手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ナチズム 5

ナチズム 5

 

 ナチスが言う、アーリア人(ドイツ人)の優越は、確かに一理あると思います。ドイツ人の優秀性は、産業においても、文化芸術においても優れた才能の人を輩出しています。私なんぞは、バッハの音楽を聴くたびに、「これだけの作曲家は世界中どこの国からも生まれてこない」。と納得します。音楽の探求心が格違いですし、構成力が神懸っています。バッハ一人が生まれたことだけでもドイツ人の優秀性を感じます。

 然し、だからと言って、アーリア人のすべてが世界一優秀かどうか、肝心なところで根拠が曖昧です。例えば、アーリア人がスラブ人(ロシア人)、アングロサクソン人(イギリス、アメリカ人の一部)と比べて、個人ではなく人種全体が優れている理由は何か、或いは、ユダヤ人が抹殺されなければならないほど劣っている理由は何か。と考えたならナチスの人種差別は明らかに行き過ぎています。

 

 更に、国粋主義者の優越感が、地政学と結びつけば、戦争はいともたやすく肯定されます。優秀なら侵略してもいい、他国を攻め取り自国の領土にしてもいい。スラブ人がハートランドを持つこと自体が間違いだ。あまりに身勝手な思想はナチスソ連侵攻となって、ドイツの帝国主義が行き着く先だったのです。

 

 1940年、第二次世界大戦が勃発し、ベルギーオランダ、フランスが占領されます。イギリスとは膠着状態のまま睨み合います。しかしイギリスは、海上封鎖をして、ドイツへの物資輸送を阻みます。特に穀物の不足はドイツ国民の直接の生活に結び付きますので、ヒトラーは、打開策として、ソ連の侵攻を考えます。

 ソ連は、前年の1939年に独ソ不可侵条約を結んでいて、ポーランドを、ソ連とドイツで山分けした経緯ありますので、ソ連はドイツを盟友のように、信頼しきっていました。それが1941年、突然侵攻を始めました。

 この頃、スターリンは、政治に軍事に失敗続きでした。軍備を拡張したいと言う思いは強かったのですが、肝心な資金がありません。そこで、ウクライナの麦を大量に搾取して、それを欧州に輸出して外貨を稼ぎます。その外貨で戦車や飛行機を作るのです。当のウクライナでは、せっかくの豊作だったにもかかわらず、根こそぎ政府に麦を持っていかれ、大飢饉に陥ります。畑に植わっていた、小麦の穂を一摘まみ取っただけで留置所に入れられるほど厳格なものでした。この年、ウクライナでは400万人の餓死者が出ます。400万人の餓死者です。当然国内でも問題視されます。更にポーランド侵攻を果たした39年に、スターリンフィンランドにまで戦争を仕掛けます。ポーランドは濡れ手で粟の大成功をしますが、欲をかいたフィンランドでは大敗北を喫します。絶対に勝てるはずのフィンランドにぼろ負けです。スターリンは数々の失敗を部下のせいにして、ソ連国内で大粛清が始まります。

 スターリンにすれば、自らの失敗から、いつ革命が起こって殺されるかと、猜疑心と恐怖心が生まれ、周囲の軍人や、政治家に疑心暗鬼になり、少しでも怪しいと思った人をすぐに捕まえて射殺するようになります。結果として、この時期、有能な軍人、政治家、役人が粛清され、ソ連国内は機能がマヒします。そんな時にドイツ軍が優秀な武器を持って大群で攻めてきたのです。

 

 ソ連の侵攻は、バルバロッサ作戦と言います。バルバロッサとは、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリッヒ一世のことで、いわばドイツの守り神と言われている皇帝です。死後も、ドイツが苦境になれば必ず現れて敵と戦う、と言って亡くなったと言います。

 ヒトラーにすれば、スターリンソ連国内でミスを連発して、有能な人材を容赦なく抹殺しているときに、電撃的に侵攻すれば、ソ連は、芝居の書き割りの如く、ひと押しで簡単につぶれて行くだろうと判断していました。

 戦車、輸送車、空軍と最新兵器を使って40万人の大群でロシア領内に突進して行きます。ところが、ドイツ軍の中ではソ連の攻め口をどこに統一するかでもめていたのです。多くのドイツ軍人は、首都であるモスクワを攻めるべきだと主張します。それは至極当然なことです。首都が陥落すればソ連国内は大混乱をきたします。正攻法の判断です。

 然し、戦略家の中には、レニングラード(ペテルブルグ)を攻略すべきだと言う人たちがいます。と言うのも、レニングラードバルト海に面しています。ここを占領すれば大きな船を直接ソ連領につけることが出来ます。そもそも、ドイツから、ソ連まで攻めて行くのに、戦車で進むほど非効率なことはありません。戦車は自重が重すぎて、動きは鈍く、ものすごくガソリンを消費します。しかも、ロシアの平原は、春には雪が解けて泥沼化します。舗装された道路はほとんどありません。兵が進むにも腰まで泥に埋まります。戦車はキャタピラがあるとは言っても、大きな沼地では全く役に立ちません。自らの重さで沈んでしまい身動きが出来ません。そのため、船でレニングラードまで兵と武器を運んで、そこから貨車に乗ってモスクワまで行けば、極めて効率よくソ連を攻めることが出来ます。そのため先ずレニングラードを攻めるべきだと言うわけです。

 ところが、ヒトラーは、ウクライナの攻略に固執します。ウクライナを占領して、穀物をドイツに運び、ドイツ国民に安定した生活を保障する。更にウクライナの東、スターリングラードを攻略し、その先の油田まで手に入れれば、ドイツにとって物資の安定が約束されます。そのためウクライナ攻略を第一に考えます。

 ここでロシアの地図を広げて見て下さい。北のレニングラード(ペテルブルグ)からモスクワ、さらにスターリングラードまで直線でつないだら2900㎞あります。日本の、北海道から沖縄諸島までの距離とほぼ同じです。この距離を平等に割り振って何十万人もの兵を送り込んだのでは、簡単に攻め取れるものではありません。どこか一点に集中すべきです。然し、ドイツは、内部の統一が取れないまま、三方向を攻めることになります。これがそもそもの失敗の原因になります。

 しかも、少し前まで、イタリアのしでかしたギリシャ侵攻にかかわっているうちに、ロシアの平原は雪が解けて、泥沼化しています。それを最新の戦車軍団が進みますが、いかに最新装備でも、戦車は泥に嵌って身動きできません。電撃侵攻と言いながら、少しも素早い行動がとれなかったのです。

 ところが、迎え撃つソ連の方も、スターリンがすっかりドイツを信頼していて、ドイツが攻め込んで来ると言う情報が流れて来ても、そっくり握りつぶしていました。全く無防備な状態でドイツの戦車軍団を受け入れてしまいたちまち大混乱に陥ります。つまり、互いの独裁者は、二人とも戦争に関しては素人でありながら、軍人の提案を受け入れす、この先大きな失敗を繰り返すことになります。

続く