手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

城郭ブームの陰で

城郭ブームの陰で

 

  大阪城名古屋城、熊本城、小田原城、等々の鉄筋コンクリートで作った天守閣は昭和の残滓ではないかと思います。多くの天守閣は昭和の30年代から、都市の復興計画の一つとして日本各地で作られました。当時は、太平洋戦争の空襲の影響で、日本中の町がどこも焼け野原になってしまい。城郭も焼け落ちてしまいました。

 そこで再建する際に、燃えない建築物を建てよう。と言うのが合言葉であるかのように、あちこちで鉄筋コンクリート天守閣が誕生しました。つまりこの頃は、鉄筋コンクリートで建てれば百年も二百年もお城が立ち続けるものと信じていたのです。

 ある意味、町の中心に天守閣が出来ると言うのは、復興のシンボルになり、生活に潤いが生まれただろうとは推測できます。

 鉄筋コンクリート造りの天守閣は、確かにエレベーターが付いていて、トイレも水洗になっていて、刀や鎧が飾ってあって、きれいな建造物になっています。

 然し、それから50年以上が経って、昭和の天守閣を見ると、何か方向を間違えてしまったと思わざるを得ません。建物と言うものが、素材を変えて作ると、こうまで風情がなくなるものか。これが後世に残す文化財かどうか。戦国時代や、江戸時代の文化をどう残し、どう生かすかと言う、後世に伝える伝統文化がどこにも見当たりません。

 コンクリート天守閣の中を歩いていると、病院や、中学校にいるのと同じ気持ちになります。階段の手すりは小学校や中学校の手すりと同じものを使っています。恐らく地元の建設会社が、中学校を建てるのと同じ気持ちでこの仕事を請け負ったのでしょう。

 ディズニーランドのFRPでこしらえたお城ほどには安っぽいものではありませんが、昔の人々の生活感は全く感じられません。城から出ると、子供の参観日の帰りのような気持になります。城を見学した気持ちにはなりません。

 これが日本人が後世に残す文化財かどうかと考えると、このやり方は間違っています。観光地としても偽物です。姫路城が、松江城がなぜ多くの観光客を集めているのか、二つの城は正面に立って眺めているだけでその存在感に圧倒されます。本物が持つ迫力は偉大です。

 それは犬山城のような小振りな城でも同じ印象を受けます。現地に立ってしみじみ眺めると圧倒的な存在感があります。

 

 最近は復元天守閣も生まれています。掛川城などはもう20年以上も前から昔通りの木造工法で、天守閣が再現されて、素晴らしい天守閣が出来ています。天守そのものは小振りですが、この工法こそが文化財の維持そのものなのです。

 もし我々がヨーロッパに出かけたときに、ノートルダム寺院が、実は鉄筋コンクリートでできていたら、ローマのコロッセウムがFRPで出来ていたら、どれほどがっかりすることか、そんな建物ならヨーロッパにまで出かける意味はないのです。

 昔の建物を再現するなら、昔の工法で再現しなければ意味がありません。実際、ドイツでもポーランドでも、第二次世界大戦で壊れた建物を、昔の通りに復元しています。今我々が見るドイツの町は、昔作ったままのものではなく、忠実に復元されたものです。元のままに維持することが町の歴史を守ることなのです。多少の耐震補強などは施されているかも知れませんが、作り変えは無意味です。それは偽物です。

 このところ、日本でもようやく木造建築が見直されて来ました。それと言うのも、百年も二百年も持つと思われていたコンクリート天守閣が、ぼろぼろとひび割れて来て、中の鉄筋が露出し、錆びて来たのです。雨漏りがひどくなり、コンクリートの塊が落下するなど、危険な状態になって来ています。このままではいずれは倒壊します。

 何のことはない、木造建築なら千年でも持つのに、鉄筋コンクリートは半世紀で壊れて来たのです。そうなら始めから昔の工法で作ったら良かったと言うことになります。

 実際、名古屋城も熊本城も、本来の木造の工法に戻そうと言う運動が起こっています。いや何をいまさら、伝統保存とはそう言うものでしょう。昔の工法で建造物を作らなければ、専門の職人を維持することも不可能になります。過去の日本人の工夫を理解しないで、表面だけ似せて、伝統保存だと言っても文化は残らないのです。

 天守閣もそうですが、御殿を再現しようとする流れが出て来ました。名古屋城、熊本城がそれです。両方の御殿はとても贅沢な造りで再現されています。いい流れになったと思います。

 多くの日本の城を見て残念に思うことは、どれも城跡であって、ほとんど建物が残っていないことです。いくら礎石を眺めていても何もイメージは出来ません。やはり立体的に昔の儘の建物を作らないと価値を感じません。

 中には彦根城のように、鉄筋コンクリートで御殿を再現しているものもあります。外観は昔の形を残していますが、中はコンクリートで、リノリウムが敷いてあり、御殿と言うよりも高級旅館の作りです。基本構造は鉄筋コンクリート天守閣と大差のないものでしょう。でもこれでは伝統は残りません。昭和の忘れ物のように感じます。

 どこの市町村でも、日本文化を守りたい、伝統を残したいと仰いますが、実際、城跡を何十年もほったらかしにしていては何の文化も感じられません。と言って鉄筋の天守閣を作ったら駄目です。今昭和の城はどれも壊れて来ています。城は昔の工法を生かして、様々な建物を復元して、それを全体的に眺めたときに城になります。

 姫路城や、松山城が城として構えが立派なのは、天守だけでなく一連の建造物がまとまって残っているからです。それを思えば大阪城は寂しいです。如何に天守閣が立派でも、鉄筋コンクリートですし、周囲の建造物が少なすぎて、少しも城としての威容が感じられません。天守や御殿など、本丸全体を再現仕直したら、とんでもない数の観光客が押し掛けるでしょう、これだけの敷地を空き地にしていては文化も何もあったものではないと思います。せっかく世界から日本に観光に来る人が増えたのに、もっともっと日本はよき伝統を再現して、美しい街を作って行ったらよいのにと思います。ああ残念。

続く