手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

消えるハンカチーフ 2

消えるハンカチーフ 2

 

 家に帰って、早速風呂屋に行きました。上着が必要だと言うことで、カーディガンを着て行きました。カーディガンには、初めからゴム紐の付いたキャップが安全ピンでとめてあります。ポケットには黄色いシルクが入っています。

 さて、この状態で、大きな鏡の前に立ち、シルクをポケットから取り出します。然し、どうしても背中にぶる下がっているキャップを自然に握り持つことができません。どうしてよいかわからないまま背中に手を入れて、キャップを掴みます。左手の拳の中に、ハンカチを押し込みます。この次に、どうしたら拳の中のキャップを背中に逃がせるのかが分かりません。

 自然に、拳を緩めて、わずかな隙間を作り、ひきネタで引いてしまう。と言う、マジックの基本動作がさっぱりわかりません。解説書には細かなことは書かれていません。ここまでの動作を鏡の前でしていると、同級生がやって来て興味で眺めます。

 「僕にもやらせてよ」。と言いますが、いちいち服を脱いで、相手にやらせることは面倒です。あれこれやっているうちに、友達は、私が何をしようとしているのか、理解できていないまま、興味で眺めていることが分かります。つまり私は、私の動作が、人に見せていい動作と、見せてはいけない動作の区別がまるでついていないため、やっていることが伝わっていなかったのです。

 つまり、楽屋のセットの部分も、実演も、全く同時進行させていました。マジックは虚構であって、芸能であることに私は理解できていなかったのです。然し、そうであるなら、友達がそんなどうしようもない動作を見て、興味を持って寄って来るのが不思議です。

 結局、風呂屋で、風呂に入る前と、風呂から上がって服を着た時の二回、稽古をしましたが、形となるようなマジックには至らなかったのです。そこで、頼りになるのは、演技を見せてくれた大丸のお兄さんの動作です。あの時のお兄さんの動作を想像しながら、練習をしてみます。すると、少しどういうふうに演じたらいいのかが分かって来ました。それでも、まだ根本が分かりません。つまり、普通の動作をしながら、種を取ってきたり、その種を逃がして行ったり、そんな動作をしつつも、その間どういう表情をしたらいいものか、さっぱりわかりません。

 

 そこでやむなく、翌週の日曜日にまた東京駅に行きました。子供の小遣いは限界があります。私は、この日東京駅に行けばその月はもう小遣いがなくなるのです。それでも出かけて、ひたすら、マジック売り場のお兄さんのやることを徹底的に見ようと思いました。

 人が集まる度にマジックは繰り返し演じられます。新聞紙に水入れて消すマジック。金属の不思議な形の器に水を入れて、トランプで蓋をして、ひっくり返しても水は零れないというマジック。三色のロープの端を結んで、三つの輪を作り、それを瞬間につなげるマジック。

 そして人がいなくなると、四つ玉を取り出して、指の間で増やしたり減らしたり、これは自分自身の練習なのでしょう。また、人集めをするときには、リングを持ち出して、カシャカシャと音を立てて、リングのつなぎ外しを始めます。すると、面白いように人が集まり、そこから、ハンカチが卵になるマジックや、色変わりハンカチなど、一連のマジックが繰り返されます。

 人のいない隙を狙って、前回消えるハンカチーフを買ったことを伝え、「人に悟られないように種を取って来る動作と、キャップを自然に背中に送る動作が分からない」。と言うと。親切に、キャップは引っ張って来て、ベルトの前の方で止めておくとよい、と教えてくれ、キャップを緩めて消すには。相手に、「ふっ、と、息をかけてごらん」。と言って、相手に向かって手を前に出した瞬間に、手を緩めるんだ、と教わりました。

 つまり私はここでエクスキューズ(体を動かすための理由付け)を習ったわけです。マジックは種仕掛けだけではできず、どこかで相手の気持ちを掴みつつ、心のすきを狙って密かな動作をするのだと知ったのです。

 こうした知識は私にとっては大発見です。世の中に、こんな人の心理を突いて、それが不思議につながる方法が考えられていたことは驚きです。それにしても、ハンカチ一枚消すために、スライハンドの技術と、メンタルの技術、そして人あしらいの技術を一度に学ばなければならないのですから、飛んでもない遊びです。

 

 本当はこの日は、何かを買うようなお金の用意はなかったのですが、実は、貯金箱から150円を持ち出して来ていました。このお金は手を付けてはいけないお金なのです。ロンメル戦車を買うために貯めていたお金です。前回と言い、今回もそのお金を使ったなら、私は永久にドイツ軍の戦車を買うことはできないのです。然し決断をして、卵ハンカチを買いました。もう自分自身が100%マジックにのめり込んでいるのが分かります。

 例によって、帰りにバスに乗り、一番奥の座席の隅に座って、箱を開けます。今度はどんな仕掛けが入っているのだろう。と、ワクワクしながら中を見ると、卵と解説書が一枚入っているだけです。卵は、木製で穴がくりぬいてあって、外側は白く塗られています。このメーカーは天地奇術と言い、社長が天地創一と言う人であることが解説書に書かれていました。

 卵は塗りが悪いため、偽物であることはすぐにばれます。でも、卵が偽物でもいいのです。実際本物の卵ではすぐに割れてしまいます。むしろ、木で作ってあるなどと言うものは手間がかかっています。

 ハンカチを木製の卵の中に押し込めることは、私にもわかっていました。問題は、演技をした時に、シルクを持ちながら、右手左手と改めていたのです。両手を改めつつ、卵の存在が見えなかったことです。

 その動作が素晴らしく、卵ハンカチーフを買えば、右手も左手も何も持っていない動作を演じられるものと信じて、道具を買ったのですが、そのことについては何も書かれていなかったのです。

 解説は、初めに左手に卵を隠し持ち、右手にハンカチを持っている所から始まっていました。「何だこりゃ、そんなことは分かっている。右手左手はどう見せるのか、そこが肝心じゃないか」。と思ったのですが、解説はなかったのです。

 子供であってもこれでは不満です。穴の開いた卵とハンカチを150円も出して買ってしまって、卵の隠し方が何も書かれていないのでは詐欺にあったようなものです。

 そもそも、社長の名前が天地創一というのが何ともインチキ臭く、私は騙されているのではないかと不安になり、今度ばかりは落ち込みました。こんなことなら戦車を買うべきだったのです。結局、頼りになるのは、売り場のお兄さんしかいません。あの人に相談するほかはなく、私はその翌週も売り場に行くことになります。

続く