手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 6

初音ミケ 6

 

 初音ミケが去って、毎日オヤミケがアトリエの玄関にやって来ます。

「結局、娘はオクゲの家に入り込めたのかい?」。

「そうなんですよ。オクゲの家の奥さんがいい人で、ミケも一緒に飼ってもらえることになったんです」。「初音ミケは幸せだねぇ」。「本当です。いつもお風呂に入れてもらっているから、毛並みもよくなって、美人になりました」。「それは良かった」。

「でもねぇ、つい先日、奥さんがミケを病院に連れて行って、避妊手術をしたんですよ」。

「へぇ、それじゃぁ、もう子供は生めないんだ」。「そうです。あちこちいじられたって言ってましたから、多分手術したんです」。「でもそれはそれでよかったじゃぁないか。また子供が生まれたら、子供のことで苦労するんだから」。

「どうしてですか。子供を産むことを苦労だなんて思う猫はいませんよ。子供が産めないなんてこんな不幸なことはないですよ。猫の幸せは自分の子供と遊ぶことですから。幾ら生活する心配がなくなったからって言ったって、子供が生めなくなったら寂しいですよ」。

「そうかなぁ。私からすれば、満足に育てられないのに子供を作るなんて、よっぽど罪なことだと思うけどねぇ」。「どこが罪ですか、育つか育たないかは子猫次第ですよ。子猫が強ければ育つし、弱ければ育たない。可愛ければ飼い主も見つかるし、可愛くなければご贔屓も出来ない。すべては子供の才覚次第です。親は子供に命を与え、乳を呑ませ、大きくなるまで育てれば、すべての役目は終わりです。あとは子供の運が全てです」。

 「随分割り切った考えなんだねぇ」。「世の中の生き物はみんなそうして子供を増やしているんです。ライオンが子供の就職先を考えて子供を産んだりしないでしょう。狸だって、猿だって、カマキリだって、蝶々だって同じです。そこを心配していたら、野生は子供を産めません」。

「それはそうだねぇ・・・」。「偉そうに言ったって、人間も同じじゃないですか。子供を立派な学校にやって、いい会社に入れてなんて言ったって、その通りに子供が育ちますか。手品師や、お笑い芸人になったなら、猫と変わらないじゃないですか」。「お前は鋭い見方をするねぇ。いや、そういわれたら、私も人の事は言えない」。

「そもそも先生とあたしらは同業なんですよ。あたしが先生と親しく話をするのは仲間だからですよ。そう言えば、先生のところのお弟子さんが、今度卒業するんでしょ」。「そうそう」。「先生について弟子修行すればその先安泰に生きて行けるんですか」。「いや、そういうわけでは・・・」。「それじゃぁ、手品の弟子修行と、猫が子を産むのとどう違うんですか」。「いや、それは・・・」。

「それを勝手に猫が子供を産めなくするなんて非道ですよ。幾ら生活の面倒を見てくれるからと言って、猫の幸せを奪うのは犯罪ですよ」。

 

 「野良に同業と言われちゃったなぁ」。「あたしはじっと前からそう思っていましたよ」。「そうだったのか。そうかもしれないなぁ、私の親父なんて、毎日飲み歩いて、眠くなったら人のところに泊まり込んで、何日も返ってこなかったりしてたからなぁ。まったく野良芸人だったよな」。

 オヤミケは、薄くなった毛を舐めながら毛繕いをつつ、世間話をします。

「この先はだんだん暖かくなりますから、毛が薄くなってちょうどいいんですけど、今年の冬になったらこれで寒さをしのげるかどうか心配です。先生、あたしにウサギの毛皮をプレゼントしてくれませんか」。「あまり見ないよねぇ、ウサギの毛皮を着た猫って、ものの例えに、羊の皮を着たオオカミと言うは聞くけど、ウサギの毛皮を着た猫ってのはねぇ。あまり変わり映えしないことの例えだなぁ」。「例えなんてどうだっていいんです。寒いのが辛いんですよ」。

「でもオヤミケは、ずいぶん子供を産んでいるし、もう子供は作らないだろう。それに今は美沙さんところで世話になっていて、身一つで生きて行けるから、悠々隠居だね」。

「えぇ、でも最近は体が動かなくなって、裏のアパートの屋根に上がるのも一苦労でね。やっぱり年ですねぇ」。

「お前は今日は随分熱心に毛繕いをしているよね」。「ええ、明日には雨が降りますから」。「雨と毛繕いはどういう関係があるの」。「雨が降るときには湿った空気が流れて来ます。大雨や長雨だと、一日前から体の毛がねっとりと絡んできます。そうなると大雨が近い証拠です」。

「そうなんだ。湿度で分かるんだね。すると明日は雨かぁ。・・・ところでさぁ、前から聞きたかったんだけど、ちょっとした雨の時はうちの二階で雨宿りしているけど、集中豪雨のような激しい雨が降るときには私の家には来ないよね。どうしているの」。

「えぇ、実は、猫は本当にものすごい大雨が降るときには雨宿(あまやど)と言う場所に移るんですよ」。「雨宿?」。「そうです猫仲間ではそう呼んでいます。外に出ただけでずぶ濡れになって、体が吹き飛ばされるような大風が吹く、そんな時は猫の力ではどうにもなりません。その時には、雨宿と言われている避難所に行きます」。

「どこにあるんだい」。「高円寺北にある横山さんのお屋敷の中です」。「横山さん?。あの古い農家かい」。「そうです、あそこはお爺さんが一人で暮らしていて、土地も広くて、昔ながらの蔵や、納屋があって、庭は荒れていて、納屋も放ったらかしです。あの納屋に避難します」。「へーぇ、知らなかったなぁ。じゃぁ大雨となったら近所の猫はみんなそこに集まるのかい」。「そうです。大雨の時は30匹くらい集まって肩を寄せ合って雨が去るのを待っています」。「何日も?」。「何日もです。その間食べる物もありません。だから、大雨が来そうだ、と分かったときにはなるべくたくさん餌を食べておいて、雨宿で、三日でも四日でも食べ物なしで耐えるんですよ」。

「猫も大変なんだねぇ」。「仕方ないですよ。猫ですから。でも、そんなときには誰も文句を言いません。ただじっと耐えて雨が去るのを待っています。ロイクーのような質の悪い猫が雨宿に入って来ても、こういう時は受け入れてやります。喧嘩をしません。そのうち雨が去って、空に晴れ間が見えたときにはみんな腹ペコで三々五々散って行きます」。

 この日、オヤミケはよほど私と話がしたかったのでしょう、お座りしたまま玄関で長話をして、近況を報告した後、やおら立って、パトロールに出かけました。「明日から4日の間は雨ですよ」。と言い残して去って行きました。

 翌日は、朝からしとしとと長雨が続きました。オヤミケは4日間顔を見せませんでした。

続く