手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

M1、鎌倉殿、

M1、鎌倉殿、

 

M1

 一昨日の日曜日、夜からずっとテレビを見ていました。先ずM1グランプリを見て、そのあと録画しておいた鎌倉殿の13人の最終回を見て、その後サッカーのフランスアルゼンチン戦を見ました。これだけ人を感動させる芸能、スポーツが家でただで見られるのですから、日本人は幸せです。

 

 先ずⅯ1ですが、私個人は7年くらい前から少し笑いに関しては醒めて来ています。今笑いの世界は過熱していて、かつての50倍、いや500倍くらいのお笑いタレント、或いは予備軍がひしめき合っています。

 私の体験していた、1980年代の松竹演芸場の頃、すなわちツービートや、セントルイスさんの時代なら、東京にせいぜい100組程度の漫才コントしかいなかったのですからのどかです。その時代の漫才ネタなどと言うものはナンセンスで、およそ人間の心理を深く抉ったものなんてあるわけがなくて、聞いた傍からはははと笑って、忘れて行くようなものばかりでした。

 その時代はまだ落語に勢いがあって、落語支持者がたくさんいました。落語は今でも笑いを作るときに、与太郎と言う、頭の足らない人が出て来て、ご隠居さんから聞いた挨拶の仕方などをよそでやって、次々に失敗します。それを観客は笑うのですが、思えばいい時代です。

 今は知恵遅れの人を笑うことは差別になります。第一、知恵の遅れた人が失敗するのは当たり前なことで、それをネタに笑うと言うのは憚られることです。そうなると、笑う方でも無責任に笑えなくなります。

 現代の笑いは、古典落語のようなバカの失敗を笑うと言う、あからさまな笑いは出来ないのでしょう。ここにセンスを求められます。そうなると何を笑うか、誰を笑うか、と言うと、学校や会社にいる、ごく普通の人で、少し部分的に偏った考えをしている人を見つけて、そのはみ出た部分を笑いにしています。漫才なら、片方が、その偏った人格の役を演じるわけです。もう片方は理性的な役を演じます。その二人の会話の微妙なずれから笑いを作るようです。

 ずれた人格は、当人には自覚がありません。二人の会話は、二人とも正常だと思い込んでいる会話です。日常の、正常男子同士の日常会話に潜んでいる、異常さを笑いにネタにしているわけです。

 表向きは互いに普通を装い、明らかなバカ、明らかな異常者ではもう観客は笑わないのです。漫才を見ている観客が、「もしかしたら、日ごろ自分が行っていることは、異常なことで、陰で笑われているのではないか」。ひょっとしたらと、思い当たるようなネタが面白いのでしょう。笑いのターゲットは見えにくくなっていますが、実は見た様のバカを笑うのではなく、現代の与太郎は観客の心の中に存在しているわけです。

 笑いは演者が膨大に増えたことで、極めて知的な世界になって来ています。今となってはよほど頭のいい人でないと、この世界では成功しないでしょう。

 然し、人が増えたことは、それだけ生き残りのために熾烈な戦いをしなければならないらしく、最近の漫才を見るとあからさまに攻撃的で、他者否定が目立つようになってきています。当人の生き残りのためにはそれも必要なのかもしれませんが、それを見ている観客は複雑な気持ちになります。

 又細かなディテールなどにこだわって、役を仕分けようとする演劇青年のような漫才が出て来ます。笑いを作るためにそんな必要はないはずで、明らかに、食えない役者が、俳優に見切りをつけてお笑いに転向してきたんだな、と思います。

 何にしても、人が増えた分、いらない人も又増えて来たようです。正直、今回の番組でも、7000数百組の申し込みの中から選ばれた9組の漫才を見ても、必ずしも全部が全部面白いとは思えません。私の芸能に対する理解が遅れているのでしょうか。そう思うと、最近は興味も遠のいてしまいました。

 一昨日は久しぶりに見ましたが、かつての昭和の漫才が懐かしく思えるばかりでした。テレビのクラシック音楽番組を聴くたび、「あぁ、フルトヴェングラーが聴きたい。メンゲルベルクが聴きたい」。と思うのと同じく、あぁ、ルーキー新一、ミッキーオサムの名人芸の漫才が見たい。東京コミックショウの徹底したナンセンスな舞台が見たい。松鶴家千代若、千代菊のまったりとした、悠久の時間を感じさせるような舞台が見たい。と思うのです。

 

 鎌倉殿の13人

 鎌倉時代の頼朝の死後を大河ドラマにして、しかも高視聴率だったと言うのはものすごいことです。鎌倉時代でドラマになるのは、頼朝決起から平家打倒。義経の胸のすくような活躍。それを妬んだ頼朝、義経の確執。その後、頼朝が征夷大将軍となりめでたしめでたしで終わるのが常です。つまり面白いのは頼朝の一生です。

 頼朝の死後、関東は、武士同士で戦いを繰り返し、殺戮と謀略を繰り返します。京都の貴族たちがなかなか武士の政権を認めたがらなかったのも、何かと言うと戦いでことを決しようとする関東武士は、貴族から見たなら未開の原住民だったのです。あんな低俗な人間どもが日本を治めるなんて。理解が出来なかったのです。

 実際そう言われても仕方のないほど頼朝以降の鎌倉は殺戮を繰り返します。和田、比企、熊谷、と言った豪族が滅ぼされたのも、一体何のために殺されたのかが分かりません。まるでやくざの抗争の如く、単なる内部争いなのでしょう。更には二代将軍頼家、三代将軍実朝までもが殺されて、結局源氏の継承者は絶えてしまいます。

 せっかく貴族から政権を奪い、武士の時代を作った頼朝の、その子供たちの命を家来が奪ってしまうと言うのはどういうことでしょうか。明らかに頼朝以降の鎌倉は狂っています。日本史の中で鎌倉時代は一番語りにくい世界です。

 結局、北条一門が執権として残ったのも、何で北条が残ったのかと、理由を問うても答えなど出ないでしょう。力のあるやくざが生き残ったのであり、北条政子はやくざの姉御のような存在だったのでしょう。承久の乱に際して、政子は武士たちに演説をぶち上げましたが、ドラマでは綺麗な話し方でしたが、本当は、居並ぶ武士をビビらすほどの脅しをして見せ、「姉御は怖い」と、思わせたのでしょう。すべては力の世界のルールなのです。

 ともかく、矛盾をはらみながらも何とか多くの日本人に理解してもらえるような内容で放送されました。めでたいことです。実際には首をかしげてしまう部分もあったように思いますが、私が何を言っても始まりません。とにかく一年間見続けて面白かったのですから、感謝をしなければいけません。NHKさんありがとうございました。

続く