手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

創作をする 4

創作をする 4

 

 植瓜術(しょっかじつ)は、元々、全体のストーリーが出来上がっていて、まとめ易い マジックです。つまり、初めに道具をすべて改めて、笊(ざる)に土を盛り、そこに種を撒き、水をかけると、芽が出ます。次にそれが弦(つる)になって、伸びて行きます。そして弦の先から大きな瓜がいくつも生ります。

 徐々に小さな不思議を重ねて行って、お終いに大きな瓜が出る。典型的なプロダクションマジックですが、そこに生命を作り出すと言う壮大なテーマがあります。但し、私は種も演じ方も見たことがありません。それをマジックとして成立するように、不思議を創造する。これは大仕事です。

 まず私が手掛けたのはしっかりとした道具立てを考えました。台座、その上に乗せる大きな笊を二枚。そして細い竹で出来た四柱(よつばしら)と大きな布です。

 その中で。台座と大きな笊は、本来の植瓜術では使っていません。江戸時代でも、直接地面に穴を掘り、そこに土を持って、種を植えたのです。然し、それを現代の舞台で表現することは出来ません。しかも舞台の床の上で作業をしたのでは、ほとんどのお客様には見えないのです。

 そこで高さ40㎝ほどの四つ足の脚立を作りました。こうしたものは過去にはなかったのです。しかしこうしないと現代には生かせません。私は、遥か1300年昔からずっと使っていたのではないかと思わせるような、古風な台座を作りました。この台座の上に大きな漆塗りの笊を乗せ、そこに土を盛ったのです。これでお客様にも見えるようにしたのです。

 更に、脚立の四隅に穴をあけ、そこに細竹四本を立てられるようにして、テントの形状を作りました。こうすると全体の高さは130㎝くらいになります。ここに黒布を巻き付けると、とても古めかしい外観が生まれました。この装置は恐らく、昔のものとは違うでしょう。然し布と四つ竹で囲うと言う方法は似たり寄ったりだったと思います。

 これら大きな道具は、大きな風呂敷でひとくくりにくるんで、弟子が担いで舞台に現れます。この風呂敷を背負う姿が、1300年前の、太古のマジシャン。まだ手妻と言う言葉すら生まれていなかった、散楽(さんがく=大昔の様々な芸能、芝居、声帯模写、人形劇、曲芸などと一緒に演じていた目くらましと呼ばれてた時代)のマジシャンの姿です。

 つまり人一人が担いで歩けるサイズの荷物に、使う道具が全部入っています。風呂敷を広げ、台座から枠、竹、布を徐々に出して行って、全部改めつつ、植瓜術の世界を形作って行きます。こうしたスタイルのマジックは、もう手妻にも、残ってはいません。演じ方も、現代に残された手妻とは随分違います。それゆえに、これを復活させれば、レパートリーの幅が広がり、手妻の奥深さが表現できるわけです。

 私は試しに、四つ竹に弦を巻き付け、一番上から大きな瓜を5つほど吊って、舞台に据えてみました。これは演技の最終の絵柄です。黒布をパッと取って客席から眺めてみると、今まで見たことのないオブジェが生まれ、とても美しいと感じました。

 この時点で私は、まだ種仕掛けのロードの方法など、細かく考えてはいなかったのですが、「このマジックはいける」。と、作品の成功を確信しました。いいマジックと言うのは、必ず形が美しいのです。フィニッシュの絵柄が、お客様がワーッと歓声を上げるほどに美しかったなら、それは大成功間違いないのです。

 プロダクション(取り出し)マジック今でもポピュラーですが、その出したものをテーブルなどに飾っても少しも美しく見えなかったり、価値あるものに見えないようなら、そのマジックは無価値です。出すもの自体に魅力がないか、或いは、ディスプレイのセンスがないのです。せっかく出した道具なら、美しく、有難そうに飾り付けが出来る。そこがマジシャンの技量なのです。

 

 さて、形状は出来て来ました。そしてストーリーも骨子が出来ました。ストーリーで特に難しいのは前半でした。初めに芽が出るまで、約3分、道具改めばかりで、全くマジックが起こらないのです。この間をどう面白く話を進めるかがこのマジックの成否につながります。小さなくすぐり(ギャグ)を入れつつ、弟子と一緒に大道の風景を表現して行きます。ここは笑いのセンスと喋りの技術が問われます。

 後になって気づきましたが、この作品は、弟子を育てるにはとてもいい作品になりました。弟子は、喋りに慣れていないため、口慣らしとして付き合わせているうちに、いろいろなアドリブが話せるようになって行ったのです。

 大樹も、大成も初めは全く喋りが出来ませんでした。受け答えは、台本に書かれたこと以外は一切喋れず、しかも棒読みで、相手をしている私が恥ずかしくなるほどへたでした。私がアドリブで突っ込むと、慌ててうろうろしていました。然し、徐々に喋りの要領を覚えると、アドリブが出るようになって行ったのです。

 

 私は、植瓜術で最も気を付けていたことが一つあります。それは太夫は終始、土を触ってはいけないと言うことです。思い出してください、欧米のマンゴー術がなぜ今では継承者がいないかと言うことを。それは、初めから植木鉢の中に弦も、マンゴーも隠してあって、花鉢に布をかけて、布の中に手を入れて、ゴソゴソしてから、布を取り払うと、やがて芽が出て、弦が出て来たのです。これでは種が初めから植木鉢の中にあることを見せています。

 植瓜術を本当に不思議に演じたいのなら、始めに道具をすべて改めて、弦や、瓜がどこにもないことを見せなければいけません。更に、初めから終いまで、マジシャンは一切、土に触れてはいけないのです。黒布をかけても、布の中に手を入れて中で土をいじってはいけないのです。手は一切土に触れずに、芽が出たり、弦が伸びるから不思議なのです。

 それを実現させるにはどうしたらいいか。これは随分悩みました。結果は解決できたのですが、かなりの苦労の作品でした。

 

 更に、昔の口上などを調べて、わざと古めかしい雰囲気に仕上げました。演技の途中で、「生ったり、生ったり」と、口上を言って、踊る所がありますが、これは、江戸時代の文献に書かれていて、実際に演じられていたものです。

 途中にたくさんギャグも入れました。昔、子供のころ、蒲田の駅前に出ていた物売の口上を思い出し、人を引き付ける言葉のテクニックを随分取り入れさせてもらいました。そうしてできたのが、今演じている植瓜術です。時間的には、伸ばせば幾らでも伸ばせますが、私は決して15分以上にならないように注意しています。

 現代のお客様が見る一作のマジックとしては15分は限界です。お客様を飽きさせず、テンポよく話を進めることが何より大切だと考えています。

 この作品は私の手妻の中でも特殊なもので、手妻の原点ともいえる作品です。受けのいい演技ですのでたびたび演じています。どうぞチャンスがあったら一度ご覧ください。

続く