手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

おやっ これが名所?

おやっ これが名所?

 

 今まで日本中の都市でショウをしてきて、時間があるとくまなく街を歩いて名所を探して見て来ました。感動する景色や、素晴らしい建築物等数多くありましたが、中には、「おやっ、これが名所?」。と疑ってしまうような珍名所もありました。

 如何にパッとしない名所であっても、後で人に話して笑ってもらえるようなところなら、それなりによしとしますが、どうにも困ってしまうような場所もあります。そうした中で拍子抜けするような名所を10か所お伝へします。

 

1、思案橋(しあんばし 長崎市

 子供のころ、思案橋ブルースと言う歌謡曲がヒットしたのを記憶しています。どんなところかと期待して行ってみると、小さなどぶ川に全く目立たないような橋がかかっています。上はアスファルトが敷いてあって、全く道の延長です。小さな石柱に思案橋と書かれている以外は、誰もこれを橋だとは気づかないうちに通り過ぎてしまうでしょう。「行こか戻ろか思案橋」などと言うセリフを聞いたことがあります。道楽者の旦那が、この橋を通って花街に行く時に、ふと自分の行いを省みて、思案するから思案橋だそうですが、実際には思案するまもなく一瞬で通り過ぎてしまいます。もうちょっと何とかなりませんか。

 

 2、はりまや橋(高知)

 二つ目も橋です。「土佐の高知のはりまや橋で、坊さん簪(かんざし)買うを見た、よさこい よさこい」。歌詞は幕末の高杉晋作の作です。高知の中心街を流れる川に掛かっています。思案橋ほど小さくはないのですが、大通りに掛かるコンクリートの橋の脇に赤い橋がかかっていて、何とも不愛想です。もう少し可憐に観光客を迎えられないものかと思います。坂本龍馬が毎日のように渡った橋かと思って、思いを馳せますが、周囲の景色が余りに愛想なしです。

 

3、夫婦岩(めおといわ 三重)

 伊勢参りの街道途中にあって、伊勢湾に大小二つの岩が突き出ています。岩の間に注連縄(しめなわ)が渡してあって、夫婦岩と称しますが、岩が余りにも普通のサイズで、「これくらいの岩なら日本中に何万もあるんじゃないか」。と思ってしまいます。江戸時代からの名所だそうですが、「わざわざ見に行くほどか」、と拍子抜けします。

 

4,浮島(和歌山県新宮市

 多分高校生の時に見に行ったのだと記憶していますが、小さな池の真ん中に島があって、その島が池の上に浮いているんだそうです。島全体が何十層にも草が積み重なって出来ていて、草が塊で浮いているのだとか、確かに歩くとふかふかします。然し、本当に浮いているかどうかはわかりません。池も島も小さく、ただふかふか歩くだけの事に入場料を払いました。一時間いても、観光客は私だけ。別にしどころもなく、どういうふうに自分自身を納得させたらいいものやら、寂寥感漂う名所でした。

 

5,吉原大門(よしわらおおもん 東京)

 観光名所ではありませんが、有名です。ご存じ江戸の華。吉原大門です。さぞや豪華絢爛な江戸情緒豊かな建物が並んでいるのかと思うと、拍子抜けするほど何もありません。そもそも大門がないのです。売春禁止法で、多くの店は閉めたのですが、それでも何軒かソープランドとして営業しています。

 角海老と言う、江戸時代からの店の名前は残っていますが、どれもコンクリート造りです。はとバスの花魁観光があると聞いたことがありましたので、それらしい建物が一軒くらいはあるかと期待していたのに、寂れた商店街を見るよう。もうちょっとどうにかなりませんか。

 

6、北の庄城(きたのしょうじょう 福井)

 福井市には、この北の庄城と、福井城の二つの城が市内中心部に残っています。北の庄城は、柴田勝家が建てた城で、お市の方と暮らしていたところですが、豊臣秀吉に攻められてあえなく落城。相当に大きな城だったようですが、今はほとんど何も残っていません。近所の子供の遊び場のような公園になっています。もう少し観光客が喜ぶような何かを作ったらどうでしょう。残念です。

 一方、福井城は、石垣や堀が残っていますが、真ん中に県庁と市役所がでんと治まっていて、観光客を拒否しています。天守閣や御殿など作るゆとりがありません。

 お隣の金沢城は金沢大学が早々に移転して、空いた部分に様々な建物を作っています。数年のうちには御殿も出来るそうです。それに比べて福井は、来年新幹線が開通すると言うのに、市内に目玉となる観光名所がないのは大きなマイナスでしょう。早く市役所も県庁も移転して観光地としての大変身をしては如何でしょう。福井城も、北の庄城もこのままでは観光客を失望させるだけです。

 

7、坊の津(鹿児島県)

 太古の日本の三津(さんしん=古い三つの港町)と呼ばれていた港です。10代の頃から憧れていて、20代の末に訪れました。町は小さく、入り江も小さなものです。観光名所は、薩摩藩が沖縄を通して中国と密貿易をしていたところで、小さな密貿易の隠れ家が残っていて、密貿易の品々を隠しておくスペースがありました。ですが小さな家で、どうと言うものではありません。さほどの観光名所でもありませんので、とやかく言うのも野暮ですが、余りに大したことがないので拍子抜けしました。

 

 8、平等院(京都)

 10円玉の裏模様になっているので有名なお寺です。但し、期待して行くと、意外に小さいのでがっかりします。もっと華麗に大きな建造物を考えていたので、現物の鳳凰堂がミニチュアに見えます。両翼の渡り廊下などは実際は人が歩けないくらい小さいのでびっくりです。造りは美しく庭も立派なのですが、サイズが残念。

 

9、毛越寺(もうつじ 岩手県

 陸奥の藤原三代が治めた平泉のお寺です。庭も広く、本堂も大きいのですが、全体ががらんとして見る所がありません。藤原時代には池の奥に平等院を似せて作った寝殿があったそうです。再建してください。何百年も放っておいては文化都市とは呼べません。観光客もがっかりです。

 

10、忍野八海(おしのはっかい 山梨県

 富士を山梨側から見られる鄙びた里です。典型的な風呂屋の絵看板のような風景です。幾つかの池から湧き出る水が美しく、富士山があるお陰でインスタ映えして観光客が来ます。富士山がなければただの田舎です。あるとないとは大違いです。穴ぼこのような小さな湧水池を八海と名付けたところが大ブラフです。でもこれはご愛嬌で許されます。あまり期待しないで行く分にはいい場所です。

続く