手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

消えるハンカチーフ 1

消えるハンカチーフ 1

 

 私が初めてマジックに接したのは、小学校5年生の時でした。東京駅大丸デパートで、マジック売り場を発見したときは鮮烈でした。たくさんの人がわずか2mに満たないガラスケースに群がっていて、楽しそうにマジックを見ていたのです。

 私は親が芸人でしたから、よく演芸場や、市民会館などに連れて行ってもらい、子供のころからマジックをよく見ていましたが、その頃は、マジックは特殊技能の持ち主がするもので、私にマジックが出来るとは思ってはいませんでした。

 それがたまたま大丸のマジック売り場を発見したときは、驚きでした。ひとしきり実演が済んで、客が去った後、売り場を覗いてみると、得体のしれない道具がたくさんあります。筒ネタがありました。たぶんそこから何かが出てくるのだな、と推測が付きます。リングがあり、あれはよくアダチ先生が舞台でやっているものだなと分かりました。

 四角い箱の中に赤い球が四つ入ったものもありました。あれは、たぶん指の間に挟んで増やす道具だろう。と推測が付きました。何となく見知った道具でしたが、その時の私にはどれもどうやって不思議を作り出すのか、見当もつきませんでした。

 確実なことは、ここでいくらかのお金を出せば、道具とやり方が習えると言うことでした。ガラスケースに入っている道具類は、どれも小学生には高価でしたが、全く買えないものでもないと知りました。

 50円と言うものもありました。変化カードと書かれていて、3枚のカードを見せて、真ん中がハートのクイーンで、赤いカードです。お兄さんが、「坊や、赤いカードを抜いてごらん」。と言われ、裏にしたカードの真ん中を抜き、表を見ずにガラスケースの上に置きました。

 「そのカードはハートのクイーンだったよね」。と念を押されました。「表を見てごらん」。表を向けると、それがスペードのエースになっていました。

 マジックとしては初歩も初歩です。然し、直接見たマジックは強烈で、種の詮索すら考えません。「ここで50円払えばこの種が分かるんだ」。と思うと買ってみたくなりました。然し、その時私はもう少しお金にゆとりがありました。この機会に、何種類か見せてもらおうと思い。「消えるハンカチーフってどんなマジックですか」。と尋ねました。

 すると若いお兄さんは、小さな黄色いハンカチを出して見せました。左手で握り拳を作り、拳の中にハンカチを押し込みました。「私の左手に、ふっ、と息をかけてごらん」。私は言われるままに息をかけました。お兄さんはゆっくり拳を広げて行きました。そこにあるはずの黄色いハンカチは消えていたのです。

 私はすっかり不思議に魅せられてしまいました。値段を見ると150円でした。「ここまではなんとか買える」。私はその時、プラモデルを買おうと思い。200円のお金を持って、池上からバスに乗り、東京駅まで来ていたのです。その時は、ロンメルの戦車が欲しかったのです。然し、ロンメルは200円では買えなかったのです。

 そこで躊躇して、「戦闘機のメッサーシュミットにしようか、一式陸攻にしようか、いや、いや、そんな間に合わせのプラモデルを買ってもきっと満足しないに違いない、出直して、お金を貯めて、もう一度来ようか」と、思案していたところでした。

 この時、昭和40年でした。私の一か月のお小遣いが300円でした。プラモデルを買うようになってからは無駄遣いをしなくなり、ひたすらお金を貯めて、大きなプラモデルを買うようになりました。この時代の300円は、今の3000円の価値はあったでしょう。

 勤め人の給料が1万円にならなかった時代です。電車やバスの初乗りは10円です。子供は半額で5円でした。当時、私は大田区の池上に住んでいました。池上から東京駅に行くには、池上線、京浜東北線と乗り換えて行くのが普通です。それだと片道20円くらいかかったと思います。然し、幸いなことに池上から八重洲口と言うバスが出ていました。バスで行くと10円で行けました。20円あれば往復のバスに乗れたのです。

 つまり、200円の小遣いは、180円までは使えます。然し、そもそもそのお金はドイツの戦車を買うお金です。これをここでマジックに使ってしまっては、来月買える当てもありません。なぜなら、ロンメルは500円くらいするのですから。

 さて、ここが思案です。買うか買わないか。もし買わなかったなら、私はマジシャンにはなっていなかったと思います。実はその後の展開が意外な方向に進んだからです。

 とにかく、私は消えるハンカチーフを買い求めました。この時、私にマジックを見せてくれたお兄さんは、萱場幸雄さんと言いました。痩せて、愛想のいい人で、親切な人でした。この人と私はその後いろいろな縁があって20代までお付き合いが続きます。

 一年後、私が伊勢丹劇場(新宿伊勢丹デパートの中にあった劇場)の演芸会に出演したときも、私の演技を見に来てくれて。有名なゲストと一緒になってマジックをしたことを羨ましがってくれたのです。つまり私にマジックを売ってくれたお兄さんをあっという間に追い越して、少年マジシャンとして、デビューしてしまったわけです。

 但しそれは先の話です。私は、手品の道具を買い、池上行きのバスに乗り、帰り道、消えるハンカチーフの解説書を読もうと箱を開けました。すると、解説書とハンカチの他に、予想もしなかったものが入っていたのです。鉛筆のキャップよりも太く、肌色をしている筒が入っていました。そこには黒いゴムひもが付いていました。

 何のことなのかさっぱりわかりません。解説書を見ると、絵が3つだけ書かれています。どうやらこれが種と称するもののようです。タネは上着の背中に吊っておくのだそうです。私は上着は持っていません。なぜ、拳にハンカチを入れるのに、背中にキャップを吊るさなければいけないのか。意味が分かりません。

 八重洲口から、池上までバスで1時間。大変長い道のりです。その間、未知との遭遇に胸をときめかせ、謎の解明をしました。背中に吊ったキャップを観客に悟られないように左手で握り持ってくる。これがどうもよくわかりません。悟られないように持ってくる、と言われてもどうすれば悟られないのか、が分かりません。

 また拳の中に入れたハンカチが、どうしたら背中に移動するのか、が分かりません。売り場のお兄さんは何ら不自然な動作はしなかったのです。これはどこかで練習しなければいけない。そこで思い立ったのは、風呂屋でした。風呂屋の大きな鏡の前やってみたなら、巧く行くのではないかと思ったのです。その晩、早速私は風呂屋に消えるハンカチーフを持って行きました。

続く