手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

なぜ他国を侵略する

なぜ他国を侵略する

 

 今回のように、ロシアがウクライナを侵略して、それを全く罪と感じることなく正当化して語るのはなぜか。と言うと、ヨーロッパの国家は基本的な考え方として、「地政学」を肯定しているからです。いや、さすがに今は表立っては肯定しませんが、根の深いところでは依然として地政学を支持しているのです。

 日本では地政学と言う学問はおよそ不人気ですが、かつては大きな影響を受けました。地政学は1900年ごろ、スゥエーデンの学者が唱え始め、これをイギリスや、フランス、ドイツの学者が支持して、たちまち世界中で研究されるようになりました。

 地政学と言うのは、地理学と政治、或いは文化、経済などを交えて多面から国の政策を語って行くもので、当時植民地主義が華やかなりし頃には、まさに植民地を学問的に肯定する考え方として、大国が飛びついて来たのです。

 仮に、小国、A国があったとして、その国は経済や文化が発達して、人口も多いのですが、国土が狭く、国民を自国で養うには農地が足りません。そんな国が、軍艦を作ったり、軍隊を整備して、人の少ない、発展の遅れた地域(例えば当時のアジア、アフリカ)に領土を持って、その土地を原住民に耕作させ、出来た作物を自国に持ち込めば、国は一層繫栄し、未開な土地の原住民も働き口が見つかって収入を得て、世界全体から見たなら生産が向上して繁栄する。

 地政学と言うのはA国のように、発展した国が、人口が増えるのは自然なことであり、国民を生かしてゆくためには、海外に植民地を求めることが当然な成り行きだ。とする考えで、真に大国の行動を肯定するための学問と言われても仕方のない考えだったのです。然し帝国主義時代はこれが支持されて、イギリス、フランスはしきりに軍艦を作り、アジア、アフリカに植民地を作ります。

 同じ地政学の学者でも、20世紀初頭のドイツの学者は、少し違った考え方をします。それはかつて、モンゴル人や、フン族が中世の時代に、ヨーロッパを騎馬で侵略してきた例を語り、「なぜ、フン族がわざわざヨーロッパまで侵略して来たのかと言うと、そこに豊かな大地があって、ほぼ手付かずの場所があったからだ」。という考え方を言い出すのです。

 この手つかずの大地を「ハートランド」と言い、今は草原でも、土地が良く、麦や大豆を植えれば、いくらでも育つ土地です。ドイツは平地は多いですが、冬場は寒く、冷害が頻繁に起こります。それでもジャガイモのような地下に生る植物はいいのですが、麦や、豆のような地表に茎を伸ばし葉を出す作物は、せっかく育てても寒冷な気候では葉も茎も枯れてしまいます。ヨーロッパの農民は、遥か昔から冷害に悩まされていたのです。

 一年中作物の生りが良く、気候のいい土地、それがハートランドです。ドイツの学者は、そうした土地は、科学技術の発達した、経済力、軍事力のある国が支配して、自国民に作物を分け与えるべき土地なのだ。と言うのです。随分と自分勝手な理論です。

 ところで一年中暖かくて、土が肥えていて、物の生りが良い。そんな土地は本当にあるのでしょうか。あります。それがウクライナなのです。

 ウクライナの地図を見て下さい。黒海の北面に扇状に広がった大きな土地です。ここはロシアやヨーロッパから流れてくる大河が集まる所で、ヨーロッパの肥沃な土が堆積してできた土地です。黒土層と言い、何十メートル掘っても土が黒く、世界でもまれなほど土が肥えていて、麦でも何でも驚くほど育ちが良いのです。国はほとんど平野で、今でも見渡す限り農地になっています。気候は日本よりは少し寒いですが、ロシアから見たなら憧れの温かさです。

 古くはモンゴル人やフン族が狙った土地ですが、その後ロシア人に支配されます。ここでロシア人はウクライナ人に苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を極めた圧政を敷きます。そもそもロシアは広大な領地を有していますが、実は、農地に適した土地と言うのは多くはないのです。北は北極ですし、中央部はシベリアの寒気で作物の生りは悪く、とても農地には適さないのです。何世紀にもわたってロシアが生きて来れたのはウクライナがあったからなのです。

 ウクライナとロシアの二国を比べると、まるで天国と地獄の様な国です。ウクライナは西側に黒土層があって豊かな農地を持ち、東側にはドネツ炭田と言う、これも、何百年掘っても掘りつくせないほどの良質な炭鉱があります。19世紀ごろから、この炭田を目当てに鉄鋼業が発展し、東側は重工業や鉄鋼業が発展しています。

 ウクライナと言う国は、もしロシアの支配下にいなければ、十分一国で生きて行ける国で、世界の中でも最も豊かな国になれる国だったのです。然し、ウクライナの不幸は、北にロシア人がいたことです。ロシア人は強い軍事力でウクライナを支配し、ウクライナの生産したものはことごとくロシアに持って行って、そこで再分配されたのです。

 ところで、そうしたロシアの様子をドイツが黙って見ているわけはありません。ドイツに比べたなら、経済も未熟、文化も劣るロシア人がなぜウクライナを支配する資格があるのか、この事こそ地政学上大きな過ちだ。とドイツ人は考えたのです。つまりロシアがウクライナにして許されるなら、そっくりドイツがしてもいいはずだと、ドイツは考えていたのです。

 この考えは第一次大戦のころからずっとドイツ人が持ち続けていた考えです。彼らがなぜ数千キロも離れたロシアに攻め入って侵略しようと考えたのかと言うなら、ロシアの南部を攻め取れば、自国の生活は安定し、有り余った作物を海外に売れば、大きな戦争をしても十分見合うだけの収入が手に入ると考えたからです。

 ヒトラーがロシアに侵攻したときに、世界中から「ヒトラーは気が違ったのではないか」。と言われましたが、実は、ヒトラーは当時の政治家としては実にまっとうな人で、自国の人口増加を解決するために、地政学に忠実にハートランドを目指した結果なのです。ヒトラーは「スラブ人(ロシア人)よりも有能なアーリア人(ドイツ人)こそ、広い国土を持つにふさわしい」。と宣言しています。

 ちなみに、ドイツの地政学者は、「最終的にハートランドを制するものが世界を制することになる」。と、預言めいたことを言っています。独ソ戦とは、どちらが世界の覇者となるかを見極める戦いだったのです。同様に今回のロシアのウクライナ侵攻は、ロシアが頑なに地政学を信じているから、無理な戦いを繰り返しているのです。

 ナチスドイツは滅びましたが、ロシアがそっくりその影響を受けて、地政学を信じているなら、ロシアがウクライナを手放せない理由がよくわかると思います。

続く