手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

古民家に住む

古民家に住む

 

 以前に書きましたが、私がある年齢になったなら(例えば70歳)。瀬戸内の下津井(しもつい)と言う町の古民家に住みたい。と書いたことがありました。そこは岡山県の南端、本四架橋の橋げたの下にある港町で、表通りは、狭い街道で、蔵造りや、格子造りの古民家が延々連なっています。江戸時代は、風待ち嵐除けの天然の港町として大いに栄えた町です。

 その町にある古民家はどれも間口はせいぜい三間(5,4m)くらいで、入ると土間の店があり、片面が奧まで続く三和土(たたき)になっていて、店の奥が畳敷きの部屋が二つ、その次に中庭になっていて、炊事場風呂場があって、奥に更に畳敷きの部屋が二つ三つと続きます。

 つまり奥行きは20~30mほどもある鰻の寝床のような家で、お終いの部屋の障子を開けるとそこは瀬戸内海が広がっています。そんな家を購入して、西の拠点にして、そこに手妻の道具と乗用車を置き、西の仕事に行くときは、そこから出かけるようにしたい。

 東京と関西と、幾つかの拠点を持って、舞台の仕事ができたらいいなぁ。と30代くらいから考えていました。そのため、古民家があれば、出かけて行き、売り物件や、貸物件を見つけては、中を見てまわりました。

 ところが、そうした物件を見て行くうち、建物を維持すると言うことがどれほど費用の掛かることか、修繕費の大きさに驚いてしまいます。

 実際、古民家を誰も住まずに壊してしまうのは、維持費に異常に費用が掛かるからです。三和土の土間のでこぼこを直すのでも、今、三和土を作れる職人が殆どいません。ましてや、竹で編んだ網に泥を塗って作る土壁の左官職など、よほどの田舎に行ってもいません。古民家を昔通りに直すと言っても現在では不可能に近い仕事なのです。

 それを、昔通りにそのままの姿で維持しろと言われても、年寄りでは、どうしようもなく、維持しきれないのです。

 

 若いyoutube等を見ていると、古民家を安く買い取り、費用の掛かる分を自分たちで修理して、住みやすい家に直しています。

 然し、そのリフォームを見ていると、実に簡単に、土壁にベニヤ板を張り、塗料を塗って表だけ綺麗にして済ませてしまいます。三和土はセメントを張ってコンクリートに変え、外装の漆喰塗は、ベニヤに白いペンキを塗ってとりあえず白壁に見せかけています。畳敷きの部屋をやめて、フローリングにします。結果として改修した家は、外観は古民家でも中身は木造アパートと同じです。

 元々凝って作ってあった、障子や襖は取り払われ、芸術的に彫り込まれている欄間は捨てられてしまいます。黒檀や黒柿をあしらった床の間は見るも無残に廃材にされます。あぁ、あの黒柿の床の間の板一枚が幾らするものかをご存知ないのです。

 もう二度と手に入れることのできない貴重品なのに。あっさり捨てられてベニヤを張ってクローゼットになってしまいます。こんな改装をするくらいなら、初めから昭和に建てたご近所の住宅を借りて住めばいいのに。と思います。

 古民家に住むと言うことは、その昔の生活を継承することです。表の店舗スペースでカフェや、衣料店をするために内装を変えることは、時代に合わせることとして了解しても、奥の生活するスペースはなるべく変えないで、昔の儘に使う。それが古民家の生活です。

 私などは、弟子とともに、鳴り物や、日本舞踊の稽古をしますので、どうしても和室が必要です。しかし現実には私の家には和室がありません。リノリウムを敷いた稽古場でやむなく、毛氈を敷いて稽古をしています。あと5坪もあれば、和室や、板の間が作れるのに、と思いながら、高円寺で暮らしています。そんな者からすると、下津井の延々和室が続く、鰻の寝床は垂涎の的です。

 

 どうして古民家が残らないのかと言えば、多くの人は残したいと言いながら、それは言葉だけで、支援も、費用負担も住民任せ、全く他人事だからです。建物が古いから、貴重だから残そうと言っても、それを住む人に強要するだけでは、みんな住むことを諦めてしまいます。なぜなら維持に金がかかるからです。

 古民家を残そうとするなら、発想を変えなければいけません。今住んでいる年寄りに、何でもかでも、費用負担を要求することは間違いです。と言って、市や県がそうした古民家に厚い予算を付けるとも思えません。

 大切なことは、古民家に住むことが儲かればいいのです。思い出してください。川越の商店主は、自分の店が蔵造りであったことを古臭いと言って、かつては恥じていたのです。然し人が大勢来るようになると、外見を覆っていたブリキ板を外して、元の蔵造りに直しています。そして漆喰の剥げたものなど、少しずつ修繕をするようになりました。そこに人が集まり、商売が成り立ち、評価されるようになれば、人は自ずと建物を維持しようとします。

 古民家は自分が住まなくてもいいのです、そうした古民家を生かして商売したいと言う人に貸せばよいのです。貸して家賃収入が入るようになれば、年寄りは家を維持することに価値を得ます。昔通りに維持しなければいけない等と、役所が勝手に押し付けて、それでいて金を出さなければ、人は逃げて行きくだけです。

 先ず、町の維持を考えるプランナーを儲けて、チームを作って彼らに町ごと収入になるようなプランを考えてもらえばよいのです。町全体を産業の一つと考えるのです。古民家は金の生る木なのです。実際、古い町に住みたいと言う人は大勢います。

 古い街を維持するために必要な職人などは、古民家に住むことはまさに職住接近で、常に仕事に溢れていることになります。大工、左官指物師、畳職人、銅壺屋(銅葺き職人)、漆塗り職人、蒔絵師、傘職人、と言った昔ながらの職人が住めば町は活気を取り戻します。無論周囲の人たちが職人を支えなければいけません。

 何のことはないのです、昔の町に昔ながらの職人が住めば、町は維持できます。「それで職人が生きて行けますか」。「はい、生きて行けます」。なぜならそうした職人は日本中どんどん減っていろからです。他の都市が、いざ修復のために職人を求めても、年々職人数は減る一方です。この町で職人を育てて、人が定着したなら、あちこちから職人に依頼が来るようになるでしょう。

 町は建物を維持することだけを考えても維持は出来ません。古民家に住む価値を見出した人が、住むことで利益になるようにしなければ人は集まりません。残そうとするのではありません。生かすことを考えるのです。日本の観光地を見ると、古い建物はあっても、そこでクレープを販売したり、ソフトクリームを売る店ばかりが目立ちます。一度ヨーロッパの街並みを見て下さい。そんな軽薄な観光地はありません。

 古い街には昔ながらの職人が住んでいます。レンガ造りの三角屋根の家の下で、皮職人が靴を編んでいたりします。まるで絵本のピノキオの世界が今も続いているのです。それが歴史であり伝統なのです。

 あぁ、私も早く舞台数を減らして、下津井で暮らしたい。鼓を打ったり、長唄を唄ったり時折パーティーに招かれ、手妻をして暮らしたい。夕方には生たことカワハギの刺身、オコゼの天ぷらで一杯やりたい。来年引っ越そうかなぁ。

続く