手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

町の風格 4

町の風格 4

 

 ブルージュと言う古い町の、250年も前に建てた家を借り、しかもその家の二階に住み、床がきしむ音を立てながらも、それを気にもせず、そこに住むことに満足し、高価な家賃を払う。私はそうした生き方に憧れを抱きます。

 つい最近、私の家は、トイレから台所、洗面所に風呂場まで改築をして、見違えるように奇麗になりました。が然し、毎日そこに住んでいて複雑な思いがします。奇麗と言っても壁紙で、壁、天井、床のビニール床を張り替えたことで、奇麗になったのです。でも、どれもビニールを張っただけです。そこには一つとして本物がありません。

 奇麗なことは奇麗ですが、30年間住んだ歴史はあっさり捨てられました。ヨーロッパで見たような歴史の重みや家の味わいは日本にはないのです。常に新しく見せかけた造りの中で暮らしているのです。

 古いものは捨てて、新しいものと取り換えてしまう考え方はアメリカ人の影響なのでしょう。然し、アメリカ人と日本人を除けば、他の海外の国民は、ずっと昔から物を大切にして、不便を不便と考えずに暮らしています。

 日本も私の子供のころまではそうして生活していたのです。50数年前のオリンピック以降、急激に消費が日常化し、物がどんどん捨てられるようになりました。「まだ使えるものをなぜ捨てるのだろう」。私はいつもごみ置き場に捨てられている小箪笥や、ちゃぶ台などを見ながら勿体ないと思っていました。

(実際随分いろいろなものを拾ってきて、今も使っています)。

 ところが、最近、トイレや風呂場を取り替えたときに、私も表に古いトイレ風呂場を出しました。それをしみじみ眺め、「このトイレも風呂場もまったく壊れていないのになぜ捨てるのだろう。上手く使えばあと百年でも使えるのに」。と思い、

 「あぁ、自分も消費文化の中に嵌ってしまったのだなぁ」。と思いました。

 

 再度ベルギーの友人の話をします。彼のアパートは重厚な木製のドアがついています。重くて開けにくく、真鍮のノブは、メッキが剥げて、真鍮の地肌が出て、それが黒くさびています。ドアを閉めると、ズドンと重たい響きがします。恐らく百年は使用しているでしょう。

 ベルギーは小国で、軍備を持ってはいますが、とてもドイツフランスに対抗できるほどには強くありません。欧州が戦争をするたびに、フランスであれ、ドイツであれ、たちまちベルギーに乗り込んできて戦場になりました。

 つまり、第二次大戦でドイツ軍に侵略された時も、第一次大戦でドイツ軍が攻めてきたときも、このドアが住人を守ったのでしょう。その都度ドイツ軍がドアを開けようとして、外で銃を構えて住人を脅したことでしょう。住人が身を守る手段はただ一つ、分厚いドアに鍵をかけることだけだったのです。

 木製のドア一枚が住人の生命を守っていたのです。そんな歴史のあるドアを、時代にそぐわないとか、デザインが古いと言って、新しいドアに取り換えるでしょうか。ヨーロッパ人はそれをしないのです。逆に日本は使える物でも捨ててしまいます。古い物の価値は捨て去ることで忘れ去られてしまいます。それは自身が歴史の中に生きていることを否定しているのです。

 

 初めに家の日陰斜線や道路斜線の話をしました。この法律を撤廃すれば今住んでいる家並びにビルはたちまち20%程度は居住空間を広げることが出来ます。新たに土地を求める必要などないのです。多くの人が今より広い居住空間を手に入れれば、自然にアパート、マンションの価格は下がります。10%や20%の家賃は下がり、6畳に住んでいる人は同価格で8畳に住めるでしょう。

 更に、建蔽率容積率を緩和して、例えば、山手線の内側だけでも、平均8階建てのビルが建てられるようにすれば、街の景観は揃い、見た目も美しくなるでしょう。しかも住居スペースが飛躍的に増えますから、居住空間は広がり、価格は下がり、多くの人が都心に住めるようになります。そうなれば多くの人の通勤時間は大幅に短縮されます。

 そうなるとその分、衛星都市の人口が減ると心配されるかも知れません。そうではないのです。確かに一時期人が減少して、地価が下がるでしょうが、新たに広い居住空間を安価で求める人が多く集まるようになります。そうなると衛星都市に暮らせば、今と同価格で、アメリカほどには広い家は無理としても、ベルギー、オランダ、ドイツ並みの家には住めるようになるでしょう。そうなると、衛星都市の住人は週末は芝刈りをして、庭でバーベキューをして家族と生活をすることも可能になります。

 

 さてそこで、広い空間を安価で手に入れたなら、もう少し風格のある街づくりが必要です。そのために電信柱を地中に埋めてはどうかと言う話をしました。そして、ブロック塀をよそうと話しました。

 

 その上で、なるべくのことなら自然素材を使った家を建てたらどうかと思います。これは今では大変に難しいことなのですが、合板や企業が工場で作った外壁板などを使わずに、旧来のまま、レンガや石作り、漆喰造りの家を建てたならよい家が建つのですが、私の考え方は、今の建築家は認めようとはしないでしょう。

 修繕に費用が掛かる。とか、今漆喰を塗れる職人が殆どいない、とか、レンガを積むのは費用が掛かりすぎるとか、いろいろな理由で反対するでしょう。今の建築資材は、丈夫で、安価で、工期も早くできていいことずくめです。常に奇麗で新しく、修繕も楽です。然し、経年の美しさが生まれません。

 新建材、新素材は新しいまま壊れて行きます。年相応の古さや、年月を経た美しさが出てこないのです。レンガや漆喰は、歳と共に色がぼやけて来て、汚れて行きます。ところどころ雑草も生えたり、カビも生えますが、それが何とも風格を感じさせて美しいのです。そして漆喰は何度か塗り替えなければいけませんが、レンガやタイルは百年経ってもそのまま残ります。無駄に建て替えたり、壊したりすることなく何世代も生かして住めばそれは価値ある家と言えます。そんな生活が出来て、初めて世界から訪れる観光客に、誇れる国に住んでいると言えるのではないかと思います。

町の風格終わり