手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

圧巻「評伝 宮田輝」

圧巻「評伝 宮田輝

 

 NHKのアナウンサー古谷敏郎さんが、同じくNHKのアナウンサーの大先輩である宮田輝さんの一生を本にしました。「評伝 宮田輝」(文芸春秋社)がそれで、400ページにわたる大著でハードカバーの立派な装丁です。

 私のように昭和20年代に生まれたものにとって、宮田輝と言う人は、まさにミスターNHKと言うべき人で、NHKのメイン番組には欠かせない人で、当時の日本人なら誰もが知っている司会者でした。

 と言って、決して派手さはないのですが、見るからにNHKの優等生と言う雰囲気の人で、紅白歌合戦の司会から、しろうとのど自慢、ふるさとの歌祭り、三つの歌、それらの番組を創成期から長く手掛け、お化け番組にまで成長させた功労者でした。

 でっぷり太っていて、丸顔、いつもにこやかで、見るからにNHK的な優等生と言う雰囲気の人で、てらいもなく、常にメインの出演者を立てながら一歩引いていて、ある意味、この人が人生をかけて、NHKのアナウンサーと言うイメージを定着させた人なのではないかと思います。

 晩年には自民党からタレント候補として立候補して、参議院議員を、三期(一期6年)務め、その三期目の中ばで病に倒れて亡くなっています。

 

 私はこの本を今年の春に頂いて、読み始めたのですが、読んですぐに、著者の意図が極めて壮大な構想を描いていることが分かりました。そこには宮田輝の人生が詳細に書かれているのは勿論ですが、それは単に年代を追って教科書のように事柄が書かれているわけではなく、戦前からアナウンサーだった、和田信賢、終生のライバルであった、高橋圭三との関わり等々、人間ドラマが次々と現れ、知らず知らずのうちに昭和20年代30年代のラジオ、テレビの創成期の話に引っ張り込まれて行きます。

 しかし、著者の書きたかった事は実は、その奥にある、放送局の開設(ラジオ放送)から、テレビへの移行。アナウンサーの誕生。生番組から、録画番組へ。民放の誕生。等々、目まぐるしく動いて行く昭和の放送の世界を残したかったようです。

 いわば昭和の芸能史の中から、放送と言うものの歴史が詳しく記録されています。考えて見れば、映画や、音楽の歴史書はたくさん出ていますが、放送局の歴史や、そこで活動していたアナウンサーの資料と言うものはほとんど見ることがありません。

これは大変に貴重な文化史と言えます。

 

 今年亡くなった、芸能評論家で、テレビプロデューサーの澤田隆治さんがもし生きていたなら、どれほど喜んだことか。これこそ澤田さんが待ち焦がれていた第一級の評伝だったでしょう。

 

 私は12歳の時に銀座松屋デパートのマジック売り場で、ショーケースを除いているときに、脇に立っていた中年紳士からいろいろ質問されたことを覚えています。「君はマジック好きなの」。「自分でもどこかでやるの」。「マジックのどんなところが面白いの」。などと質問されました。当たりの柔らかい人でした。私のようなどこにでもいるような少年に興味をもっていろいろ質問する変わった人だと思いました。無論その人が宮田輝さんだと言うことはすぐにわかりました。私にとっての宮田輝さんとの接点はこの時一回限りでした。

 

 宮田輝は、大正7年生まれ。戦前に明治大学を卒業してNHKに入ります。戦時中ですので、先輩たちは、陸軍や海軍の戦果の報告などをニュースでやっていた時代です。そんな中、まだアナウンサーなどと言う言葉のない時代から放送に携わり手探りでマイクの前で語る仕事とはどういうものなのかを模索していたのです。

 

 話は、著者、古谷さんが宮田輝さんの奥さん恵美さんのお宅を訪ねる所から始まります。世田谷にあるお宅は長年宮田輝さんと共に暮した家で、そこには長い間NHKに勤めて番組をやってきた様々な資料が残されていました。古谷さんはそのお宅に数えきれないくらい出掛けては古い資料を調べ上げ、丹念に宮田輝の足跡をたどって行きます。

 更には、古谷さん自身が、NHKの北海道支局や、松山支局などを転々と移動するときにも、宮田輝が「ふるさとの歌祭り」などで実際にその時にテレビに出演した地元の素人さんや、地元の郷土芸能の保存会を訪ねて、宮田輝の人柄、仕事の仕方などを聞いて回ります。

 この辺りが年表から宮田輝を話してゆくのではなく、まさにアナウンサーが番組作りをするような、事前調査を入念にして、宮田輝の実像を浮き彫りにして行きます。そうしてできたストーリーはまるでNHK大河ドラマの如くに壮大なスケールで迫って来ます。

 全体を通じて、宮田輝と言う人の番組の取り組み方が、誠実で入念な調査の日々から生まれていることが分かるように語られています。今更ながら、宮田輝と言う人は、タレントではなく、サラリーマンだったんだと言うことが良くわかります。それは今でも脈々とNHKに生きているようで、どことなくNHKのアナウンサーは学校の先生のように、およそタレント性が薄く、派手さがなく、几帳面な感じがします。こうしたアナウンサーの典型的なスタイルを作ったのが宮田輝さんだったように思います。

 

 その宮田輝さんが、田中角栄さんにそそのかされて、50代半ばでNHKを去り、政界に打って出ます。タレント候補の走りです。結果は250万票越えの第一位に選ばれ、NHKのアナウンサーの人気のすごさを誇示します。華々しき成果です。そして6年後、再度選挙があって、今度は180万票で当選。これも立派な成果です。然し、初めは自民党内でもちやほやしてくれた政治家たちも、票数が減って行くに従って、扱いが軽くなり、三度目の選挙では最下位当選するに至って、明らかに用済みの扱いになり、宮田輝さんは内心、失意を募らせます。

 

 私は、この頃、同じ参議院議員をしていた漫才のコロムビアトップさんと親しくお話をさせて頂くことが多々あり、その中で、トップさんが、「宮田輝さんも、議員になったって、結局は議員パーティーの司会者に使われているんだからなぁ、可哀そうなもんだよ」。とタレント議員の悲哀を語っていました。そんな中、宮田輝さんは、癌にかかってていることを知り、密かに何度も手術をしますがその甲斐なく亡くなってしまいます。

 そんな晩年の宮田輝を寂しく思いつつ、司会者時代の素晴らしき成果を讃えてドラマは終わります。お終いには奥さんの恵美さんの晩年を語り、その葬儀まで見取って冥福を祈ります。こうした姿勢を見ると、古谷さんもまた典型的なNHKのアナウンサーなのだと言うことがよくわかります。日本人のアッパークラスの人が持っているコモンセンスを濃厚に感じさせる上質な生き方が全編から読み取れます。

 宮田輝さんの人生も、奥さんの恵美さんも、NHKも、そこに勤める多くのスタッフ、司会者も、とても輝いて見え、美しい世界だなぁと感じさせます。しかもどの人も充実した仕事をして来たことが分かります。読んだ後、久々さわやかで、嬉しくなるような本です。お勧めします。

続く