手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

梅雨の日の峯ゼミ 2

梅雨の日の峯ゼミ 2

 

 さて、峯ゼミの指導を終えて、二人は田端の駅前の居酒屋に入りました。残念ながら、田端駅の近所では、これと言う店はありません。どこに入ろうかなどと選択の余地はありません。思いっきり居酒屋然とした店一店だけです。

 ここに入って、焼き鳥や、マグロの刺身などを注文し、生ビールとハイボールで乾杯します。長いこと、峯村さんはコロナの影響で、海外の出演もなく、コンベンションも開かれなかったために、随分活動が制限されたようです。無論、私も同様に舞台活動は激減しました。

 峯村さんは、先月は、フランスの出演があり、また今月は、ポルトガルリスボンの出演依頼が来て、来週から出かけるそうです。ショウは二回だけ、奥さんも連れて来てもよい、という、今どき破格な条件です。

 峯村さんは、2000年のFISMリスボン大会の受賞以来、もうかれこれ四半世紀が経とうとしているのに出演依頼がずっと続いているようです。これは彼の実力がなせる技です。

 そのリスボンでの出演があると言うことで、これまでになく、表情が明るく感じました。リスボン以降も、国内のコンベンションからの依頼もあるそうですし、自らの組織、UGMの大会もあり、台湾のコンベンションの依頼も来ているようです。「ようやく、あちこちからお声がかかるようになって、ほっとしています」。と素直に喜んでいました。

 よくわかります。実際、タレントの悩みと言うのは、たった一つの出演依頼ですぐに気持ちが晴れやかになります。やはり、人から求められている。と言うことが、全ての問題の解決につながります。一人でポツンと部屋にいて、何も用事がなく、「なぜ仕事がこない」。と嘆いていては、どんどん自分を追い込むばかりで問題は一つも解決しません。

 展望が開けるも開けないも、人から求められればこそ生きがいを感じるわけで、それもこれも、これまでの実績が全てを決定します。峯村さんがよき方向に向かって行くことは幸せなことです。

 ただ、出来ることなら、コンベンションの依頼があって、仕事にゆとりがあるうちに、月に一回でも一般人を対象とした公演をして行ってほしいと思います。

 コンベンションそのものは、プロが生活して行けるほどには数がありませんし、収入も多くはありません。そこばかりを頼っていては、必ず活動は縮小して行きます。

 勿論、私も頼まれればコンベンションには出ます。でも、私にとってコンベンションは本業ではありません。飽くまで私に取っての舞台は、一般のお客様なのです。一般のお客様を対象としなければプロではないのです。コンベンションはマジシャンにとっては居心地の良い場所ではありますが、同時にマジシャンの成長を止める場所でもあります。

 なぜか、と言えば、それは、そこに参加している人たちがマジックが好きだからです。好きな人を相手にしている限り、彼らはただただマジックが見られれば満足なのです。ボールが次々に出てくる手順を5分も6分も続いても、彼らは飽きずに見ています。カードマジックの当て物が何種類続いても彼らは喜んで見ているのです。

 でも、まかり間違っても、一般の観客もそれと同じと思ってはいけません。一般の観客とはどういうものなのかを常に念頭に置いて、マジックを演じなければ、実際の仕事の依頼は来ないのです。

 峯村さんに、次々にコンベンションの依頼が来ることは、素晴らしいことですが、峯村さんのすることは若い者が追いかけます。それゆえに、コンベンションだけを求めずに、もっともっと外に活路を見出して欲しいのです。

 

 実は、この半世紀で、マジックをする人の価値観がそっくり変化しています。私が10代のころは、実力を付けたらどうしたいのか、と問われたなら、「パリのリドに出演したい」。「ムーランルージュに出演したい」。ラスベガスの「MGMグランドホテルに出演したい」。と、一般の劇場に出演したかったのです。

 然し、今、マジックをする若い人の口から劇場名は出て来ません。世界的にショウビジネスが衰退していることは事実ですが、一般の劇場に出たいとは誰も言わなくなってしまったのです。彼らが出たがっているのはコンベンションのゲスト出演で、それだけでは生きて行けないはずなのに、そこに目的を置いて、それ以上を目指そうとはしないのです。

 食べて行けないなら、他の仕事をしてでも、コンベンションに出ていたいのです。然しそれではアマチュアです。いつまで経ってもプロ根性は育ちません。自分のやりたいことだけをして、それを認めてくれるところだけに出演すればそれで満足なのです。

 つまり初めからプロであろうとは考えていないのです。今の若いマジシャンには自らがマジック界を背負って行こうとか、自分が切符を手売りしてでも、多くの観客を集めて公演してやろう、と言う気概が見えません。常に自分は一歩身を引いて、世の中を俯瞰で見ようとします。泥まみれになって生きようとはしないのです。それをかっこいいことだと勘違いしています。

 然し、そんな考えで、プロの世界に足を踏み入れると、他のジャンルのプロが見たなら、マジシャンはアマチュアにしか見えないのです。外部のプロが見たなら嘲笑の対象でしかないのです。

 どこの野球選手が、三振しようと、フライを打とうと、平気な顔をして、「いいんだ、僕は僕の野球ができれば満足なんだ」。と言っている選手がいるでしょうか。そんな選手は始めからマウンドに立つこと自体あり得ないのです。

 演劇に世界でも、音楽の世界でも同じです。プロでもない人間がプロを語ったり、無責任な演技をして、それでその社会で成り立つわけがないのです。全く残念なことですが、それが許されているのがマジックの世界です。自分で公演もせず、切符も売らず、人が集めてくれる大会に出演することに喜びを感じて、その中で認められたい。みんなが寄りかかって、互いが傷つかないように慰め合っているのです。

 大会主催者は、育つ可能性のない人に賞を与えて、持ち上げておいて、それでいて、「なぜ、プロが育たないのだろう」。と嘆いています。嘆くまでもないことです。資格のないものに資格を与えても、人は育たないのです。果たして、コンベンションには生活して行けないチャンピオンが溢れ返っています。

 どうしたらいいのか、答えは簡単です。マジシャンは、コンベンションのゲストに出ることよりも、一枚一枚切符を売って、30人40人のお客様を作って、公演をすることの貴さを教えるべきなのです。それがプロの道です。他に生きる道などないのです。

 と言うような話を峯村さんと話しました。いろいろここでは話せない内容も多々ありましたが、かなり辛口なことを言いました。それでも、ヨーロッパやアジアで認められて、ゲスト出演することは素晴らしいことです。それは素直に認めなければなりません。外は雨、梅雨(つゆ)はまだ当分上がる気配なし。峯村さんの梅雨は一足早く晴れたようです。めでたいことです。

続く