手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

来客は楽し、峯ゼミは盛況

来客は楽し、峯ゼミは盛況

 

来客は楽し

 毎日誰かが訪ねて来ます。日々の仕事の合間にそうした人たちとお茶を飲んで話をするのが楽しみです。

 一昨日(11月6日)は、朝に大樹が訪ねて来ました。何かの演出で、衣装が必要だそうで、私の後見の衣装を持って行きました。数日前も大樹は訪ねて来ましたが、このところ頻繁にやって来ます。急な用事なのでしょうか。いずれにしても俄かに忙しくなってきたようで、忙しいのは幸いです。

 朝10時から、学生の、錦君と、高木君が稽古にやって来ました。ちょうどいいので、大樹と一緒にお茶をしました。彼らにとって、プロマジシャンからいろいろな話が聴けることは、将来にも随分といい影響を受けることになるでしょう。何の話をするわけでもなく、ただ30分、一緒に時間を過ごすと言うことが実は後々とても貴重なのです。

 ちょうど私が、20代でアメリカに行って、チャニングポロックハイボールを飲んで話が聴けた時のように、マジシャンの傍で話が聴けたことは一生の思い出です。

 

 午前中は二人の指導をして、午後になって、同じく学生の谷水君が来て、三人一緒に午後の指導を始めました。指導内容は、卵の袋です。私が、20代からトークマジックをしていたときに得意で演じていたもので、マックスマリニーの手順をアレンジしたやり方です。これでどれほど稼いだことか。

 私の一門では必ず習得する手順です。実際この手順は、殆どの弟子が一番役に立っている演技ではないかと思います。

 日本では卵の袋を演じるマジシャンは少ないのですが、これほど角度に強く、場所を選ばず、効果の大きなマジックはそうはありません。特に喋りの好きな人ならぜひ覚えておくべき手順です。

 とは言っても、マジックは縁ですから、縁がなければ覚えられません。もっともっと日頃、アンテナを張って、いろいろな人の演技を見ておくことは大切です。

 

 夕方に穂積みゆきさんが来て、頼んでおいた傘のホルダーを届けてくれました。一日人の出入りの多い中、前田は、天一祭や、大阪マジシャンズセッション、1月のヤングマジシャンズセッションのパンフレット作りをしています。これも弟子修行の一環です。毎日毎日あわただしく活動をするうちに一日は過ぎて行きます。

 

峯ゼミ盛況

 昨日(11月7日)は峯ゼミでした。私は先月休んでしまいました。ところが、前田が事務所に戻ってから、峯ゼミが素晴らしかったと興奮気味に語っていました。

 実は、日本人の多くは漠然と峯村さんを理解していても、本当の才能を知らないのです。彼は手順を理論構築して行きます。まったく、数学の方程式のように、理詰めで結論を導いて行きます。こうした考え方は、多くの芸能で生きる者には不得意です。

 私なども、ついついハンドリングを雰囲気で解決しようとしますが、多くは、解決したつもりが成功していません。ついつい無理を重ねてしまうのです。

 今回はカラーボールの変化を手順にしていますが、その演技は驚きの連続です。紅白のボールと、緑のボール。それに赤のシェルと青のシェル、たったこれだけのボールなのですが、手に持った白白のボールが、白赤に変わり、赤赤になり、一つ増えて、赤白赤になり、次の瞬間には白赤白になる。白を右手に握ると青になり、右手に持っている玉が順に青に変わり、お終いは青赤緑白に変化します。

 目まぐるしく変化が連続しますが、手順が整理されているために複雑さが感じられません。ごく何気にカラーチェンジが進み、四色ボールになって行きます。

 しかも、彼の手順には四つ玉の常套手段である、シェルとボールを親指と人差し指に持って、中指でボールをずり上げ、ずり下げて、増やしたり消したりする動作がほとんどないのです。このやり方が、どれほど四つ玉を堕落させたかは言うまでもありません。安易に増やせることが、四つ玉の芸を価値の低いものにしたのです。

 無論彼はそのことを承知です。彼の手順を解説されると独自の解決方法が次々に出て来ます。受講者が喜ぶのは当然で、全くこれだけの作品を作り上げ、指導できる人が世界中にどれだけいるでしょうか。大変な高レベルな指導です。

 13時から16時までみっちり3時間。練習と受講をしてこの日は終わり、そして二月からは半年間。シルク手順をします。受講者はほぼ全員参加します。

 いい流れになってきました。これまで人から習うことに対してあまりに安易だったものが、習うこと、継承することの大切さに気付いたようです。実は日本人がそこに気付くことが、この先日本人のマジック界の地位を底上げするのです。

 へんてこな手順を作ることがえらいのではなく、きっちり基礎を学んで、そこから自分の考えを構築して初めて分厚い演技が出来るのです。

 

 さて4時半にスタジオを出て、峯村さんと前田、そして私は電車を乗り継いで両国へ、この晩はちゃんこ鍋を食べました。かつて寺尾と言う二枚目の相撲取りがいましたが、寺尾が経営するちゃんこ屋さんで名前も寺尾です。

 寺尾さんの奥さんが美人なのですが、残念ながらこの日は会うことは出来ませんでした。

 私は15年前から両国の回向院(えこういん)脇で年に春と秋に、両国祭りと言う企画を開催していました。ショウを演じる舞台を野外にこしらえ、たくさんの芸能の皆さんに出ていただき様々な芸能を披露しました。

 ただし残念ながら、3年前に終了しました。その頃、寺尾さんには良く行きました。

 味は醤油と味噌と塩がありますが、私の好みは醤油味の鳥鍋です。少し濃いめの汁に鶏肉と野菜を入れて熱々の中を食べます。中でも絶品なのは鶏肉のミンチを匙で掬って、玉にして鍋の中に入れます。ニンニクが入った濃いめの味付けのミンチがいい味を出して鍋全体を引き締めます。

 峯村さんも前田もこれには満足でした。少し寒くなって来て、酒が恋しいころに、鍋を突っつきながら酒を飲むのは最高です。峯村さんも指導で緊張していたものが、ここでようやく穏やかな顔になりました。

 この濃いめの醤油味の鍋は、峯村さんの地元、信州の鍋に通じるところがあり、彼にとっては郷愁をそそる料理だったようです。三人は体も温まり、十分満足して帰りました。

 こんな日があることは幸せです。

続く