手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

創作をする 5

創作をする 5

 

 今週は、手順の作り方について長くお話をしました。ご覧になってお分かりのように、この道で生きるためにメイン手順を作ろうとするなら、幾つかのマジックをつなぎ合わせただけでは手順にはなり得ないことは理解いただけたと思います。

 マジックの羅列では、自分自身の考えを相手に訴えるにはあまりに印象が弱いのです。プロで生きて行くなら、「この人でなければ作れない」作品でなければならず、「この人しか演じられない世界」を作って見せなければならないのです。

 無論、それは大変な作業ですし、簡単に出来るものではありません。画家や作曲家が命を削るように苦しんで一曲一曲作品を作るように、マジシャンも、自身の考え方を凝縮させて、何が自分自身の考え方なのか、本当に伝えたいことは何なのか、を問い詰めて、独自の世界を作らなければ作品ではないのです。

 

 お終いに、スライハンドの考えとして、私の「傘出し」、の世界と、「蝶」、についてお話ししましょう。両作品は、私が39歳の時から作り始めました。無論それ以前にも、似たような手順を持っていて、舞台で演じてはいたのです。

 38歳の時(平成6年)に、二度目の芸術祭賞を受賞しました。受賞は喜ばしいことでしたが、内心、自分自身では満足のゆく舞台ではありませんでした。まだまだ独自の世界が出来ていないと考えるに至ったのです。

 平成6年のリサイタルでは、イリュージョン、トーク、手妻の三種類のマジックでショウを構成していました。然し、イリュージョンに関して言うなら、そろそろ、不思議なだけの世界に限界を感じていました。もっともっと深い世界を語れないだろうか。

 自身の考えをより深く掘り下げて、独自の世界を作ってみたくなったのです。

 ここから手妻の大改良が始まりました。自分自身の手妻の知識を一つ一つ見直し、従来の手妻を作り変えたため、とても時間がかかりました。どの作品も本来の手妻とは違い、私の世界を作るために種仕掛けから作り変えました。前半の作品は、真田紐の焼き継ぎと、ギヤマン蒸籠、そして二つ引き出しです。三作の手妻を柱として、そこに傘出しを入れ、細かな技物を加え、7分30秒の手順にしました。どの作品もこの手順のために新規に作りました。

 自分自身でも、この先ここまでの大改良はあり得ないだろうと考え、指物師に道具を依頼し、漆を塗り、蒔絵師に絵柄を描いてもらいました。当然、費用がとんでもなくかかりました。

 前半7分は、プロダクションマジックです。シルクや、傘が次々に出て来ます。プロダクションと言うものには、特別深い考えはありません。マジックの中でも原点となるものの考え方で、出すことそのものが目的であって、観客もただ物が出て来ることを面白そうに見ているだけです。

 それはちょうど、子供が、お菓子をポケットに入れて、1つずつ取り出しては摘まんで食べている状況と同じで、ポケットに手を突っ込んでお菓子を取り出すたびに、「まだお菓子はいっぱいある」と思って喜んでいる気持と同じです。食べても食べても減らないお菓子は子供の夢です。

 但し、私はそこに一つ哲学を考えました。食べても減らないお菓子が欲しいと言う願いは、「現世利益(げんぜ、りやく=仏教用語衆生のたわいもない望み)」です。根拠のない、ただの願望の世界です。

 神社やお寺に行って、大学受験を願うことや、健康を願うこと、宝くじに当たることを願うこと、全て現世利益です。神や仏は一人一人の些末な利益願望を満たすために存在しているのではありません。神仏の存在はとてつもなく大きなもののはずです。それを参拝客は実に利己的に考えます。

 然し、それが人です。利己的な考えもまた人の本心なのです。素直な、ものが出る喜びを、すべて赤色で表現しました。シルクも、帯も、傘も玉も、赤です。

 赤一色の世界を、後半の、蝶が飛ぶ手妻と対比させてみました。蝶は白の世界です。蝶の演技にプロダクションはなく、すべて変化現象で作られています。そこに利益を求める考えはなく、生きて行くさまが語られます。ものはひと時も同じではなく変化し続けます。変わらないものなどなく、変わることが常なのです。無常観の世界です。蝶の演技は7分30秒にまとめました。

 全く違う世界を紅白で表現しました。即ち、現世利益の世界が7分30秒、後半の無常観の世界が7分30秒です。

 そして、二つの世界を併せることで、赤と白の世界、即ち日本の国旗の色を表現しています。つまりどちらも日本人の考え方なのです。今では、傘出しだけを演じたり、蝶だけを演じたりもしますが、本来は、両方見ることで私の考えは完結します。

 いずれにしても、この手順は、不思議を見せることが目的ではなく、背景を語ることが目的なのです。単純にハンカチが出た、傘が出たと言うだけでは、長く見続けていると飽きてきます。如何に出ることが面白くても、理由がなければ見ていてつらくなります。「もっと深い考えで、演技を作るべきだ」。と言っても、元々の考えがなければ演技も出て来ません。

 手順と言うものは、まず自分自身に伝えたい世界が出来ていなければ、どんなマジックをしても、ただのマジックの羅列に過ぎないのです。

 共に7分30秒の世界を二つ、同時に制作したため、随分大変な作業になりました。しかし結果は良い方向に進みました。平成10年に、リサイタルで発表をして、これが文化庁の芸術祭大賞を受賞したのです。私のしてきたことを認められたことは有り難いことでした。何より、この事で、それから先の人生が開けたのです。

 以後、イリュージョンをやめ、手妻の世界に専念するようになりました。すると、手妻の見せ方演じ方は一層深まって、私の世界が出来て行きました。今の私の活動は、30代末から40代半ばの苦労が全て生かされて出来上がったものです。

 マジックを続けていると、とかく方向を失って、何をして行ったらいいのかが見えなくなるのは、一つ二つの不思議にこだわるあまり、自分が作らなければならない世界がおろそかになっているからです。手順を作ると言うことはタネのつなぎ合わせることではなく、どんな世界を創造するかにあるのです。

 と、こう書くと、「藤山さん、そんな風に言っても、結局不思議ならマジックになるでしょ。面白ければお客さんは喜んで見てくれるんでしょ。小難しいこと言っても、所詮受けりゃいいんでしょ」。と言い返されます。

 そうです、そうなのです。どんなマジシャンがいてもいいのです。どうしてもこう生きなければいけないとは誰も言えないのです。ただ、せっかくいいマジックを演じるマジシャンがいても、5年もすると、この社会からいなくなってしまいます。なぜいなくなったかと言うことを、当人も、周囲の人も誰も問わないまま、いつの時代も有能なマジシャンが生き残れずに消えて行くのです。

続く

 

 マジックマイスター

 明日、16時開場、16時30分開演、三鷹駅前、武蔵野芸能劇場。プロアマチュアが一緒になって演じるマジックショウ。当日3500円。残席僅か。