夢ではありません。たった一人の芸人が、デレデレ生きて行ければそれでいいのです。そんな人生を送らせてくれたなら、「うん、手相は当たる、素晴らしい占いだ」。と世間に宣伝をしたいと思います。

続く