手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 7

初音ミケ 7

 

 初音ミケがいなくなって、毎日オヤミケは裏のアパートの屋根の上で日向ぼっこをしています。毎朝、私が観葉植物に水をやるときに窓を開けますが、必ず私に気付いて、「ニャー」と挨拶します。然し、このところオヤミケはどうも疲れがたまっているようで、動きが緩慢です。

 ある日、裏のアパートで大きな音がしました。また盛りが付いたのかと思いましたが、そうではありません。オヤミケが屋根に上がろうとして、体を滑らせて落ちたようです。その時以来、今まで以上に動きが鈍くなりました。

 オヤミケは三日に一遍くらいパトロールをしに、私の家の正面に来ます。いつもならアトリエのドアの風取り窓の前に座って、中の様子を見まわします。今日は座る姿勢も痛々しそうです。

 「こないだ、屋根から落ちて大丈夫だったの?」。「知っていたんですか?恥ずかしい。あれ以来腰が痛くて辛いですよ」。「お前も随分年を取ったねぇ。ところで、その後、娘のミケはどうしたの」。「上手く行っているようですよ。オクゲが素直ないい猫で、随分ミケを可愛がっています。二匹とも仲良く暮らしていますよ」。

 「こっちに来ることはあるの」。「ここには来ません。中央線と裏道の交差点のところで週に一度会います。あたしが毎週、猫同士会の役員会に出るために集会所に出かけるんですが、その時ちょうどミケ夫婦の散歩と重なります。いつもオクゲと一緒ですよ」。

「二匹は仲がいいんだねぇ。ところでお前が良く言う猫同士会だけども、役員会とか言って、どんな話をしているの」。「大した話じゃありませんよ。役員が五匹集まって、世間話をしているだけです。どこそこの猫が、身より頼りがなくなって、行き場がなくて困っているとか。生まれた子供が捕獲員にさらわれたとか、そんな話ばかりです。あたしらの力では、子猫がさらわれたとしてもどうすることも出来ませんからね。ただ、困った困ったと言って心配しているだけです」。

 「どこで会議をしているの?」。「横山さんの納屋です」。「あぁ、大雨の避難所かぁ」「そうです。あそこが会議室になっています。あの納屋は人間が近づいて来ない場所なんで、集まりやすいんですよ。でも、きっと横山さんの家も、お爺さんが亡くなったら、あの家は大きなマンションにでもなるんでしょう。そうなると、我々の行き場がなくなります。もう高円寺かいわいでは猫の集会所になるような場所はありません」。

 「猫も苦労だねぇ」。「高円寺も、広い庭のある家がどんどんなくなって行きます。古い家が壊されると、決まってマンションか、小さな建て売り住宅ばかりになって行きますよ」。「確かになぁ、家がどんどん小さくなって行くよねぇ」。

 と、話をしていても、オヤミケは座っているだけでもつらそうに見えます。「腰が痛いのかい?」。「少し」。「お前も年を取ったねぇ。ちょっと見ないうちに随分毛も抜けて来たし」。「ええ、お恥ずかしい。もう毛が抜けたら抜けっぱなしで、生え変わることもなくなって、・・・そう言えば先生も頭の毛が随分薄くなってきましたが・・・」

 「大きなお世話だよ。私の方はまだ禿げと言うほどではない」。「でも、ずいぶん白くなりましたねぇ」。「お互い年を取ったんだなぁ」。「そうです。そろそろあたしも寿命なのかもしれません」。「幾つになったんだい?」。「もう10歳です」。「まだ若いじゃないか」。「若くはありませんよ。人間なら70ですよ」。「70ならまだまだ元気だろう」。「それがねぇ、野良は栄養が足らないんですよ。ストレスの多い生き方をしてますから、そんなに長生きできないんですよ。飼い猫なら14年くらいは生きますが、野良じゃぁ10年がぎりぎりですよ」。

 そう言って、オヤミケはよっこらさと立ち上がり、やおらパトロールに出かけました。動きがふらふらしています。

 

 数日して、散歩がてら、裏の通りのお地蔵さんのところに行きました。お地蔵さんは4体あり、大切にお堂が作られ守られています。私はいつもお地蔵さんの前を通るときは必ず手を合わせます。この日もお参りしていると、後ろをオヤミケが通ります。

 「お参りですか」。「うん、素通りは出来ないからね」。「何を願っているんですか」。「何も、私はお地蔵様に何かをしてもらおうとは思わないんだ。ただ素直に手を合わせているだけ。私よりもずっと古くからここに住んでいるお地蔵さんだからね、敬意を表しているんだ。江戸時代の初めのものだよ。350年も前のものが同じ場所にあると言うことがすごいことさ」。

 「あたしはこれから役員会に行きます。一緒にそこまで行きましょうか」。「へぇ、オヤミケと一緒に散歩かぁ、初めてだねぇ」。「たまにはいいでしょう。その先まで行けばきっと娘ミケとオクゲがいますよ。二匹はこの時間、いつも一緒に中央線のガード下にいますから」。「そうか、久しぶりだなぁ。会いたいよ」。

 中央線まで行くと、いました。夫婦でガード下に座っています。それにしても、初音ミケとオヤミケは毛並みの色といい、体のサイズと言い、よく似ています。オヤミケは、今は毛が抜けてしまって汚れてしまいましたが、以前は全く見分けがつかないくらいよく似ていました。

 「ようミケ。元気だった?」。「先生、久しぶりね。隣が私の亭主よ」。紹介されてオクゲが「ニャー」、と挨拶します。「オクゲはいつ見ても毛並みがいいねぇ。この辺りの猫では一番いい猫だ」。と私が褒めると、オクゲは嬉しそうに「ニャー」と応えました。「ミケの方もいい毛並みになったねぇ。やはりいいお家にもらわれると猫も奇麗になるんだねぇ」。「えぇ、とても良くしてくれるの、ただ、外歩きをした後は、必ず体を洗わなけりゃいけないのが嫌」。「いいじゃないか洗ってもらって文句を言うなよ」。「それが30分もかけて洗うから嫌なの。あたし子供のころからそんなに丁寧に体洗ってもらったことないもん」。「仕方ないよ、いい家に住むにはそうしないとだめだ。オクゲだってそうして洗ってもらっているんだろ」。「この人は生まれつきお風呂が好きだからいいの。あたしはお風呂は嫌」。

 そんな話をしていると、オヤミケは、「それじゃ先生、あたしは役員会に出ますので、失礼します」。と言って中野の方に去っていきました。

 オヤミケが去ると、初音ミケは「先生、あたしの母親はそう長くなさそうよ」。「どうしてわかるんだい」。「わかるわよ。歩き方がもうよたよたよ。きっともうじき隠れるわ」。「隠れる?どこに隠れるの」。「猫は、死ぬときは、人に死ぬ姿を見せないのよ。一人で決めた場所に閉じこもってその日を待つの。母親はこのところしきりに先生に話かけなかった?」。「そう言えば長話をするようになったなぁ」。「危ないわ。もうそうは長くないわね」。

 その後、オヤミケは数日、屋根の上で日向ぼっこをしていましたが、初夏になる少し前からオヤミケを見なくなりました。初音ミケの言葉が正しければ、オヤミケは旅だったのでしょう。

続く