豪雪、UGMの山本さん、
豪雪
この数日間は日本海側はものすごい豪雪で、青森では2mの雪が降ったそうです。私が子供のころ、豪雪地帯で、二階から出入りしていた映像を見たことがありましたが、今回、まさにそれが繰り返されることになりました。
新潟県の柏崎では国道8号線がまったく身動きできなくなり、3日間にわたってドライバーが取り残されました。自衛隊が出動して、手作業で雪かきなどをして昨晩ようやく再開したようですが、取り残されたドライバーも気の毒ですが、酷寒の中をシャベルで道路の雪かきをした自衛官の皆さんの、献身的な努力を讃えるべきでしょう。
今から30年前、金沢に大雪が降った年に、金沢にあったマジックメーカー、東陽マジックが2mの雪に埋もれ、一か月間一人もお客様が来なかった、と言う話を後で東陽さん自身から聞きました。
何しろ家の前から2mの雪が積もり、雪かきが出来なくて、ずっと閉じ込められたままだったそうです。東陽マジックは金沢の兼六園のすぐ近くで、観光客も多く通る所ですが、そんな繁華な地域ですら、雪が降ればどうにもならなくなってしまうのですから、雪国は大変です。
明治時代のことですが、名人と言われた三遊亭圓朝が、両国の寄席に出ることになり、真景累が淵の通しを連夜続きで語ることになりました。日本橋に住む圓朝贔屓のある旦那は、毎晩両国まで歩いて通って圓朝の噺を聞いていましたが、五日目の晩に大雪が降り、とても歩いて両国に出かけるような状況ではないと知ります。
それでも前の晩に聞いた圓朝の噺が、その後どうなるのか知りたくて、もし自分が今日を休んだら、一生後悔するのではないかと思うと、居ても立ってもいられずに、高下駄を履いて、雨具を着て、傘をさして夕方に出かけます。
ところが両国橋の袂まで来て、いよいよ雪が深くなって全く前に進めなくなり、しばし両国橋に佇(たたず)み、「うーん、圓朝を恨む」。と言って帰って行ったそうです。良い世界です。
一面銀世界で、前は墨田川、当時の両国橋は木造で、大きな太鼓橋ですから、雪が積もったら傾斜がきつくて危なくて歩けません。そこで蛇の目傘を指して、トンビのコートを着て、高下駄を履いた旦那が、橋の袂に佇み、じっと向こう岸に両国をにらむ姿は、絵のような風景だったでしょう。あぁ、こんな時代の東京を体験してみたい。ここまでの贔屓がいたなら圓朝も幸せな芸人です。
UGMの山本さん
数日前に山本勇二さんが亡くなったと言う知らせを受けました。享年72。長く闘病生活を続けていたようで、若いころはプロ活動をしていて、名古屋近辺のキャバレーに出演を続け、その後マジックショップUGMを立ち上げ、中京地区のマジック愛好家に大きく貢献をしました。
ショップ主催のコンベンションを毎年開催し、ままだ名前のなかったリ・ウンギョルや、ユ・ホジン、などをコンベンションに招き、日本の愛好家に知らしめた功績は大です。
私との縁は、キャバレー時代は知ることがなかったのですが、山本さんがショップを出し始めてから縁が付きました。特にコンベンションを始めたとき、同時に私がSAMの日本地域局を起こし、日本中でSAMの世界大会を開催している時でした。立場上ライバルになるのですが、海外に出かけると、会う機会も多く、よく一緒に食事をしたり、アルコールを呑んだりしました。
その後、店は息子さんに譲りましたが、同時に娘婿に峯村健二さんを迎え、息子さんと峯村さんの二人三脚で UGMを維持することになり、万全の体制を築きました。峯村さんにとってラッキーだったことは、山本さんの会社に迎えられたことで、不安定な舞台生活の心配をせずに、周囲に熱く守られながら舞台活動を続けられたことにあります。傍で見ていても幸運な人と言えます。
それは同時に、UGMの会社の信頼にも結び付き、海外で出店をしても、各国の若いマジシャンがUGMショップに集まり、賑やかな活動が続きました。ある意味、山本さんが果たせなかった夢を峯村さんが果たしたことになり、山本さんは幸せだったでしょう。
私と会って話をするときでも、必ず話題は峯村さんの事になり、「峯村は今度フランスのテレビに招かれてね」。などと自慢げに話していました。ショップの経営も順調で、なおかつ娘婿の舞台活動も忙しく、山本さんにとっては幸せな時代を経験したことになります。
その後のコロナ騒動は、山本さんにとっても不幸なことだったと思いますが、今はショップを息子さんが受け継ぎ、峯村さんは舞台と指導で活躍しています。立派に後継者が山本さんの後を受け継いでいますので、山本さんからすれば悔いのない人生だったろうと推察されます。
世の中の景気はなかなか良くならず、うっとおしい日々が続き、亡くなる人もちらほら出て来て、どうも重苦しい毎日です。人を集めることが憚られ、葬式も満足にできないとなると、昔をしのんで、仲間が集まると言うこともなかなかできない状況です。
この閉塞感はストレスが溜まります。誰でもいいから、たくさん人を集めて、思いっきり派手な葬式をやってくれないかと思います。葬式は死んだ人のためにあるのでなく、残された人のためにするものです。残された人が死者との関わりを話し合い、互いに長く生きてきたことを確認し合い。そしてこの先どう生きて行こうと、仲間と話し合う場なのです。
葬式に笑ってはいけないなどと言う人がありますが、とんでもない、昔の楽しい思い出を語り合って、ワッと笑って懐かしむことは決して不謹慎ではありません。楽しい思い出をたくさん提供してくれた死者はいい人なのです。善業を施すから人は集まり、笑いが生まれるのです。
仲間と語り合うことは出来ませんが、山本勇二さんとの楽しかった日の思い出に一人浸りつつ、合掌。
続く