手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

創作をする 3

創作をする 3

 

 アレンジなり、創作なりをするときは、今ある作品の、何が問題でどう直せばよいか、がはっきりわかっていなければ創造する意味がありません。ただ闇雲に改案を考えても、演技が生かされることはありません。

 アレンジで大切なことは、長所は伸ばして、短所を改良することです。当たり前のことですが、それを常に心がけていれば、アレンジは出来ます。

 然し、喋りネタの創作となると、また別のセンスが求められます。今では、私が頻繁に演じる、植瓜術などはその典型的な作品です。この作品は、1300年以上昔からある、いわば、マジックの原点と言うべき作品です。

 これと類似した作品は世界中にありました。欧米ではこれをマンゴー術と言い、インドから伝わったマジックとして今でも資料が残っています。中国、日本では、マンゴーではなく、瓜を使います。然し、現象はほぼ同じです。

 ところが、私は実際の植瓜術は見たことがありません。古い文献に書かれているものを見ただけです。マンゴー術は、ターベルコース(マジックの指導書)に出ています。

ですが、これを参考にして、誰か演じていたのか、というと、演技を見ることはありませんでした。少なくとも、1945年以降。中国でも、欧米でも、植瓜術の演技は見ることのないマジックになったのです。

 日本でも江戸から明治にかけて、これを演じていた大道芸人はいたのです。職業図鑑に、挿絵付きで地面に囲った小さな屏風の中で、瓜を育てている図が出て来ます。その図を見ると断片的に演技は分かります。更に、今昔物語(こんじゃくものがたり=平安時代に書かれた随筆)の中に、大道で植瓜術を演じている話が出て来ます。内容はかなり細かくて、当時の口上までもが書かれています。

 ところが、肝心の種仕掛けがわかりません。大道芸であれば、四方囲まれた中で種をロードしてこなければいけません、それをどのようなやり方で持ってきたのか、そこにはきっと素晴らしい工夫があったのではないか。そう考えると、何とかその手がかりでもどこかに残っていないか。とあちこち探します。

 そのうち、インドで実際にマンゴー術をしている大道芸人のビデオがあると言う情報を聞き、知人からそのビデオを譲って頂きました。私は、「これで1300年の歴史が解き明かされる」。と胸を弾ませ、期待を籠めてビデオを見ました。

 この大道芸人は、商店街の道に座り込み、地面に穴を掘り、掘った土をそこに盛って、土に種を入れます。そして、壺に入った水をかけ、大きな黒布を上から掛けます。なにもしないと間がもたないとみえ、デンデン太鼓のような、子供の太鼓を右手に持って、上から何度も振って、鈍い太鼓の音をさせます。これが呪いなのでしょう。

 神秘的な笛の値でも聞かせてくれたなら、太古の歴史を想像させ、ぞくぞくして来るのですが、紐の先に小石が付いていて、振ると小石が太鼓をぽこぽこ叩いて、鈍い音がする子供の玩具は間抜けです。

 しばらく経ってから黒布を開けると、土の上に小さな双葉が出ています。魔法が始まったのです。しばらく通行人に見せた後、又、黒布をかけます。そして、水をかけ、太鼓の呪いをします。然し、黒布の時間が長すぎるのか、通行人が散ってしまいます。

 この芸は、初めからずっと見ていないと、不思議さが分かりません。それでも、インドの奇術師は、淡々と演技を行い、やがて弦(つる)が出て来ます。ところが、現象を一部始終見ている観客がいないため、誰も驚きません。何度か同じ動作を繰り返し、その弦が伸びて、途中、水が聖水であると言うようなことを言って、水を売りますが、この状態では売れません。散々いろいろあって、マンゴーが出来ます。

 残念ながら、この時の撮影では観客がほとんどいないため、全く段取りだけを見せたような結果になり、物も売れず、喜ぶ観客もなく、延々2時間近くもかけて演じられたマンゴー術が、如何につまらないものかということだけしか伝わって来ませんでした。

 

 私は、マンゴー術のビデオを見たなら、きっと歴史的なマジックが解明され、私の創作に大きな弾みがつくものと思っていましたが、実際は後悔ばかりが先立ちました。正直言って、「こんなマジックを残す価値があるだろうか」。と思いました。1300年の歴史あるマジックではありながら、実際に見ると、もう完全に形骸化してしまい、歴史の役目を終えてしまったように見えます。

 然し、気を取り直して、頭をニュートラルにして、一から創作を考えました。先ず題名である、植瓜という看板だけを残し、全体を組み立てて行きます。先ず種は、「紙うどん」とか、「笹の葉が金魚になる術」と同じで、「変獣化魚術(へんじゅうかぎょじつ=木ノ葉が魚に変わる、草鞋が子犬に変わる)」であることは理解できました。すなわち交換改めです。1300年も前の芸ですから、複雑な仕掛けやタネはありません。但し、弦や瓜をどうホルダーに収めておくかは謎です。ここはかなり想像力が求められます。

 先ず、演技を四つの山場に分けました。まず第一段は、何もない土から双葉が出る段。二つ目が弦が伸びる段。三つ目が弦が四隅の竹の棒を伝って伸びて行く段。四つ目がたくさんの瓜が生る段。

 この四つの段に肉付けをして、面白い話を付ければ何とかこのマジックは出来ると判断しました。

 但し、大きな問題があります。それは、なぜこのマジックを現代のマジシャンが演じないか。ということの疑問とつながっています。それは、土を使うからです。実際に手で土を盛ったり、水をかけたり、そこから芽が出たりするたびにマジシャンは土を掴まなければいけません。そのたびに手が汚れるのです。

 大道芸なら手が汚れることは何ら問題はないのですが、ステージマジシャンがこれを演じると、後のマジックを汚れた手で演じなければならず、芸が汚れます。つまり、大道芸をステージに上げると言うことは、いろいろな点で不都合が生じるのです。

 そこで、私は土を使うことをやめました、代わりに鳥の餌、粟(あわ)の実を使いました。粟であれば遠目に土に見えます。手は汚れません。大道の芸をなぜ舞台で演じないか、その理由を解決しない限りステージマジックにならないのです。

 欧米では、花鉢の中に、マンゴーや弦を隠しておいて、その上から土をかけて、何もない花鉢に見せて、布をかけて、手を突っ込んで、芽を出し、弦を出し、やがてマンゴーを出すと言う演技をしていましたが、それだと花鉢の中は一切改めることがありません。そうなると、不思議さは薄いと言うことになります。

 私の植瓜術では、初めから空(から)の大きな笊(ざる)を見せ、そこに土(鳥の餌)を盛り、四隅に竹の棒を立てて。そこに黒布を巻き、小さなテントを作ります。その中で、芽が出て、弦が伸びて、瓜が生ります。恐らく、このやり方が1300年来のやり方のはずです。ではそれをどうやるのか、そこはまた明日。

続く