手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大攻勢はどうなった

大攻勢はどうなった

 

 戦争は常に一方的に侵攻するものではありません。様々な要因があって、一進一退を繰り返して、勝利に近づいて行きます。それにしても、6月の戦いは混沌としていました。

 先ず、ウクライナNATOの支援を受けて、大攻勢をかけると言っていたものが、6月に入ってもなかなか攻勢ができませんでした。月半ばになってようやく動き出しましたが、元々ウクライナの東側は、ロシアが自国にするために堅い守りを作っていて、おいそれとは奪還できません。

 それでもウクライナは最新兵器を手に入れて、わずかずつでも前進はしたのですが、今までとは比較にならないほど大きな代償も被っています。そこへもって来て、急遽、プリゴジンさんが、ロシア軍部を批判し始め、突然、手兵のワグネルを率いて、モスクワに進軍を始めます。

 すわ、クーデターが始まった。と、世界は大騒ぎをしましたが、これがどうしたわけか、突然隊列からプリゴジンさんが消えてしまいます。この間、プーチンさんとどんな話し合いがあったかはわかりません。とにかく、ワグネルの進軍はストップします。

 当のプリゴジンさんは、モスクワに行ったのか、あるいは、噂が出ていた、ベラルーシに行ったのか、その所在は分かりませんが、突然、ベラルーシのルカチェンコ大統領が現れ、プーチンさんと、プリゴジンさんの関係修復を始めます。

 この人がなぜここに出て来たのか、さっぱりわかりません。そもそもルカチェンコさんが、プーチンさんにはっきりものが言えるような人だったのか。それが出来るなら、なぜロシアから距離を置いて、自主独立を果たせないのか。

 今回のウクライナ侵攻にしても、プーチンさんのなすが儘に、自国領にロシア軍を通すことを認めて、ベラルーシの国境からウクライナへ侵攻しています。ベラルーシは積極的に協力こそはしないものの、ロシアのなすが儘に、黙認し、傍観しています。

 こうした姿を見ると、ルカチェンコさんはロシアに追従するばかりで、余り政治力のある人には見えないないのですが、その大統領がなぜここで出てくるのかが謎です。

 仮に出て来て、プーチンさんと話をして、一体何がまとまるのでしょうか。よくわかりません。さらに数日前、ロシア軍が東部戦線に新たに15万人の兵を派遣すると発表しています。

 一体どこから15万もの兵を連れて来るのでしょうか。兵は人数だけ合わせて集めてきたら戦争ができると言うものではありません。機能的な行動のできる兵を育てるには、数年の訓練が必要です。ロシアが敗北を繰り返していた、1年前あたりから、新規に徴兵をして、軍事訓練をしたとしても、今、間に合う話ではありません。

 ロシアはかなりブラフをかけて、ウクライナの大攻勢に対応しようとしています。一方、攻めている側のウクライナも、実は、思うようには侵攻が進んでいません。やはり、塹壕をしっかり作って、平原で戦争をすれば、ロシアは相当に強いのです。

 平地の戦いには、戦車と戦闘機の数が勝敗を決めます。戦車はだいぶ揃って来ましたが、ウクライナとすれば、何としてもアメリカの戦闘機が必要なのです。ゼレンスキーさんは必死になってアメリカの協力を求めています。然し、アメリカも、そうそう無条件には武器供与も出来ない状態になって来ています。

 ウクライナの戦いによって、アメリカ国内の景気が悪くなってきているのです。そのことは欧州も同じです。余りにウクライナに肩入れした結果、欧州では、石油は値上がりし、電気代ガス代は高騰し、景気は冷え込んでいます。このままでは欧州全体に不景気が来ます。

 こんな時に、プリゴジンさんの、モスクワ進軍は欧州、アメリカの各国にとっては希望の星に見えたでしょう。これでプーチンさんを失脚させたら、一気にウクライナ問題は解決する、と思ったに違いありません。

 ところがそう簡単にはロシア人は現政権を捨てません。なぜか、ロシアは思いっきり保守的なのです。決して現状を変えようとしないのです。それは日本の農村と自民党との関係に似ているように思います。

 農村にどれほど若者が減っても、仕事がなくなっても、農村で政治の改革は望まないのです。無論例外はあります。然し、多くの日本の農村は、頑なに現状維持を続けます。もう住人がいなくなって、廃村となる寸前ですら、現状を変えようとはしません。

 ロシアも同じです。理不尽なこと、貧しいことは、帝政ロシアの時代から慣れっこなのです。今に始まったことではありません。プーチンさんが政敵を粛正しようと、失脚させようと、一般のロシア人はそんなことは知ったこっちゃないのです。

 「いつものことさ」。と言って、大目に見てしまいます。政治に怒ると言うことはしないのです。少なくとも毎日の食事があって、晩にはウォッカが呑めれば、政治への不満は言わないのです。日本近海に住んでいて、頻繁に日本にやってくるロシア人が、自国の生活と日本を比べたなら、雲泥の差の暮らしぶりであることは明白です。

 にもかかわらず、なぜロシア人は政治を変えてでも豊かさを求めようとしないのか。その理由は、彼らはとりあえず食べるに困らなければ現状を変えようとはしないからなのです。

 そうした国に対して、経済制裁を加えようが、マクドナルドが撤退しようが、彼らは逆境に耐えることに慣れているのです。そうした国民に根差して活動しているプーチンさんはおいそれとは失脚しないでしょう。失脚があるとすれば、クーデター以外はないでしょう。それだけにプリゴジンさんには期待したのですが、プリゴジンさんも、そう簡単には政権は取れないようです。それにしてもルカチェンコとは何者なのでしょうか。謎は深まるばかりです。

続く