手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

古民家リノベーション 3

  古民家リノベーション  3 

 

  古民家を考える上で、畳座敷と言うのは最も重要な部屋になります。私の借りていた古民家は、群馬では五っ十(ごっと)の家と言い、代表的な農家の作りをしていました。五っ十とは、横幅十間(18m)、奥行き五間(9m)の家で、かなり大きな作りです。玄関は家の真ん中にあり、家は南に広く開け放たれて作られています。

 玄関を上がると、南向きに八畳の座敷があり、その奥に、六畳の座敷があります。さらに西側、左手にも同様な八畳の座敷があり、その奥に六畳の座敷があります。二つの八畳は、南の廊下でつながっています。これが代表的な田の字作りの座敷です。

 ちなみに、真ん中の八畳の右隣は、板の間になっていて、囲炉裏があり、奥には台所があります。囲炉裏のある板の間の右側は、土間です。南側からは土足で入れて、板の間、台所を抜けて、裏口につながっています。

 その土間の右側、東の端は物置の部屋があったり、かつて牛を飼っていた部屋があります。総体に、東側は家族の生活の場であり、西の端の八畳間は客間になります。田の字つくりは、現代の、リノベーションする人たちには敬遠されがちで、どんどんフローリングされ、リビングに作り変えられています。

 日本家屋の問題点を挙げるなら、襖一枚で仕切られていて、プライバシーが守られないことです。鍵のかかる部屋がないのです。それゆえに、一部を壁で仕切った部屋に作り替えるのは致し方ないと思います。但しこれは現代人が考える問題点で、昔の人は少しも問題とは考えなかったのです。

 正月や、お盆の時期に親せきが大勢集まるときなどは、田の字の襖をすべて取り払い、大きな座敷にして使っていたわけです。また、夏の暑い時期は、同様に襖を取り払って、代わりに御簾(みす)を吊ったり、簾戸(すど)または御簾戸(みすど)と言う、細竹を横に並べた造りの、向う側が透けて見える戸を部屋の仕切りに使っていました。

 御簾も御簾戸もかなり贅沢なものですが、続きの和室のある家なら、是非夏場は御簾戸を取り付けてほしいと思います。御簾や、御簾戸を付けると、日本の座敷のすばらしさが良くわかります。無論すべて透けて見えてしまうのですから、プライバシーなどありませんが、家全体が夏場の装いになることの美しさを堪能できます。四室の和室がすべて御簾戸になると、日本の家屋と言うのは、南方のアジアの家と同じだと言うことがよくわかります。

 

 さて、一番西にある八畳間には床の間や違い棚がこしらえてあります。高級な家によっては南向きに書院(作り付けの机)が作られている場合もあります。この家の中で最も費用のかかっている部屋です。床の間や床柱は、明らかに他の木とは違う高級な木を使用しています。多くは、黒柿や、桑の木と言った、一本の柱だけで数十万円もするような高価な木を使います。

 床の間には花瓶を飾ったり、掛け軸を掛けたりします。ほとんど唯一と言っていいほどに日常から離れて、文化を感じさせるスペースです。

 我々は普段床の間を見て、どこにでもある、ごく普通の暮らしだと思いがちですが、ごく一般的な農家ですら、床の間があって、花瓶や掛け軸がかかっていると言うのは相当に高度な文化を有した国民なのです。

 実は、世界を見渡しても、多くの国では庶民は生活に追われて、搾取されるばかりで、花瓶や書を愛でる文化など育たなかったのです。それが出来た人は支配者階級であって、村や町で唯一、ほんの一握りの人たちだったのです。

 床の間や違い棚に、生活に関係のない宝物を飾っておける生活と言うのは、日本以外の庶民には手の届かない生活だったのです。

 ぜひ、古民家に住んだなら、床の間や違い棚を生かした暮らしをしてみて下さい。ただ、残念ながら、リノベーションのビデオを見ていると、床の間はどんどん壊されて、クローゼットに作り替えられたりしています。「あぁ、なんと勿体ない」。文化の象徴が壊されて行きます。床柱は破材として捨てられて行きます。「その木は黒柿だよ」。と叫びたくなります。

 壊す前に、どういう理由で床の間や違い棚が作られているか、もう一度考えて見てほしいと思います。

 

 西奥の八畳間は客間だと言いました。通常主(あるじ)は、床の間を背にして座ります。お客様はその向かいに座ります。八畳間の西奥に主が座り、お客様は部屋の中央から50㎝くらい東に座ることになります。この位置が重要です。

 実は、ここにお客様が座ると言うことを想定して、部屋の床の間も、違い棚も、庭の造作も、すべてお客様のために作られているのです。この位置を「お正客(おしょうきゃく)の位置」、と言います。一番大切なお客様の座る位置です。

 試しに、そこに座ってみてください。正座をして、部屋を眺めてみると、床の間に飾った掛け軸も、花瓶も、違い棚も、書院も、なぜこの高さに棚があるのかがよくわかります。すべてお客様の目の高さに合わせてあるのです。

 まずお客様は、床の間に目が行きます。掛け軸を見て主の趣味を知ります。その下にある花瓶には季節の花が活けられています。右には違い棚があり。棚の下の段には香炉などの小物があり、上の段には玉手箱のような宝物があります。順にお客様の目の位置を計算して物が並んでいます。

 左を見ると、漆で塗られた机があり、小窓があって、凝った造りの障子が入っています。書院です。ここまで作られているなら完璧な客間です。

 庭を見ると、遠くに山や松並木が見えたりします。実は家を建てるときに、お正客の座る位置を想定して、家の配置や客間の位置を決めます。客間から外の景色がどう見えるかがとても大切だったのです。山も松並木も、景色を壊さないように、障子のガラスの部分から景色がすっぽり収まるように、お正客の目の位置を計算してガラスを嵌めます。外の景色を絵画の構図と考えるわけです。また、障子を開け放ったときに、その風景がそっくり広がって見えるような配慮をします。

 手前の庭には池などあって、その奥に石灯篭を置きますが、灯篭はお正客の正面に来るように設置します。石灯篭の明かりを灯す穴は当然お正客の目の高さです。昔なら実際、灯篭に蝋燭を立てて、外から障子紙を張って、庭の明かりに使ったのです。お客様の来る時間を見計らって、蝋燭一本お客様のために灯したわけです。江戸時代、蝋燭はとても高価だったので、蝋燭一本の明かりは、最大のもてなしだったのです。

 すべては人の目からどう見えるかを計算して家を建てたわけです。それを勝手に畳を剥がして、フローリングにして、床の間を壊して、応接セットを置いてしまっては、すべての計算が狂ってしまいます。

 何のために古民家に住むのか、それは日本文化の奥を知るためではないのですか。壊す前に日本人の心の優しさを知った上で、古民家に暮らしてほしいと思います。

続く