手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

峯ゼミとワールドカップ

峯ゼミとワールドカップ

 

朗磨君の大学合格

 昨日(12月18日)は毎月開催している峯ゼミの日です。峯ゼミの前に、私は午前中から私の指導がありました。毎月私のアトリエに通いに来る、朗磨(ろうま、18歳)君、と、弟の入谷(いりや、17歳)君です。ともにロシア人のハーフで、日本生まれですので普通に日本語を話せます。幼いころからお父さんの指導でマジックを覚え、お父さんはアマチュアながら、頻繁にボランティアなどの舞台に立って、子供さんを指導してきました。

 それが、どういう気持ちの変化からか、朗磨君が手妻の面白さに気付き、2年前から私のところに習いに来るようになりました。

 そうこうするうちに、弟の入谷君も手妻をやりたくなったようで、今年の夏から稽古を始めました。彼ら二人は群馬に住んでいます。毎月一回、高崎線に乗って、朝早くに通いに来ます。

 その朗磨君が、今月、学校推薦で日大芸術学部の面接を受けて合格しました。来年から下宿生活をするそうです。これで頻繁にマジックショウを見に行くことも出来ますし、私のところに習いに来ることも出来ます。朗磨君にとってはめでたいことです。

 そこで、今日は、峯村さんに頼んで、入学祝に峯ゼミ体験入学をさせてあげることにしました。12時に稽古を終え、そこから田端へ、1時20分に峯ゼミ到着。ここから二人の峯ゼミ初体験です。

 

峯ゼミのカード

 今回で二回目のカードマニュピレーションの授業です。参加者は10人、体験入学者が二人です。峯村氏は「私はカードは苦手だ」。と言っていましたが、どうしてどうして、氏の個性的な発想はカードでもいかんなく発揮されています。

 先ず、師は自身の体験や、見聞きした演技、それに昔の書籍などから一度演技や技法を取り出して、ばらばらに解体して、それを自身の考えを通して、手順を組みなおします。このため、毎回指導する手順やハンドリングは、師の考え方がはっきりと見えていて、今までのカードマニュピレーションにはなかった手順、技法が出て来ます。

 氏の指導を見ていると、私なぞは、私なりにアレンジを加えたと言っても、余りに古い形式の中で形式を崩さずにものを考えていることが分かります。一つのハンドリングに対して、疑問を持ったらどうしたらそれを変えられるか、真剣に考えて、大胆に手順を変えるなどして答えを出していますし、似通った演技でも、どうしたら違ったものになるのかを考えて、はっきりとした答えを出して、演技を作り直しています。

 私はつくづく峯ゼミを開催してよかったと実感しています。ここまで深くスライハンドのハンドリングや手順を突っ込んで研究している集まりが日本にあるか、と言えば、間違いなくここだけでしょう。こうした集会があることそのものが日本のマジック文化の深い証なのです。

 当然奥深い世界は理解者は限られます。人がわんさか集まる世界ではないのです。でも、その価値は参加者が十分に理解しています。やはり峯村氏は日本を代表するスライハンドマジシャンです。

 今回は、5枚カードを手順として作り直しています。5枚を4枚に変え、ファンしたデックを左手に持ち、空の右手から1枚又1枚とカードを出します。出したカードはファンに挟んで保持します。4枚並んだところで、デックはファンを閉じ、揃えますが、そこで空の手から今度はカードが数十枚ファンになって出現します。これが3回4回と続きます。その都度右手は改められるのですが、ファンが出現します。

 あまり詳細は申し上げられませんが、このハンドリングは私としては、生まれて初めて体験するものでした。天海師の技法に似たところもありますが、あくまで氏独自のものです。長くマジックを続けて来て、まだ新しい技法を知ることになるとは、驚きです。良い体験をしました。

 

 さて指導終了後、高校生二人と峯村氏、それに大成の5人で食事をしようと思ったのですが、まだ高校生ですので居酒屋などには連れて行けません。田端でのレストランは限られます。やむなくガストに行き、ハンバーグを頼みました。みんな大人しくガストで食事をし、6時に解散しました。

 

 サッカーワールドカップ

 家に帰って、鎌倉の13人の最終回を録画し、裏番組のM1を娘と見ました。娘はお笑い大好きです。この鎌倉とⅯ1に関しては明日感想を書きます。

 その後、深夜12時から、ワールドカップの決勝、アルゼンチン対フランスがありました。私は家に帰ってからはずっとテレビを見続けたことになります。

 さて、情報は既に伝わっていることと思います。前半はアルゼンチンの圧倒的な攻めでフランスがたじたじ、メッシと言うスーパースターが大活躍し、PKで一点、そのあと更に一点取って、前半はアルゼンチンが二点を撮りました。

 「あぁ、これではフランスは勝負にならないなぁ」。と思っていると、後半戦になって。フランスのエンバぺと言う主力選手が大活躍をします。黒人選手で24歳と言う若さ。このエンバぺが後半開始早々PKを取り、一点戻します。更にその1分後、一点を取って同点にします。これで勝敗は見当が付かなくなり、そのまま同点で試合は終わり、延長戦になります。

 延長戦になって、アルゼンチンのメッシ、フランスのエンバぺが、ともに一点を取って、3対3.一向に勝負がつきません。PKに発展します。PKでようやくアルゼンチンが勝利しました。いやはや歴史に残る大勝負でした。負けたフランスは悔しかったでしょうが、この戦いを見た人なら誰一人、フランスの選手をなじる人はいないでしょう。実に立派な戦いでしたし、世界中のサッカーファンを十分に楽しませてくれたのですから。

 ドーハの会場にフランスのマクロン大統領が来ていて、フランスが一点取るたびに立ち上がって、拍手をし大声を上げていました。何と言っていたのかは聞こえませんでしたが、多分「ブラボー」と言っていたのでしょう。長友選手のような雄たけびのぶらぼーではなく、きっと、フランス語特有の鼻に抜ける上品なブラボーでしょう。

 次のワールドカップではどこまで日本が行けるのか、楽しみです。

続く