手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ネットのファッショ

ネットのファッショ

 

 私は小林賢太郎さんと一緒に仕事をしたことがあります。もう20年くらい前、私がNHKの演芸番組に出演したときです。当時小林さんはラーメンズと言うコンビでコントをされていて、番組内で進行役をしていました。

 他のテレビ番組でも、このコンビのコントを見たことがありますが、風刺が効いていて、知性のあるコントでした。当時のコントはナンセンスなものが多かった中で、この二人だけはちょっと異質でした。単語にこだわったり、日常を客観視して冷めた目で見て、その不自然さを笑いにしたり、その後のコントが目指すスタイルを早くに表現していました。特に知性的と言うところがNHKにも気に入られていて、進行役に抜擢されたのだろうと思います。

 

 私とは至って薄い縁でしたが、ラーメンズさんのコントは興味があって、その後も折々見ていました。

 その後、最近になってラーメンズを解散したと言う情報を聞き、更に、オリンピックの演出に選ばれたと言うニュースを聞いて、正直驚きました。

 「コントを演じていた小林賢太郎さんが、オリンピックの演出を手掛けるとは、大出世だ、必ずしも多くの人に支持されるタイプのコントとは思えない、いわば玄人受けのコントを演じていて、ここまで来たことは正直すごい。いや日本の観客も芸能を評価する審美眼を持っていたのだ」。と思いました。

 ところが、そう思ったのもつかの間、たちまち昔のコントネタから、ユダヤ人差別のネタが出て来て、騒動になり、オリンピック委員会は直ちに小林さんを解任。

 これは一体どういうこと。

 

  これまで一連のオリンピック関係者の騒動は、例えば森喜朗JOC会長の辞任も、開会式の総合統括者の佐々木宏さんと渡辺直美さんとの豚騒動も、まぁ、結果としてやむを得ないのかな、と思います。

 但し、どちらも早くに真摯に謝罪していれば、さほどに大きな問題にはならなかったのではないかと思います。両人ともに女性蔑視を軽く考えていて、当初、冗談で返したり、表立って謝罪しなかったために問題をこじらせてしまったと思います。

 そして、その後に出て来た小山田圭吾さんの障害者いじめは、もう犯罪です。これはいかに昔の話だとは言え、許されるものではありません。辞任は致し方ないと思います。

 然し、更にその後、出てきた小林賢太郎さんはどうでしょう。ホロコーストを昔のコントでネタにしていた。ホロスコートユダヤ人の大量殺害)は重大な差別であることは事実です。然し、コントの流れの中の話を、ホロコーストと言っただけで差別と決めつけるのはいかがなものでしょう。

 それを言ったら、ツービート時代の北野武さんのネタは差別だらけです。ブス、ばばあ、やくざ、うんこ、言いたい放題だったのです。

 然しです。然しながら、漫才、コントで言ったことを即、差別と決めつけるのは、漫才の芸能を理解していないとしか思えません。漫才は、片方が問題発言をして、もう片方が、それをたしなめることで笑いが起きるのです。いわばマッチポンプの関係で、差別や蔑視発言をして、言いっぱなしただけでは人は笑いません。片方で問題発言をして、片方が火消しをする。それをお客様が笑う。この三つでワンセットなのです。

 コントや漫才の、問題発言を聞いて、お客様が笑うのは、火消し役の発言があって初めて笑うのであって、お客様は差別を笑ったのではありません。同時に問題発言をした相方は、それを正当化するために発言したわけではなく、問題発言は相方に、「やめなさい」と言われて、軌道修正がなされて、お客様が笑うことで正しい道が示されるわけです。笑いの芸とはそうしたもので、常に片方の言い過ぎに対してたしなめる役がいるから成り立つのです。

 それを、片方のセリフだけを捉えて、「ホロコーストと言った」。と、それをネットに取り上げて、「あいつは差別をしている」。と騒ぎ立てるのはどうでしょう。彼らは決して差別はしていないのです。コントの全体を見ればわかることです。

 私は、今のネットで騒ぐ人たちを見ていると、余りに思考が狭量だと感じます。「いけないことはいけない」。それはその通り、でもあまりに短絡に言いすぎるのが問題です。

 一度誰かが言いだして、それで大炎上すると、もう誰も止められません。いいも悪いも冷静に精査することなく、みんなで責任者を責めて辞めさせてしまいます。

 これは魔女狩りです。発言者が誰かの間違いを見つけ出すと、まるで鬼の首でも取ったかのごとく騒ぎ立てて、お祭りが始まります。彼らは正義を手に入れると、たちまち強者の立場になり、あとはひたすら相手を罵倒します。

 自分たちの言い過ぎ、やり過ぎ、間違いなど顧みることなどないのです。何の資格もない人たちが人を裁こうと必死になって騒ぎます。これは正義の名を借りたファッショです。

 

 小林賢太郎さんはこの先演出家として活動して行こうと張り切っていたのでしょう。それが思わぬところでファッショの嵐に会い、前に進むことが出来なくなりました。まったくお気の毒です。然し、才能ある人ですから、いずれ大きな成功を掴むと思います。その日を楽しみに待っています。

続く