手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

川越の蔵造り

川越の蔵造り

 

 川越市の旧市街は江戸時代に建てた豪壮な蔵造りの商家が並んでいて、それが名物となって、東京からたくさんの観光客が訪れています。然し、私が中学生のころに訪れた川越はそんな町ではありませんでした。

 もちろん、古い蔵造りの店もいくつかありましたが、ほとんどの店は、蔵造りを隠して、大きなブリキの看板を立てたり、屋根を覆ったり、サイデリヤなどの建築資材を使って、家ごとそっくり覆ってしまって、ブリキの箱のような建物を装って、商店として使っていたのです。

 その結果、商店街はまとまりがなく、どこにでもあるようなチープな地方都市の商店街として、別段誰も注目していなかったのです。当時の川越市内で数少ない観光地は、喜多院の大広間であったり、時の鐘を打つ櫓でした。しかしそれだけでは大した観光地にはならず、川越は観光地とは言えないような地味な町だったのです。

 この町に住む人たちに、蔵造りのすばらしさを伝えたのが誰かは知りませんが、蔵造りと言うものが決して貧しくみすぼらしい建物ではなく、今となっては貴重な建築物であることを誰かが教えたのでしょう。そして川越の財産として、みんなで町を守って行こう。という風潮に変化して行きました。

 多くの商店は、恐る恐る外装のブリキや、新建材を取り外しました。すると全く江戸時代そのものの店が出現し、しかも、町の景観が統一されて素晴らしい景色が生まれました。今では旧市街を歩いて回る観光客が連日訪れて賑わっています。

 私が中学生で訪れた50年前と、近年に訪れたときの川越とでは様変わりでした。町ごと歴史的文化財となって貴重な風景が出来上がっていたのです。この景色を喜ぶのは年寄りばかりではなく、若い人たちも大勢集まって来て、みんなで写真を撮って楽しんでいます。

 「なぜこの風景を、かつての川越の人は恥ずかしがっていたのだろう。こんな素晴らしい財産がありながら、なぜブリキ板で自分の家を隠していたのだろう」。その答えは、地域がすべきことを個人任せにしていたから、町が汚れて行ったのだと思います。

 古い街並みを維持すると言うことは、とても費用の掛かることなのです。実際古い家に住んでみればわかりますが、放っておけば、柱は土台からシロアリに侵され、どんどん破壊されて行きます。庇や、板の間は雨に当たると腐って行きます。壁は外観の漆喰が落ちてまだら模様になり、壁土は、土が古くなると固まって、柱と壁の間に隙間ができて、そこから風が吹き抜けます。

 そこに暮らすことは簡単ではなく、少し修理するにも多大な費用が掛かります。そんな家は嫌だと言って、若い者は出て行きます。残された年寄りは、なすすべもなく諦めて、不便な生活に耐えて仕方なく暮らして行くことになります。

 町が一旦年寄りばかりになると、家の修理に費用がかけられなくなり、家は腐り、白アリはどんどん増え、家そのものがみすぼらしいものになって行きます。そうなると、誰も古い建築物を愛さなくなり、やがて年寄りが亡くなった後は取り壊しになります。そして町は歯が欠けたように家が減って行きます。

 多くの日本の町が辿る運命です。でも例えば、ドイツは、イギリスは、フランスは、そんな風に古い町並みが消えて行くでしょうか。長く自分たちが住んできた家を簡単に壊すでしょうか。彼らは何百年も前の家を大切に利用して、きれいに住んでいるではありませんか。

 「藤山さん、そうは言うけど、ヨーロッパと日本では家の作りが違うよ。ヨーロッパは石造りの家で、基本的に壊れにくいし、頑丈にできている。方や日本は湿度が高くて、腐りやすいし木造だからそもそも長持ちしない。これを残すのは無理だ」。

 そうでしょうか。多くの人は、ヨーロッパ人の涙ぐましい努力を知らないのです。先ず石造りだから頑丈だと言うのは大間違いです。石も壊れます。石はいったん崩れると莫大な補修費用がかかります。しかも町が伝統保存に力を入れていますので、外装のレリーフなどが壊れたとなると、とりあえずブリキ板を張ってごまかすことなんてできないのです。専門の石工が来て、かつての儘に修復します。これが費用が掛かり簡単ではありません。

 建物が古いため、ネズミが住みつき、石壁の奥に巣を作っていたりします。これが簡単に駆除できません。上水も下水も昔はなかったものですから、壁に穴をあけて、外観からわからないように、上下水を取り付けますが、これも莫大な費用がかかります。無論そこに住む人が全部負担するわけではありませんが、都市と住人が折半するなどして維持しています。

 彼らは、5階建てのアパートに、エレベーターもないまま暮らしていたり、トイレは3階と2階にしかないなどと言うアパートに辛抱して暮らしています。日本では考えられないような生活をしています。それでも、この建物を壊して新しいアパートを建てようなどとは考えません。200年300年続いてきたアパートを誇りにして暮らしているのです。

 実際ヨーロッパでは、新築のアパートよりも200年前のアパートの方が住みたい人が多いのです。それは、外観もさることながら、内装も、200年前のレンガ造りの部屋の中にいると、重厚な雰囲気が漂い、得も言われぬ生活空間を感じます。ヨーロッパ人はそれを愛しています。

 日本人も、同様に、古いことの価値観を理解すれば、きっと今ある古風な建物に価値を見出す日が来るでしょう。そうなると急に価値が認められ、古民家は奪い合うようにして住みたい人が増えるはずです。然しその日まで、日本の古民家が持つかどうか。又、町全体の景色が維持されているかどうか。ここらで日本人の価値観が大きく変化しない限り、古い建物は次々に壊されて行きます。

 価値ある建物をどう生かして行くか、これは、私がしている手妻を如何に生かすか、如何に残すか、と言うことと同じことで、流行に流されず、そしてその中から他で味わえない価値を見出すことが伝統の価値なのです。

 一昨日、三国の旧街道を少し歩きながら、「あぁ、ここも放っておけば町は壊されて行くなぁ」。と思いました。「三国がこのまま美しく残されるか。はたまた歯ががすいたように取り壊されて消えて行くかは、今が瀬戸際に来ているなぁ」。と感じました。町と人が一体になって伝統が残れば、後世に残すべき素晴らしい財産となりますが、さて、難しいところへ来ていると思います。

続く