手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

強運な人

強運な人

 

 世の中には、苦しんで、苦しんで次の世界を切り開いた人が報われず、特別飛び抜けた才能もないのに、たまたま何かの幸運を掴んで、人の上にのし上がり、そのままトップに立ってしまう人がいます。

 そうした強運な人の周辺には、才能がありながら不遇のうちに亡くなって行ったり。人に愛されていながら結局世に出られなかったり。勇猛果敢で、戦いの際には率先して敵に突進していった人が、思いの半ばで命を失ってその名前さえ残っていなかったり。などなど、気の毒な人が大勢います。

 運命と言えばそれまでですが、同じ活動をしていても、残る人は残りますし、消える人は消えて行きます。人の成功不成功は才能や能力とは別のところにあるのかも知れません。

 

 北朝鮮の初代の国家主席金日成(日本語読み、きんにちせい=朝鮮語読み、きむいるそん)と言う人は、北朝鮮のトップに立ち、今に至るまで、子供の金正日、孫の金正恩と三代血縁でつながって北朝鮮を支配しています。共産主義国家で血縁が政治を支配すると言うのは不思議なことです。

 北朝鮮政府いわく、「親子だから選ばれたわけではない、優れているから主席になった」。と言っています。そうでしょう。独裁政治の国では、指導家への批判は不可能です。従わなければ粛清されます。最高指導者が自分の子供を後継にしたいと言えば、子も孫も優れた指導者と言う外ないのです。

 

 ところで、初代の金日成と言う人は実は本当の金日成ではなく、別の人であると言うことをご存じでしょうか、これは公然とした事実です。但し北朝鮮ではこのことはタブーです。

 1945年に日本が敗戦し、朝鮮半島を連合軍に渡しました。この時、南朝鮮アメリカが管理し、北はソビエト(現ロシア)が管理して、金日成は、抗日有志と共にソビエト軍とともにやって来て、平壌を占領します。そしてそこで金日成が大群衆を前に演説をします。この時、多くの朝鮮人は唖然とします。

 当時の朝鮮人の多くは金日成の名前はみんな知っていました。然し、戦後、平壌に来て演説している金日成は似ても似つかない男だったのです。本当の金日成は、1920年代から抗日ゲリラを率いて、白頭山(はくとうざん=北朝鮮で最も高い山)に籠って、日本軍や警察と戦いました。日本と戦ったことで多くの朝鮮人に名前が知られていたのです。

 しかし1945年に現れた金日成は別人でした。先ず明らかに若かったのです。1920年代にゲリラ戦を指揮していたなら、1945年には少なくとも40代か50代になっていなければいけません。ところが、人民の前に出てきた金日成は、1912年生まれ。当時、33歳でした。歳が合いません。

 演説中も、観衆の中から、「お前は金日成じゃないだろう」。とヤジが飛んだそうです。そうなのです、実は、金日成は本当の名前は金成柱と言ったのです。金日成とは全く血のつながりはなく、本当の金日成は1937年に亡くなっているのです。

 本物の金日成は常に食料不足に悩み、白頭山の寒さに凍え、仲間のいがみ合いに悩まされ、先の見えない抗日戦いで苦悩のうちに亡くなって行ったのです。みんなが知る英雄ではあっても決して大きな成功を残した人ではなかったのです。

 金成柱も、若いころから抗日戦をしていたようですが、場所は満州で、中国の抗日勢力に参加していたようです。当然朝鮮での目立った活動はなく、1940年ごろにソ連とのコンタクトを持ち、ソ連軍に加わります。この頃、亡くなった金日成の名前に改名しています。その方がソ連軍の間でも通りが良かったのでしょう。

 金成柱は元々背が高く、愛嬌があって目立ったため、ロシア人に受けが良く、ソ連軍部内で徐々に認められて行きます。そして抗日活動家のリーダーとして、1945年にソ連が北部朝鮮を占領する際に、数十人の同志と共に朝鮮に入ります。

  朝鮮が解放されたのは、朝鮮が戦いに勝利した成果ではありません。そもそも日本と朝鮮は戦闘状態にはなかったのです。たまたま日本がアメリカに敗けたことによって朝鮮半島は無主の地となったったのです。そうなら誰が来ても支配者に成れたのです。

 然し、そうは言ってもより、支配する者には根拠が必要です。誰もが納得する人が出ない限り、この先国内の権力争いは繰り返されます。金成柱は金日成を名乗り、堂々の演説をしました。この決断が金日成の人生を決定します。

 

 金成柱は金日成を演じます。押し出しの良さと愛嬌のある顔で人気が上がり、どんどん周囲から押し上げられてゆきます、無論、歳が合わない、顔が違うと非難する人も大勢います。一国の指導者を決めるのに、普通なら、絶対にこんな嘘は通用しないはずです。

 然し、彼の背景にはソ連軍がいますし、ソ連軍も人気のある金成柱を利用します。一度人気を手に入れてしまうと、人気の勢いは止まらず、何でも通ってしまうようになります。やがて、権力を得た金成柱は陰で、金成柱を非難する人を粛正します。ここに一党独裁の政治が完成します。

 

 なぜ私がいきなり金日成の人生を語るのか不思議に思われるでしょう。これはまさにマジックだからです。如何に理屈に合わないことでも、嘘で固めたような話でも、人が信じたいと思えば、それは事実になって行きます。後は如何にそれにふさわしい人がそこに現れて、尤もらしく語って、人民に魔法をかけるかなのです。

 私は、罵声の飛ぶ中で、金日成を演じて、堂々と演説する金成柱は、心の中では生きた心地がしなかったと思います。なぜなら何の根拠もなく赤の他人である自分が英雄に成り済ましたのですから。然し、人生は伸(の)るか反るか、ここで蹴落とされてしまうような人生なら大した人生ではないのです。初めから生まれてこなかったとあきらめた方がいいのです。逆に、大芝居をして一発逆転を演じ切ったなら、孫の代まで将軍様と崇め奉られるのです。

 金日成さんがいい人だったかどうか、政治家として一流かどうか、朝鮮が素晴らしい国かどうか、などと言うことに私は何の興味もありません。ただ、金も、力も、実力もない男が、一世一代の大芝居をして国家元首に納まってしまうと言うのが面白いのです。自分にこんな人生があったなら、一か八かの大演説をやって見たいと思うのです。

 実際にゲリラ戦で苦悩をして戦った本物の金日成が戦後英雄として迎えられることはなかったのです。全く関係のない人が人の成果を浚って、大当たりをして行くのです。理不尽だと思いますか。いえいえ、これはギャンブルなのです。コツコツ投資してきた人が勝利することなく、常に取られ続け、何気に脇で見ていて、機敏に投資した人が堂々のブラフをかまして大成功するのです。金日成のブラフは20世紀の人類が果たした最大のブラフなのです。

続く