手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

消えるハンカチーフ 3

消えるハンカチーフ 3

 

 大丸デパートに行くと、お兄さんは私の姿にすぐ気づいて、「坊や熱心だね」。と言いました。ようやく馴染みになったのです。このお兄さんはプロになりたいらしく、人のいない時間は、よく四つ玉の練習をしています。見ていると、私もやりたくなります。然し、値段が500円でした。何度も言いますが、この時代のお金の価値は今の10倍です。小さな箱に入った四つの玉が5000円もしたなら、小学生は買えません。

 人のいない時間を見計らって、「卵ハンカチーフの卵が、なぜ右手左手を見せているにもかかわらず、卵が見えないのか」。の質問をしました。すると、お兄さんは、「それはとても難しい技が必要だから坊やには無理だよ」。とあっさり断られてしまいました。

 おかしな話です。子供にも簡単にできると言って、販売しておいて、子供には無理だと言って教えてくれないのは詐欺です。そこで、その後、実際何度かお兄さんが実演するのを見ながら、推測を立てました。

 そして気付いたことは、右手に隠し持っている卵を密かに左手に渡し、又左手にある卵を密かに右手に戻したりをする動作です。然し、卵はかなり大きなものです。そう簡単に密かに、右手左手に移動することは出来ません。

 と言って何か独特の道具を使っているようにも見えないのです。だとしたら、指先の技によって卵を渡しているんだと言うことになります。然し、その技が見えません。そこで、お客様のいない時間に、「右手から左手に卵を移動する技を教えてほしい」。と話ました。

 すると、お兄さんは、「まだ無理だよ」。と言いながらも、練習中の赤いボールと、小さなハンカチを貸してくれて、右手の動き、左手の動きを演じてくれました。そして、私はボールとハンカチを使って、それを真似ました。結果は全くうまく出来ませんでした。見せてはいけないものを陰でパスをする、と言う技本が全く理解できないのです。「ね、だからもう少ししてから教えてあげるよ」。と言われてその日はお終いでした。

 私は、何も買い物もせず、屋上で10円のアンパンを買い、あんパンで昼食を満たして、又手品売り場に戻り、1時間実演を見てから帰りました。こうして、翌月、小遣いをもらうと、デパートに行き、道具を買い、家に帰って練習をします。

 何度かこんなことを繰り返していると、私と同じような小中学生が何人かいることを知ります。中でも、Aさんは、私より一年歳上で、マジック歴も私よりも長くて、何でもよく知っていました。Aさんは、デパートに来るときには、常にビニール製の鞄を持ってきていて、中にびっしりマジックの道具が入っていました。

 その内容にまずびっくりです。私がこの先買おうと、順番を付けてプランしている道具が既に鞄に納まっているのです。私は、Aさんと屋上に行き、ベンチに座りながら、一つ一つ彼の所有するマジックを見せてもらいました。

 わざわざデパートにまでマジック道具を持ってくるくらいですから、Aさんも見せたいのです。彼は一連のマジックを演じてくれました。Aさんが頭のいい人であることはすぐにわかりました。演技も手順も整理されて、セリフまで決まっています。

 そして、一つ終えるごとに、「僕はこのマジックの、ここの部分が余り気に入らないので、こう直したんだ」。と自分で改案したことを話し出しました。改案すること自体がびっくりです。私はそんなことを考えたこともなかったのですから。

 「なぜそのマジックを直さなければいけないの?」。と質問すると、「だってここを直さないと次のマジックにつながらないから」。「えっ」。またまた驚きです。マジックをいくつか演じる時には流れをつなげなければいけない。と知ります。

 「そんなこと、どうやって勉強するの」。するとAさんは、人の名前をいくつか挙げて、そうした人と話をしながら勉強していることを教えてくれました。明らかにAさんのマジックに対する知識やレベルは私を超えていました。と言っても彼はまだ小学6年生です。

 私が、毎月小遣いを持ってデパートに行き、買える範囲の道具を買って、それを家で練習して、悦に入っているレベルとは大きな違いです。

 さらにAさんから、他のデパートの情報も聞きだすことができました。マジック売り場は大丸だけではないのです。高島屋の高橋さんは人当たりが良くて優しい人だ。三越本店の○○さんは、子供を相手にしない。銀座松坂屋の西尾さんはカードがうまい。等々、つまりデパートと言うデパートには、販売員がいて、マジックを売っていることを知ります。

 そうなると毎週日曜日は、銀座や東京駅に出かけ、マジック売り場を片端から見て歩くのが決まりのようになりました。でも、そんな風に外出ばかりしていると、小遣いが足りません。

 ある日、私は親父に自分のマジックを見せました。すると親父は、「お前は器用だなぁ。才能あるよ」と褒めてくれました。どこまで親父が本気で認めてくれたのかは知りません。ただ親父は私が芸能に興味を持ったことが嬉しかったのでしょう。

 半月ほどして、親父は、マジックの道具を持って帰って来ました。「知り合いの奇術師に話してさぁ、古い道具があったらくれよって言ったら、これをくれたんだ」。中には、色変わりハンカチとか、三本ロープとか、その他得体のしれない小道具が数点入っていました。正直ハンカチなどは手汗の汚れで醤油で煮染めたようになっていました。ロープも茶色になっています。

 くれたのは、松旭斎天遊さんと言う奇術師でした。松竹演芸場にも出ていて、何度か見ています。早速楽屋にお礼に行くと、天遊さんはいくつか演じて見せてくれました。色変わりハンカチでも三本ロープでも、独自の動きがあって、面白いと思いました。

 種を抜き取る動作なども、観客の気持ちをそらすために反対の手を改めたりするのですが、天遊さんは、いきなり観客を見てニャッと笑いました。笑うと言うことで相手の心に隙を作るのです。「あぁ、これがプロの動作か」。と妙に納得しました。

 幾つか習った後で、天遊さんは親父に、「息子さんは筋いいよ」。と褒めました。親父は「そうかい」。と、言って喜色を浮かべました。どう考えてもお世辞に決まっているのです。まさかそれから二か月のうちに私が舞台に立つことになるとは想像もしていませんでした。

続く