手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大阪行きはトラブル続き

大阪行きはトラブル続き

 

 今日は、大阪マジックセッションの日。前の日(8日)に朗磨と稽古をして、荷造りを済ませ、今朝はそのまま出て行けばよいと考え、深夜12時に就寝。

 新幹線は、6時42分発。それなら自宅を5時40分に出て行けばよく。朝5時に起きようと考えていました。すると、女房が、「もう5時だから起きなきゃダメでしょ」。と言います。随分早いな、と思い、「今何時?」。と尋ねると、女房は1時間勘違いして、4時に私を起こしました。

 「4時は早いよ、もう少し寝るよ」。と再度横になったのはいいのですが、この1時間がなかなか寝付かれません。それでも何としても寝なければいけないのです。今日は、新幹線で大阪に行き、劇場に着くとすぐにリハーサルがあり、そして本番、更にその後打ち上げ。と、夜遅くまで時間に空きがありません。きっと疲労がたまります。そうなら、たとえ1時間でも、休んでおかなければいけません。

 然し、寝付かれません。仕方なく起きて、用事をしていると朗磨から留守電が入っています。「昨晩から体調が悪くて困っていたんですが、朝には回復して来たので、とにかくこれから家を出ます」。少し心配です。

 私は5時30分に家を出ました。「こんな日は何か問題が発生しなければいいが」。と思って、高円寺駅に着きますと、電車が止まっています。ホームから転落した人が出たそうです。ここで20分の足止め。ようやく中央線が来たのが6時10分。ギリギリです。それでもこのまま行けば、何とか新幹線は間に合いそうです。

 とそんな時、又朗磨から電話です。「西武線が遅れていて、東京駅に時間通り行けそうにありません」。「そう、でも時間にはゆとりがあるから、落ち着いて行きなさい」。と指示を出します。然し、よく考えてみると、東京駅で大成と待ち合わせをしています。大成のチケットは朗磨が持っています。このままでは大勢は新幹線に乗れません。

ここで大成に電話をして、「30分遅れの新幹線に乗っても大阪のリハは十分間に合うから、朗磨を待ちなさい」。と指示を出しました。私は、42分発の新幹線に乗るのに、東京駅に36分に到着し。重いスーツケースを引っ張って、速足で新幹線ホームに行きました。途中改札口に大成がいたなら弁当代くらい渡そうと思いましたが、なんせ私自身が新幹線に乗れるかどうか、ギリギリですので、大成を見つけることは出来ませんでした。改札は混雑をしていて、なかなかはかどりませんでしたが、何とか、新幹線ホームに辿りつき、乗ったと同時に発車しました。ギリギリセーフでした。

 さて大成と朗磨が心配です。朗磨と大成が落ちあって、遅れて新幹線に乗ったのなら、7時10分くらいの新幹線に乗れるのではないかと思います。当人達もあせっているでしょう。

7時20分に車内から電話をして見ました。無事乗れたそうです。指定席はなくなりましたので、自由席です。でもうまく座れたようです。今のところは幾つか問題はあっても、何とかクリアしましたので予定通りです。

 私は、新大阪に着いても、大成と朗磨を待たずに、道頓堀に向かいます。劇場には早くから来ている裏方さんや、出演者もいるでしょうから、私がいないと心配するでしょう。このまま予定を続行します。

 

 まぁ、この道を長くやっていると、いろいろなことがあります。自分は現場についていても、道具が到着しなかったこともあります。そんな時は急遽、あり合わせの材料で手順を組み、30分マジックをやったこともあります。現場で帯がなかったこともあります。仕方ないので、風呂敷を細く折って、帯に見せかけて結んだこともあります。

 足袋を忘れた、雪駄を忘れたと言うこともありました。サムタイの紐を忘れたときには、半紙を縒って紙縒り(こより)を作りました。とにかく私が現場まで来ていれば何とかなります。道具がなくても衣装がなくても、普段着ででも舞台に立って、喋りだけでも10分やそこらはやれます。幾らうまく書ないことがあっても、その都度何とか工夫をして間に合わせて来たのです。上手く行かないことはしょっちゅうです。そんな時は天に試されているんだと思うことです。冷静になって考えれば何とかなります。

 さてこれからZAZAに向かいますが、その話は明後日にお話しいたします。

続く