手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

梅雨(つゆ)の日の峯ゼミ 1

梅雨の日の峯ゼミ 1

 

 6月11日の峯ゼミを書きます。先ず、その前日、10日(土)に峯村さんからメールが来ました。「明日、お会いできることを楽しみにしています」。と言う、ごく普通の挨拶でした。けれども、気になります。いつもはそうしたメールはしてこないのです。

 きっと峯村さんは私と話がしたいのだな。と思いました。分かります。柳ケ瀬に行って酒を飲むときでも、常に峯村さんはいくつか私に質問をしてきます。断っておきますが、私は峯村さんを教え諭すような立場のものではありません。ただの酒呑みです。

 その酒呑みに、峯村さんは少し深い話を求めて来ます。たまたま先月は柳ケ瀬の会に峯村さんが出られなくて、一か月会うことができませんでした。又、前回の峯ゼミの後の呑み会も私の都合で流れました。このところ、じっくりと話すこともできませんでした。私も11日は、久々話をしようと、考えていました。

 と、言うわけで、別にメールがあってもなくても、峯ゼミには行くつもりでした。別に私が出かけたからどうと言うものではありません。むしろ私は、メモを取ったり、ビデオに収めることもせず、時々居眠りをしたり、他のことを考えていたりして、あまりよい生徒とは言えません。

 むしろ本心は、授業を見ながら、峯ゼミをこの先どう言う方向に進めて行ったらいいのか、などと考えています。日本に優れたスライハンドマジシャンが育ってこなかったのは、レベルの高い指導家が今までいなかったからです。この言葉には御幣があります。詳しくは、優れたマジシャンはいたのですが、それは職人としての技量であって、その内容を科学的に精査して伝えられるマジシャンが育っていなかったのです。

 日本の、多くのプロのスライハンドは、昭和30~40年代の形式のまま固定されています。それ自体は歴史に裏打ちされて、巧い人もたくさんいます。然し、そこから飛び出して、刺激的なスライハンドを見せる人がなかなか出ません。唯一、それをして見せたのは峯村健二さんでした(いやマーカ・テンドーがいた。と言うかもしれません。仰る通りです。そのことはいずれ書きます)。

 2000年のリスボンで受賞して以来、彼の周囲にアジアの若いスライハンドマジシャンが集中したのはよくわかります。実際、今の韓国、台湾、中国の若いマジシャンの指針となっているのは、峯村さんの演技なのです。

 日本でも学生の間で峯村さんの評価は高いのですが、確かに、峯村さんは、コンベンションなどに出ると、高い評価を受け、多くの支持者がいます。ただ、余りにコンベンション評価に偏ってしまって、峯村さんの芸能としての価値を小さくしていないか。と私は内心残念に思っていたのです。

 何も他人のことを心配する必要はないのですが、彼は、言ってみれば、天海、島田、に続く、日本の実力あるマジシャンの一人で、間違いなく、アジアに大きな影響を与え、しかも現役でマジック活動しているカリスママジシャンなのです。

 にもかかわらず、彼を日本のマジック界は正当に評価しているのか、と言えば、決して正当とは言えないのではないか。と思います。もっともっと峯村さんは、第三者が研究して、高く評価すべき人なのです。

 彼のマジックは独創的で、その技はいまだ全容を解明されていません。彼を名人だ、マエストロだと言うのは簡単なことですが、ならば、なぜ、マエストロなのかという根本が語られないまま、月並みな評価ばかりされて、彼を研究し尽くして、その先に行こうとするものがなかなか出て来ないように思います。

 私は以前から、峯村さんに、有能な生徒を集めて、リーダーを育てる指導をしたらいい、と申し上げて来ました。有能な人間を育てると言うことは、自身の考えを分厚く、強固な物にします。そしてその中から優れた人材が生まれて来ます。

 習う生徒も、いきなり基礎から峯村さんの考えが習えるならば、確実に生徒は高いレベルのマジックを習得することになり、優れた考え方が備わって来ます。そうなると、その人材こそ次の時代のリーダーになって行きます。

 そうした場所を誰かが提供しなければなりません。誰もしなければ私の仕事か、と今は私がその役目の一端を担っています。

 さて、そうなって、今度は、能力のある若いマジシャンをフォーカスして、峯ゼミの中で2~3人、教育して行けば、そこから有能な人材が生まれて行くであろうとは思います。そうなったとして、日照り続きのスライハンドの社会で、有能な人材が見つかるのか、また、育ったとして、その若者は生活して行けるのか。いろいろ考えると、人を育てるのは簡単ではありません。でも、乗り掛かった舟ですから、私は峯村さんを支え、峯村さんは、この活動をライフワークの一つと考えて、活動をしています。

 始めから峯村さんは、人に教えることは希望していなかったのですが、最近は指導することの重要性に気付いたようです。教えることは学ぶこと、語り合うことは人生を豊かにすることです。

 

 前説がとても長くなりました。11日は、うっとおしい梅雨(つゆ)の中、参加者9名。3時間半にわたる指導でした。ウォンドの手順、前半が前回に続いての引きネタを使ったウォンド。後半が、シェルを使った、カラーウォンドで、7本のウォンドがプロダクションされる手順です。

 どちらも峯村さんが考え抜いた手順で、随所に独特のハンドリングが出て来ます。スライハンドファンなら有難涙が流れるような手順です。ただ、私としては、こうまで詰め込まずに、どちらかの手順に集中して、参加者に何度も演じさせるなどして、じっくり指導したほうがより理解が深まるのではないかと思いました。

 峯村さんの頭の中のスピードと習う側の理解のスピードが一致していないように見えます。恐らく、峯村さんには、「これくらいのことは簡単にマスターできるはずだ」。と言う思いがあるのでしょう。然し、それはそうはいかないと思います。

 指導は、相手の理解があって達成されるものですから、もう少しラフな時間を作って、相手を見て指導したほうが良いと思います。

 と、長い指導が終わって、その後、田端の飲み屋で酒盛りをしました。その話はまた明日。

続く