手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

どう残す。どう生かす 8

どう残す。どう生かす 8

 

 植瓜術(しょっかじゅつ)

 マジックの歴史の中で、最も古い作品は何かと考えると、確実にベスト5の中には植瓜術が入るでしょう。植瓜術は同じようなマジックが世界中にあります。インドではマンゴー術と言い、中国や日本では植瓜術と言います。要するに、最終的に生る果物が違うだけで、現象は同じです。

 欧米では、インドから伝わったとされる、マンゴー術という呼び名が一般的なようです。西洋式のものは、陶器の植木鉢に土が入っていて、始めは植木鉢と土があるだけです。土に水をかけて、全体に布をかけてしばし待ちます。

 布を取りと、小さな双葉が出ています。また布をかけてしばし待ちます。布を取ると、双葉が伸びて、弦になっています。何度か布をかけたり、水をかけたりするうちに、弦はどんどん伸びて行きます。そしてお終いにはマンゴーの実が生ります。

 現象が明快です。それだけにこの演技は喋りの面白さが評価を決定します。まさに私の演技にぴったりです。

 植瓜術を一芸として作り上げたいという考えは、30代の末にはすでに持っていました。然し、それを形にするには解決しなければならないことがたくさんありました。

 まず陶器の植木鉢と言うのでは、サイズが小さすぎます。舞台で演じるなら、もっともっと大きなサイズでないと見栄えがしません。

 次に土です。実際の舞台で土を使って、しかも土に水を撒くと言うのでは、必ず手が汚れます。汚れた手のままでそのあと他のマジックをすると言うのがきれいごとになりません。舞台で土や泥を使うと言うのはよほどの工夫が必要です。

 全体の構成は、平安時代に書かれた今昔物語の中にかなり詳細に出ています。また、江戸時代にこれを得意にしていた放下の演技などが残っていますので、おおよそのところは理解できます。

 物売りを主題として、怪しげな薬を売りながら、弦が伸びて行き、瓜が育って行く術を見せると言うのは、今となっては見ることのない世界ですので、貴重な面白い術になると思いました。

 こうした芸をリメイクするときに考えなければならないことは、どこまで古い形を忠実に残し、どこを変えて行くか、と言うバランスです。私の場合は飽くまで1000年前から行われているかのごとき形式を残して、その中に今のお客様が退屈しないように、少しずつくすぐりを入れるようにしています。

 然し、そうは言うものの、実際の昔のやり方は、地面を掘って、土を柔らかくして盛り、そこに種を植え、水を撒くところから始めます。大道芸ですから、地面を適当に掘って種をまくのは何でもないことですが、舞台の上でそれはできません。さてどうしたらいいものか。いきなり初手で考えは止まってしまいます。

 西洋ではそれを小さな植木鉢を利用して、すべてを植木鉢の中で行います。しかしどうもそのやり方は美しさを感じません。植瓜術を演じているところを、日本画家の絵師が見たなら、思わず描いてみたいと思わせるような、美しい世界を見せなければ価値がありません。

 まず私は簡易な折り畳み式の木枠の台を作りました。これで40㎝くらいの高さを作ります。こうしないと舞台では何も見えないのです。台の上には、大きな笊(ざる)を乗せました。笊には漆を塗り、見た様、古風な色合いにしました。

 この笊を通常の地面に見立てて、そこに土を盛ります。但し実際に土を持ってくると舞台が汚れます。そこで鳥の餌になる、粟粒を土に見立てました。粟粒は遠目に見ると荒い砂に見えます。見た様も黄色くてきれいですので舞台で使うにはちょうどいいと思います。

 実は、長年、植瓜術をやりたいと思いつつも、手ごろな砂の代わりになるものが見つからないために、工夫がストップしていたのです。粟粒を見つけ出したことで一気に問題が解決しました。

 枠の台の四隅には穴があいていて、細い竹を差し込めるようになっています。竹は4本を端で縛ってあり、枠に竹を立てるとピラミッド状の四角錐が出来ます。この竹に風呂敷を巻くことで遮蔽を作ります。

 これでようやく全体像が出来ました。これら一式を大きな風呂敷で包んで、いかにも大道芸人のように見立てて風呂敷を担いで舞台に現れます。

 

 太夫「これよりご覧に供しまするは、植瓜術にございます」。

 才蔵「大夫さん、植瓜術とはどのような術ですか」。

 太夫「これは奈良平安の頃より伝わる、一粒万倍の術です」。

 才蔵「いちりゅうまんばいですか、一粒万倍ねぇ、あの、一粒万倍って何ですか」。

 太夫「君ね、知らなかったら始めから聞きなさい、一粒とはひとつぶの種でひとつぶの種を撒くと、万倍の果実がなる。これが一粒万倍」。

 

 と、こんな会話で進行します。風呂敷を巻いたり外したりするうちに、双葉が生り、弦が伸び、弦が四つ柱の竹に絡みつき、やがて上からたくさんの瓜が生ります。お終いに風呂敷を取ったときに弦が四つ柱に絡みついて、上からいくつもの瓜が生った姿はとても美しく、暑中見舞いのイラストに描いても様になるくらいです。

 私はこの作品を作るにあたって、実際インド人でこれを演じている人の映像を見ました。演技と言うか、通行人を相手に、緩慢な演じ方で、一時間くらいかけて見せていました。インドや、江戸時代の日本なら一時間かけて演じるのもやむを得ないでしょが、現代の舞台奇術で一時間は長すぎます。私はこれを15分で演じています。

 それでも15分は長いです。かなりテンポを速めて、極力無駄を省いてお客様を飽きさせないように工夫して演じています。15分間掛け合いをするわけですから、弟子の喋りの勉強には最適です。幸い好評ですのであちこちで演じています。

 恐らく植瓜術は明治の時代に廃れて、演じ手がいなくなったものと思われます。芸としての作品がだめなのではなく、怪しげな薬を売ることが流行らなくなったため、演じられることが無くなったのでしょう。

 舞台で手妻を演じる人たちは、大道の物売りの芸を演じたがりません。洗練されていないためでしょうか。私は、これを復活させて良かったと思います。この作品には手妻の原点があります。種仕掛けも、掛け合いも、ぜひとも残すべき作品です。

続く