手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 5

初音ミケ 5

 

 屋根からロイクーが転落した翌日、午前中のパトロールにオヤミケがやって来ました。「昨日は随分派手な立ち回りだったね」。

 「いやだ、恥ずかしいですよ。あいつはずっと娘のミケを狙っていたんですよ。でもねぇ、ミケとロイクーは親戚同士ですから、くっついちゃいけないんです」。

 「そこが知りたいんだけどさ。ロイクーとミケはどれくらい近い親戚なの?」。

 「ロイクーは私のひ孫なんですよ。猫は毎年子供を産みますし、子供は二年目には大人になって、また子供を産みますから、孫やひ孫は5年もすればすぐにできてしまいます」。

 「だけど、お前は自分の孫やひ孫だってどうしてわかるの?」。「それはわかりますよ。匂いでわかります。あたしの子や孫はあたしと同じ匂いがしますから」。「そうなんだ。でも、それならロイクーだって、自分と初音ミケが同じ匂いだって知ってるんだろうに」。

 オヤミケは、アトリエのドアの前できっちりお座りをして、訥々と話しをします。

 「そこがあいつは間抜けなんですよ。オス猫の中には、そこのところの見境が付かないものがいるんですよ。特に盛りの時期なんかは誰でも彼でも繋がろうとするんです」。「野良猫でも血のつながりを気にするんだね。で、どれくらい離れていたらいいんだい」。「あたしの血が一割以下になったら他人と同じです」。「へぇ、そうなんだ。つまり、子供が五割だから、孫が二割五分。ひ孫が一割二分五厘。やしゃ孫が六分七厘か、夜叉孫になって初めて身内ではなくなるんだ」。

 「そうなんですよ。やしゃ孫になるともう、私の匂いはしなくなります。ロイクーはひ孫ですから、まだあたしの身内です。でもねぇ、最近は野良猫が減って、だんだん子作りがしにくくなっていますから、結構身内同士で子供を作るんですよ」。

 「それで昨日の大騒ぎがあったわけだ。でも、ロイクーは、屋根から真っ逆さまに落ちて、相当体を地面にぶつけたみたいだよ」。

 「だから間抜けなんですよ。猫ともあろうものが、何があったって屋根から落ちそうになったなら、受け身をして体を交わせばいいじゃないですか。壁に激突して、地面に落ちるなんてあまりに無様ですよ。あんな質(たち)の悪い野良猫にうちの娘はやれませんよ」。

 「同じ野良猫でもいろいろあるんだねぇ。でもねぇ、お前がそうして初音ミケにくっついて回っていたら、ミケの彼氏何かいつまでたってもできないんじゃないか」。「いえ、実はもうミケには彼氏がいるんですよ」。「ロスケかい?」。「いえいえ、ロスケは全然外に出られませんからダメですよ。実は高円寺北に猫好きな奥さんがいましてね。その奥さんが黒と白のオスのニケ猫を飼っているんです。これがなかなか近所で評判の猫で。毛並みもいいし、飼われている猫ですから性格も素直でね。高円寺猫同士会では評判の猫なんですよ」。

 「高円寺に猫同士会って言うのがあるんだ、知らなかったなぁ」。「あります。あたしはその会の理事です」。「偉いんだねぇ」。「いえ、ほんのご近所猫の集まりですが」。オヤミケは少し照れて見せた。

 「その高円寺北のニケ猫には興味あるなぁ。初音ミケとどういう関係なのかな」。

 「娘に言って、一度連れてくるように言いますよ。いい猫ですよ。娘ももういい歳ですから、いつまでも野良猫をしていても苦労が絶えませんから、ここらで養い親を探して、夫婦仲良く暮らしていけたらいいと思うんです」。

 「随分先々まで心配してやっているんだねぇ。そのニケ猫とミケはいい仲なの?」。「とてもいいですよ。猫の名前はオクゲと言います」。「オクゲ、代わった名前だね、どんな字を書くの」。「字は知りません、あたしは猫ですから。でもとてもいい猫です。週に二回ほど外に出してもらえます。家に帰って来た時には奥さんが、すぐにオクゲを風呂に入れて体を丁寧に洗っています。だから蚤なんか一匹も付いていないし、いつも奇麗です」。

 「いい家の猫なんだねぇ」。「娘に話しておきますよ」。

 それから数日して、初音ミケがやってきた。「どうも久しぶりです」。「オヤミケから聞いているよ。いい彼氏が出来たそうだね。ロイクーじゃなくてよかったね」。

 「ロイク-何てどうしようもないよ。あいつはあれからいつも東公園にいて、水飲み場の脇で体さすっているよ。何でも屋根から落ちたときに右肩を壊したらしく、満足に歩けないそうよ。餌も取れないから痩せちゃって」。

 「そうなんだ。でも、最近、オクゲとか言う彼氏が出来たんだろ」。ミケはぱっと喜びの表情を見せて、「そう、いい猫よ。高円寺界隈では一番の猫」。「一度会わせてほしいね」。「えへへ、実は、今日連れてきているの」。「えぇ、どこに」。「あの自転車置き場のところでずっとこっちを見てるの。恥ずかしいんだって」。

 ドアを開けて、向いの自転車置き場を見ると、黒白の猫が座ってこっちを見ています。全体に黒掛かっていて、背中に大きな白い紋があります。確かに見た目に高級感を感じます。

 「ね、きれいな猫でしょう?」。初音ミケが気に入るのもわかるような気がします。黒毛に艶がありますし、顔立ちもいい顔をしています。体が総体黒くて、背中と足先だけが白です。足先は、うまい具合に四本の足先が白くなっていますから、まるで足袋を履いたように見えます。

 「足先が白いのが奇麗だね」。「でしょう。それと、目の上に小さな白い斑点があるの、これが昔の御公家さんみたいで、育ちの良さを表しているの」。

 言われてみれば、小さな白い点が目の上にあって、昔の公家がしていたような書き眉毛のようになっています。

 「なるほど、それで名前がオクゲなのかぁ」。「ようやくわかったようね」。「うまく行くといいね」。「有難う。私はもっとここに住んでいたいけど、オヤミケのことを思うとどちらかが出て行かなけらばならないから、こうするしかないの」。

 「で、いつから向うの家に住むの」。「今日これから、オクゲが帰るときに、一緒に家に行ってみる。上手く家の中に入れてもらえたらそのまま住もうと思っているんだけど」。「勝負だね。うまく行くといいね」。「有難う。向うに住んでも時々来るからね」。初音ミケはオクゲと楽しそうに走り去って行きました。

続く