手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

峯村健二さん

峯村健二さん

 

 明日(7月4日)、「峯ゼミ」の一回目が開始されます。これは私と峯村さんとの間で何年も温めていたアイディアで、もし、コロナ騒動がなかったなら、もう一年早く開催されていたでしょう。

 「峯ゼミ」とは、スライハンドのエキスパートを育てるための指導所です。

 

 今、日本でスライハンド(sleight of hand 手練)マジック。を演じる人たちがどこにいるかと言うなら、無論プロマジシャンの中に少数ながら存在します。ケン正木さん、カズカタヤマさん、伝々さん、などなど、

 然し、圧倒的に数多く存在しているのは大学のマジック研究会です。この集団は世界的に見ても特殊で、どうしてこうした形でスライハンドがここに生き残っているのか、全く謎です。

 アメリカでも、ドイツでもイギリスでも、大学のサークルでシャカリキにスライハンドを練習している集団など存在しません。唯一の例外は、日本の学生の影響を受けて育った韓国、台湾の学生マジック界ぐらいでしょう。

 そしてこの集団の中から1980年代以降、海外のマジックコンベンションに出て、入賞する人が度々出たために、一層大学のサークルは熱を帯びてきました。その先鞭をつけたのが深井洋正さん、真田豊実さん、そして峯村健二さんなわけです。

 

 学生のマジックはその後、奇妙な発展をして、不思議さばかりが強調され、異常に片寄ったマジックになって行きます。もはやスライハンドと言う範疇を超えて学生特有の世界になって行きます。そして、不思議を追求するあまり、表現出来る舞台が限られて行き、観客の求める世界とは違ったマジックになって行きました。

 すなわち、背景が黒幕でなければできない。舞台照明が薄暗くなければできない、オープニングが暗転でなければできない、横から見られたら出来ない。

 つまり自分たちにとって都合の良い舞台でなければマジックが出来なくなって行きます。そんな演技を覚えた学生が、社会に出て、学生時代のマジックを社会で披露できないのは当然です。4年間もマジックを勉強していながら、人前でマジックが出来ないと言うのは、アマチュアである学生がいくら増えてもマジックの普及につながらず、明らかにスライハンドが行き詰まっていることを意味しています。

 そう下した中、学生からプロになろうと言う人が出て来ます。然し、彼らはたちまちマジシャンが現実社会で生きることの困難を知ります。それまで学内で、「これがマジックだ」。と思っていたものがことごとく一般社会で役に立たないことを知るのです。

 それは日本の学生出身の若手マジシャンだけではありません。韓国のマジシャンも同様です。海外のコンテストに出て、受賞した韓国のマジシャンが、国内でプロになって活動を始めると、たちまち迎え入れてくれる仕事場がないことに気付くのです。かくして彼らは開店休業の状況になり、やがて廃業して行くのです。

 せっかく才能があって、プロを目指しながら、なぜ彼らはプロとして成功しないのか。その答えは、始めにスライハンドとは何かを認識してマジックをしていないからなのです。ただやりたいことを自分の都合のいいようにやっているだけなのです。

 種仕掛けが見えなくなるために、舞台を暗くしたら、顔も暗くなるのは当然なのです。顔もよくわからないようなマジシャンに金を出すお客様などいないのです。

 先ず、舞台人として魅力あるパーソナリティを身に着けることこそが大事なのに、マジックの種だけを重要視して舞台に出て来ても、そんな人が売れるわけはないのです。

 

 学生の世界なら許されることが、プロとして生きて行くなら、守らなければならないことは山のようにあります。同様にスライハンドマジックを学ぶ上でも知らなければならないことがたくさんあるのです。それを基本的な話から始めて、徐々に奥の院にまで到達して順を追って指導して 行こうとするのが今回の指導所開設の目的なのです。

 

 私が峯村健二さんを日本のスライハンドの指導家の第一人者に推すのは、彼がしっかりとした技術の裏付けを持って演技を作っていながら、実際の演技の中にはカードも四つ玉もシンブルもウォンドもゾンビボールも出てこないことです。

 そうなら、彼にそうした技術がないのかと言うと、まったく逆で、しっかりとしたスライハンドの技術によって手順が構成されているのです。但し、それぞれの技術がむき出しに出て来ないのです。

 峯村さんは一度スライハンドを解体して、自分の世界に合った素材に組み直し、わからないように古い技法を駆使しています。出来上がった演技は、まごうかたなきスライハンドなのですが、どれも彼の考え方でまとめられ、全く独自の世界に作り替えられています。

 世界中を見渡してもこうまで独自にスライハンドを読みこなしているマジシャンはほかにいません。嘘か真か、世界中の名人と称するマジシャンの映像と、峯村さんの演技を見比べてみたならわかります。殆どのマジシャンがいかに既成の考え方の中でしかマジックを考えていないかが良くわかります。

 

 私は峯村さんが、このまま独自の考え方をだれにも伝えることなく、自身の世界の中だけで孤立して行くことを勿体なく思います。孤高の士と言えば聞こえはいいですが、孤であっては後世に残り得ません。これは何としても継承者を作らなければいけません。

 そうした意味で「峯ゼミ」を開催します。ここに集まる若いマジック愛好家は、後世の歴史の証人となる人たちです。こうした人生のめぐりあわせに遭遇したことを幸運とご諒解ください。恩に着せるわけではありませんが、十分価値ある行為です。

続く

 

 明日はブログはお休みです。