手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ウクライナ健闘

ウクライナ健闘

 

 ロシアの侵攻が始まって二か月が過ぎましたが、ウクライナは大国ロシアを相手に大健闘しています。当初は半月、一か月もすれば首都キエフを占領され、組織的な戦闘は終わり、その後は、地下組織の戦いが延々と続くのかと思われました。

 ところが、戦争の展開は意外や意外、初め二十万人と言われて、その規模の大きさにウクライナ軍も恐れ、おののいていたロシア軍が、実は、見かけは立派でも、単なる脅しに過ぎず、戦車や、装甲車を連ね、まるで軍事パレードの如く街道筋に並んでいただけだったのです。それを、片っ端からりゅう弾砲で打ちまくると、次々に炎上し、ロシア兵は猛反撃をするでもなく、さっさと逃げたり、投降してしまいます。

 多くは、軍事訓練も満足に済んでいない、初年兵で、なぜウクライナに行くのかも知らされておらず、いきなり戦場に連れていかれて、そこでウクライナ兵に狙撃され、バタバタと仲間が撃たれるものですから、慌てて降伏してしまったわけです。

 まさかまさかの展開です。世界最強と思われていたロシア軍が、最前線に戦争経験もない初年兵を並べて、数で脅して、ウクライナを占領しようとしていたのです。8年前にクリミア半島を占領された時のロシア軍とは大きく変わってきています。

 クリミア半島のような局地戦なら、精鋭部隊を派遣して、軍艦とミサイル攻撃で短期間に攻め込めば、あっという間に占領できたわけです。ところが、ウクライナ全土を制圧しようとすると、戦い方は根本的に変わります。ウクライナの国土は日本の1.5倍の大きさです。フランス全土よりも大きいいのです。そんな国に、仮に二十万人の軍隊を派遣すると言っても、その数は決して満足なものではありません。

 なぜなら、仮に、日本を侵略しようとして、二十万人の兵を派遣したとして、南の鹿児島、熊本、博多、四国の高知、高松、大阪、日本海の、福井、新潟、東北の、仙台、青森、北海道の函館、室蘭、釧路など、各都市に一万人の兵を派遣しても二十万では全く足りません。

 日本の自衛隊と、国民が一緒になってりゅう弾砲で迎え撃ったなら、各地に散らばっている一万の敵兵は物の数ではありません。当初のロシアは威嚇するだけでウクライナは簡単に降伏すると信じていたのですが、実はそんな数で落とせる小国ではなかったのです。

 

 然し、然しです。いくら二十万人では足りないと言っても、装備をしたロシア軍に無防備なウクライナ義勇兵では戦いにならないのではないか、と思います。何が今回の侵攻の明暗を分けたのでしょう。

 私は、今回のロシアの戦い方を見ていると、かつての日清戦争の戦いに似ているのではないかと思います。対ロシア戦の足場を築きたいとする当時の日本軍と、歴史的に朝鮮の領有を主張する清(中国)とが、明治27(1894)年、朝鮮半島で、戦争を開始します。

 日本は明治維新後、日清戦争によって初めて国対国の戦いをします。清は衰えてきたとはいえ、国力は日本の五倍以上はあります。軍の数でも圧倒的な大軍を持っています。当初日本はそうやすやすと清に勝てるとは思っていなかったのです。

 清国軍は、大仰に派手に飾り立てた軍隊だったのですが、実際戦ってみると、銃で撃ちあうとすぐに、相手はほとんど戦うことなく、どんどん後退してしまいます。清国軍は、城を守っているときでも、日本軍が突撃をかけると、慌てて、城を捨てて裏口から逃げて行ってしまいます。

 日本軍にすれば、「清の兵とはこんなものか」。と、気が抜ける思いだったそうです。結局、大戦中激戦と呼べるものはほとんどなく、日本軍の一方的な戦いに終始し、清との戦いは半年で終結します。

 よくよく調べてみると、清の兵と言うのは、華北あたりの農民が、銭で雇われて、ほとんど訓練もしないままやって来た者たちで、近代の軍事訓練を受けていませんでした。

 清が周辺の小国を相手にするなら、威嚇することで勝利できたかもしれませんが、イギリス、フランス、ロシア、日本のような、近代装備を備えた軍隊には叶うはずはないのです。

 どうも、ロシアは、かつての清国軍のように見えます。戦争の仕方の古さと言い、そこに連れて来られてきたロシア軍兵士の厭世気分と言い。既に戦いをする以前からロシアに勝ち目はないように見えます。

 一人プーチンさんだけがいら立って、大騒ぎしていますが、ロシア国民はなんのために戦わなければならないのか、目的が見えないまま大砲の前に身をさらすことの惨めさを感じているのでしょう。

 それに対して、ウクライナは国を守るため、家族を守るため戦意高揚しています。それをNATO軍とアメリカが陰で武器を供与して支えます。今、影で支えていると言いましたが、もう実は堂々と武器供与して、武器の使い方まで訓練して教えています。

 中には今回の戦いに、義勇兵と言う名で、アメリカ軍、イギリス軍、フランス軍が参加していて、戦い方を直接前線で指導しています。そして、戦況は、逐一アメリカや、フランスやイギリスが衛星写真まで送って、ロシアの動きをウクライナに伝えています。つまり、ウクライナ対ロシアではなく、アメリカ、NATO軍対ロシアの戦いになっています。

 これではロシアに勝ち目はないでしょう。当初、NATO軍の協力は極めて消極的なものでした。それがここまで積極姿勢に変わったのは、キエフ近郊の都市で市民の虐殺が目撃されてからです。腕を縛られたままの市民が頭を撃ち貫かれたり、自転車に乗っている市民が銃で撃たれたりした死体を見たときに、世界中の人々が、ロシアに対する姿勢が変わったのです。

 最後まで戦争に関与することをためらっていたドイツが、憲法を変えてまでも積極的に支援する姿勢に変わったのです。方や日本では、武器供与が憲法で認められていないと言う理由で、ウクライナへの支援は、医薬品や日用品に限られていますが、実は、世界的なレベルで考えるなら、ドイツの憲法改正の方が正しい判断です。

 日本が頑なに自国のみでしか通用しない憲法を守っているだけでは世界の信頼は得られません。ウクライナ政府は、世界31か国に感謝のメッセージを送りましたが、そこに日本の名前はありませんでした。

 なぜないのか、答えは簡単です。ウクライナが今欲しいのは銃であり、ミサイルであり、戦車です。目の前でロシアと戦っている人たちに、トイレットペーパーや、飲料水を送ってくる国など信用しないのです。無論、日用品は役には立ちます。善意で送ってくれていることは分かります。然し、今、目の前でロシア兵と戦っている人たちに一番しなければいけないことは銃や弾を送ることなのです。まだ千羽鶴が届かなかっただけましではありますが。

続く