手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

次の時代の芸能は

次の時代の芸能は

 

  私の人生で、とてつもなく大きな社会の変革を体験したことはこれまで3回あります。1回目は、昭和63年に天皇陛下が倒れられた時、それから約半年、仕事が来なかったことです。年末のイベントも正月のイベントも飛んでしまい、どうしていいのか途方にくれました。

 それから、平成5(1993)年に、バブルがはじけて、その後約5年間、バブルの後遺症で企業が立ち直れず、イベントが発生せず、随分苦労しました。

 更に令和2(2020)年。コロナが世界中に大流行して、仕事がどんどんなくなって行った時、これも随分活動を狂わされました。今は多少良くなったものの、それでも平成から令和初頭のころのようには回復できずにいます。

 

 天皇陛下の問題は特別の例と言えます。平成天皇上皇)は、昭和天皇の騒動を見ていたがゆえに、自らの退位説を唱えたのだと思います。命続く限り天皇を続けていると、いつその日が来るかはだれも予測が出来ません。そうなると、常に社会が不安定になります。それよりもむしろ年齢に余力のあるうちに退位したほうが、社会に及ぼす影響が少ないと判断されたのでしょう。これは有り難い判断だと思います。

 さて、バブルは私の人生の中でも最大の変革期でした。バブルが終わったのが平成5年。それから平成10年までは芸能活動は思い切り縮小されました。マジックに限らず、芸能全般、仕事がなくて苦労しました。

 バブル時代にいい稼ぎを上げて、株や、不動産を所有していたタレントが、破産をして、何十棟ものビルを手放したり、家財産を売り払ったりして世の中は大騒ぎでした。その間に廃業したタレントもたくさんいましたし、倒産した芸能プロダクションもかなりの数になりました。

 それまでのバブル時代が余りに忙しかったために、タレントはみんな、天と地ほどの生活の違いを味わうことになりました。バブルのさ中に贅沢を繰り返していて、生活が余りに野放図だったのです。それが、入ってくる収入のめどが立たなくなっても、なかなか生活を切り詰めることができなかったのです。

 バブルのさ中に私は、家を建て、子供が生まれ、チームを株式会社にし、メンバーを増やして、大きなイリュージョンショウをしていたものですから、平成5年にバブルが崩壊したときは、何が起こったのかさっぱりわからないまま、ただ呆然とするばかりでした。

 なんせ、都市銀行が倒産し、証券会社が倒産し、たくさんの不動産会社が倒産して、銀行から金を借りて活動している多くの企業が顔面蒼白になりました。当然、私の東京イリュージョンも風前の灯火でした。大銀行や、証券会社から比べたら、東京イリュージョンなどと言う会社は会社の内には入りません。風に舞い散る塵のようなもので、どうなったって世間の誰も注目してはくれません。

 それでも自分の会社ですから、何とかしなければいけません。銀行から借金するなどしてあちこち返済をして、生活を切り詰めて生きるほかはなく、随分と余分な出費を抑えて生きて行くようになりました。結果、平成10年くらいになると、何とか生活できるようになりました。

 この時私は、それまでのイリュージョンショウに限界を感じ、洋装のショウから、手妻(てづま=日本奇術)に専念するようになりました。これが結果として、独自の道を作ったことで、その先仕事の安定につながったわけです。

 内心私は、「この道を続けていれば、自分の人生は全うできる」。と考えていました。いわば、残りの人生を逃げ切りで行けると考えていたのです。その予想を大きく外したのがコロナでした。まさか自分の人生で、全く仕事の来ない日が延々続くようになるとは予想もしておりませんでした。

 コロナの影響で、廃業したマジシャンは、バブル期以上の数だったのではないかと思います。あの人はどうなったのか、この人はどうしているのか、と顔が浮かんでくる人だけでも数十人、今は全く音沙汰がなくなってしまいました。

 こうして一つの仕事を続けていくと、必ず30年に一度くらい大波がやって来て、10年に一度中波がやって来ます。その都度、何人かの芸人がいなくなって行きます。それでも、ほかの仕事を見つけてうまく生きて行っているならそれでもいいかと思います。

 

 大きな不況が来ると、いつこの災難が去って行くのか、と、まるで雨が止むのを待つがごとく、晴れることだけを望んでいる人がいますが、仮に、不況の波が去ったとしても、それで仕事が戻って来て、元のように安定して生きて行けるものではないようです。その次に来る時代は、前の時代と同じものが来るわけではなく、必ず違った時代がやって来ます。

 そうであるなら、違った時代が来ると言うことを知って、不況の中を、次の時代を予測して凌いで行かないと、不況が去っても何も恩恵を手にれることができません。不況そのものは、みんなに降りかかることですが、不況が去って、日が照るようになったときに、恩恵を受ける人は、特定の人なのです。つまり次の時代を予想して、何かをしていなければ次の時代の成功は手に入りません。

 と、口で言うのは簡単ですが、次の時代の主流を読むと言うことほど難しいことはありません。私のように、これまで生きて来たことの利息で、残りの人生を逃げ切ろう。などという下心で生きているものにすれば、コロナの災難は全く予測不可能でした。さてこの先をどう生きるか。

 まぁ、ある程度答えは出ていますから、地道に考えを推し進めて行くほかはありません。ただ、問題は、年齢が進むにつれて、目的を達成させるための行動が鈍くなっています。20代30代の時のように、頭が速く回転して、体もスピーディーに動くようにはなりません。動きは緩慢になっています。長く生きれば生きるほど、次々に手を打って、生きて行くのは難しいものだと知ります。

続く