手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

金魚釣り 2

金魚釣り 2

 

 本来ブログは日曜日が休みのため、連続物の内容は、土曜日から始めることはしないようにしていました。然し、今回は例外的に、金魚釣りを土曜日から書き始めました。そのため、本来、ここでは昨日催された峯ゼミを書くべきなのですが、峯ゼミは明日にして、金魚釣りを、週をまたいでまとめます。

 

 さて金魚釣りと言うマジックはどうやら、1850年ごろから、西洋と東洋を行き来するうちに、互いが影響され合って、今の形にまとまって行ったようです。

 そこから色々種仕掛けが発展して行きます。余りここでは詳細をお話しできませんが、ダミーの金魚を使う流派があったり、二本糸を使う流派などが出て来ます。そのどれが和式で、どれが西洋式なのかが今となっては工夫が混ざり合ってしまって、よくわからないと言うのが実情です。

 

 日本の伝授本(でんじゅぼん=マジック教本)の中に、座敷芸で、杯洗(はいせん=小さな丼で、水が入っている、盃を洗うもの)の上に釣り糸を垂れていると、生きた金魚が釣れる、と言う手妻が描かれています。その種仕掛けは解説されてはいませんが、実際そうした手妻が演じられていたのは事実でしょう。

 実は、この演技こそが、前述の原寛さんの得意芸、水割りのグラスの中から金魚を吊り上げる演技に酷似しています。詳細を申し上げますと、原寛さんは、お客様のテーブルを回って、ハンドバックの中とか、帽子の中から金魚を吊り上げました。

 そうした演じ方は当時普通に行われていたのですが、中でも、原寛さんは、お客様の持っていた水割りグラスを示し、高く持ってもらい、そこに釣り糸を垂らし、グラスの中から金魚を出したそうなのです。

 当時のパーティーでは、水割りグラスは、水滴でグラスが滑ることのないように紙ナフキンで覆い、中が見えにくくなっています。そのグラスをお客様にそのまま高く持ってもらい、糸を垂れると金魚が釣れたそうです。これは話を聞くだけでも不思議です。私は、何とかその演じ方を聞き出そうとしましたが、原寛さんは肝心なところで話をはぐらかします。

 結局正確な種は分かりませんでしたが、私は原寛さんに金を貸している手前、知らないと言って逃げられて許されるものではなく、多少脅迫的にいろいろ突っ込んで話を聞きました。そしていくつかのポイントを聞き出したのです。

 それは、グラスは、半分くらい飲んだものを使う。であるとか、グラスを一度持ち直しをさせる、など。細かな要点を聞き出しました。そこから、種を推測して行くと、どうも原寛さんの「水割りからの金魚」は、江戸時代の「杯洗から吊り上げる金魚」によく似ています。だからと言って、原寛さんの演技が和式であるとは断定できませんが、少なくとも、他に同様の演技をする金魚釣りの師匠がいませんでしたので、どうもこれが和式の金魚釣りなのではないかと推測しました。

 さてそうなると、早速、釣り竿や、種仕掛けを作り始めました。その過程で随分発見もありました。いろいろ工夫して、1年、ようやくこれが和式の金魚釣りであろう、と言うものが完成しました。

 

 その後、大阪の帰天斎正華師匠からも習い、帰天斎流のハンドリングをマスターしました。色々合わせて私の金魚釣りは完成しましたが、そこで私はもう一つ、作り上げたい仕掛けがありました。それは変獣化魚術(へんじゅうかぎょじつ)の内の、「笹の葉を金魚に変える術」です。

 これは相当に古い術で、奈良時代にさかのぼると思われます。小さな盥に水を張り、そこに笹の葉を何枚か散らします。笹は水の上に浮いています。そこに風呂敷をかけ、取り除くと、笹の葉が金魚に変わると言う術です。

 変獣化魚術と言うのは、交換改めの別称で、風呂敷をかけた中で別のものと取り換える手妻のことです。植瓜術、がそうですし、紙うどんがそうです。昔の演技の多くはみんな交換改めが主流でした。そんな中でも、笹の葉が生きた金魚(その昔は鯉の稚魚)に変わると言うのは、効果も大きく、なぜ生きた魚を死なずに保持できるのか。不思議に思われたのです。

 要するに、盥と水、風呂敷さえあれば、金魚を出せるわけですから。これは現代に復活させてみたい。と考えました。但し、古いやり方で大きな風呂敷を使って懐から魚を出していたのでは、今となっては不思議には思われません。

 そこでそっくり装置を作り直して、別の方法で変獣化魚術を作ってみようと考えました。ここから先は全く資料がありません。ゼロからの考案です。しかも、その演技が千数百年の昔から演じられていたかのごときものでなければいけません。

 それを随分考えて、思考錯誤を繰り返しました。そしてようやくできたものが、今の私の金魚釣りです。盥は観客から中が見えないため、ガラスのボウルに変えました。風呂敷は極力小さくして、辛うじてボウルを隠すだけの布にしました。そうしてできたものを舞台で演じて見ると、かなりお客様が不思議がります。

 「あぁ、これはいい、成功だ」。と確信しました。以来金魚釣りと変獣化魚術は私の流派の手妻になりました。以降、夏場は頻繁に金魚釣りを演じました。

 

 但し、生き物ですから、管理が大変です。水は少し温度が違うだけで金魚は死んでしまいます。又水道水は禁物です。カルキが入っていると金魚は生きて行けないのです。カルキ抜きと言う薬品が売られていますので、水道水を日向に出して、カルキ抜きの薬を一粒入れて、30分もしたなら金魚を入れると、金魚は何事もなく泳いでいます。

 また狭い水槽に20匹も30匹も金魚を入れると、酸素がなくなり、すぐに死んでしまいます。泡の出る機械を入れておかなければいけません。更に、よく育つからと言って、金魚にエサをたっぷりやると、金魚はどんどん成長をして、半年で鯵くらいのサイズになってしまいます。少し仕事が空いて、「久々だから金魚釣りをしよう」。と思って水槽を見ると、全く別の魚のように、金魚が大きくなりすぎて使えなくなっています。

 実際、金魚は、鯉や鮒と同種ですから、食べて食べられないものではないはずです。大きくなったものなら、かなり脂がのって、味はいいはずです。然し、食べるとなると躊躇します。私の家で頻繁に、仲間とやる呑み会などにフライにして出せばきっと、喜ばれると思います。衣が付いていたら、金魚とは気付かないはずです。でも、後で金魚だと知ったなら、評判が悪くなります。

 なかなか管理の難しい生き物ですが、でも、仕事先から「金魚釣りをやってくれないか」。という注文が時々あります。見たい人は多いのです。大変に受ける手妻です。また機会があったらやってみたいと思います。

続く