手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

蔦はたくましい

蔦はたくましい

 

 朝目を覚まして、何気にベランダを見ると、蔦の葉が絡まっていて、ベランダの天井にまで届きそうです。まさか、私の寝室は四階です。春に家の裏に蔦が伸びているのに気付き、弟子の朗磨に切ってもらったのが半年前、それが忽ち四階まで進出して来ています。

 早速家の裏に回って見て見ると、家の東面だけは弦(つる)が切ってありましたが、南面はそのままでした。その弦がすくすく伸びて、ついに四階に達したのです。「これはいけない、今日中に切っておこう」。

 

 私は蔦の葉が嫌いなわけではありません。むしろ大好きなのです。20年前に、家の北側から蔦が生えだして、そのまま放っておいたら北面の壁一杯に蔦が茂りました。私の家は黒いレンガタイルで全面を覆っています。インパクトはありますが、柔らかさに欠けます。

 そこに青々とした蔦の葉が茂るととても美しくなりました。特に北面から西に少しはみ出して蔦が侵入してきて、西の玄関の二階にあるブロンズのオブジェに蔦がかかった姿を見た時に思わず、「これこれ、私が住みたかった家はこれなんだ」。と喝采を送ってしまいました。

 全く私の予期せぬところで自然に蔦が伸びて来て、家を彩ってくれる。こんな素晴らしいことがあるだろうか、と大満足をしました。それは訪ねてくる人も同様であったらしく、一様に蔦を褒めてくれました。

 

 ところが、建築家によると、蔦は家の寿命を縮める原因になるからやめた方がいいと言います。理由を尋ねると、

 「蔦はね、壁に張り付いて広がって行きますが、壁一面に広がると、幹はしっかり葉の隅々にまで水分を送らなければならないために、徐々に幹が太くなって行くんです。初めのうちはスパゲッティのパスタのように細い幹だったものが、壁一面に葉が広がると、幹は長ネギのような太さになり、やがて蕎麦打ちの棒のような太さになります。

 そうなると、蔦自身がかなり重くなりますから、壁から剥がれ落ちないように棒状になった幹をしっかり壁に根付かせようとします。そこで、煉瓦と煉瓦の間にしっかり根を張って成長して行くのですが、根が伸び、幹が膨らんで来ると、幹の成長で煉瓦を割ってしまうのです。タイルなんかだともっと簡単で、壁とタイルの隙間に根が入り込んでタイルを剥がしてしまい、ぼろぼろと落として行きます。

 また、壁に割れ目なんかがあると、そこに根が入り込み、割れ目の中で幹が膨らんで、割れ目を大きくしてしまいます。結局そうやって、家を壊してしまうんです。だから蔦は、雨漏りの原因になったり、壁崩壊の原因になったりしますから、蔦を生やすことはやめた方がいいですよ」。

 知りませんでした。知らずに生えるに任せていたら、きれいな外観になって満足していました。言われて早速北面の壁を見てみました。驚くことに幹はもうこん棒のように太くなっていました。

 これはいけない、早速幹を切り落とそうと、太い幹を握りました。すると、幹からかすかな音がします。「えっ、何だろう」。幹に耳を近づけて見ると、コロコロ、ちょろちょろと音がします。まさか蔦から生きている証の音が聞こえて来るとは思ってもいませんでした。どうやら地下水を汲み上げて、葉の末端まで水分を送っているのです。それも北面一面、高さ10mくらいの広さに茂った葉に水を送るわけですから、水の量もぽたぽたと言う水量ではなく、コロコロ、チョロチョロと言う、泉の湧き出るようなはっきりとした音だったのです。

 「えっ、家の北側に自然に生えた、あの目立たない蔦が、知らず知らずのうちにここまで勢いを持って自分の縄張りを広げていたのか」。驚きでした。しかも、幹はしっかり太くなっています。これは放っておけば煉瓦を壊してしまいます。

 「もう蔦を生やすのはやめよう」。そう思ったらすぐに、鋸を使ってまず一番太い幹を握って思い切り引っ張りました。びくともしません。私の全力を使っても幹は壁に張りついて離れないのです。仕方なく細い蔦の幹を切って、引っ張って見ました。これは外れます。然し、太い幹と複雑に絡まって、なかなか簡単には外れません。

 格闘すること二時間。太い幹を残してあらかたの蔦の弦は外しました。それを細かに切って、薪のように縛ると、いくつもの薪が出来ました。そして幹を鋸で切ります。まるで木の枝のように固く育っています。力任せに引っ張って見ますが、全くはずれません。

 翌日も幹を引っ張って見ますが、全くはずれる気配がありません。やむなく梯子を出して、二階の中ほどの高さから幹を切りました。そこから上の弦を引っ張ると何とか外れました。それらを40㎝くらいに細かく切って、たくさんの薪を作りました。蔦を甘く見ていました。蔦はとんでもなく育つのです。

 梯子の上に上って、残りの弦を引っ張ると、今度はどれも取れました。それを小さく切って薪にします。こうしてできた薪は、二宮金次郎さんが背負っている薪の三日分はありました。これらは無論ごみ処理しました。

 一番太い幹も、40㎝ぐらいずつ切って落としてようやく壁から切り離しました。丸二日の作業でした。

 あたりを掃除して、家を見ると、全く新築当時の家に戻りました。然し、何とも寂しく思いました。特にあの太い幹を切り離したときは、まるで血管を遮断するようで気の毒でした。生物を愛する人なら、「なんとかそのまま残してやれ」。と言うでしょう。

 でもそれは出来ませんでした。僅か七、八年であれだけの太さに生るのかと思うとそら恐ろしくなりました。以来私の家と蔦との縁は切れました。

 

 と思っていたら、先日、南側の壁を伝って四階まで蔦が伸びていました。幹を見るとまだ細いのです。蔦には気の毒ですがここは切ってしまいます。今切らないとまた薪の山を作らなければいけません。二宮金次郎さんなら、薪を背負って歩いていたら、親孝行と言って褒められるでしょうが、私が薪を背負っても誰も何とも言わないでしょう。

 それに、最近は、かつてのように簡単に梯子に上ることができません。体のバランスが維持できなくて、高いところに上がるとフラフラします。新聞記事で「蔦の弦を取っているさ中に手品師転落死」などと書かれないとも限りません。記事を見て誰も「気の毒に」。とは思わないでしょう。世間の人は「無理することはないのに」。と言って笑ってお終いです。蔦の命よりも私の命の方が危険です。まだ今なら蔦も細く、私の力で切れます。早速後で作業をして見ます。

続く