手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

言葉の暴力

言葉の暴力

 

 一週間前の3月31日、アメリカロサンゼルスでのアカデミー賞の授賞式で、プレゼンターのコメディアン、クリスロックさんが、受賞者のウイルスミスさんの奥さんの病気を揶揄して紹介したことに、スミスさんは腹を立てて、舞台上でロックさんを平手打ちして会場は騒然。

 この事件は、その後しばらく日本のワイドショウをにぎわしました。多くの日本のコメンテーターは、「ウイルスミスさんが暴力を使ったのは悪い」、と言っていました。中には、「スミスさんの気持ちも理解できるが、矢張り暴力はいけない」。と言った人もあります。

 大方の人はスミスさんの非を語りますが、そうでしょうか、そもそもの問題は何ですか。

 先ずプレゼンーターの資質が問われませんか。この場においてプレゼンターは受賞者を讃えなくてはいけません。俳優として、映画関係者として、人並み以上の苦労をしなければこの場には上がって来れないはずです。

 どれほど苦しい過去があったのかは想像に難くはありません。そうした人を認めることは素晴らしい行為のはずです。それを揶揄したり小馬鹿にするようなことは失礼です。先ずプレゼンターは失格です。

 次に、小馬鹿にした対象が、奥さんだと言うことです、病気で髪の毛が抜けたスミスさんの奥さんは、恥ずかしい気持ちを押さえて、亭主のためにドレスを着て出席しているのです。その奥さんの髪の毛をからかう行為は許されるのでしょうか。

 

 日本のワイドショウのコメンテーターは誰も奥さんの立場に立って問題を語ろうとしません。ただ平手打ちしたスミスさんだけを「暴力はいけない」。と言うだけです。

 スミスさんは暴力がいけないことは当人も百も承知なのです。ならばなぜ暴力を使ったのか。恐らくここではっきり怒らなければ、言葉の暴力は止まらないと思ったからでしょう。

 人を馬鹿にする人、からかう人はそれが間違った行為だと思っていないのです。ほとんどの場合、弱者をからかう言葉は、無意識に発せられ、言われた弱者が沈黙することで、言った相手は許されてしまいます。つまり弱者の泣き寝入りなのです。

 スミスさんは、恐らく自分がからかわれたなら何も言い返しはしなかったでしょう。それが奥さんに対するからかいだから怒ったのです。

 

 こう書くと、「だからと言って平手打ちすることはない」。と言う人があります。まことにもっともな言いようです。恐らくスミスさんは分かってやったのです。

 アメリカ人が本気で殴るなら平手打ちなどしません。殴ります、殴るにしても数発は殴るでしょう。平手打ちは、いわば演技のレベルです。奥さんの立場に立って、一発お見舞いしたのです。

 つまりこれは言葉の暴力に対する正当防衛です。

恐らく多くのアメリカ人は、今回のことを表向きには「暴力はいけない」。と言いながら、心の内で喝采をしていたでしょう。アメリカ人は女房の名誉を守る亭主は尊敬されるのです。

 日本人のような曖昧な判断をする男がいれば、それはアメリカ社会ではバカ扱いされます。

 言われたらやり返す、これは普通のことです。

 

 ウクライナの問題でも、たまにコメンテーターの中で、「ロシアにもウクライナにも問題がある」。などと頓珍漢なことを言う人がいます。今、現実に、一方的に戦いにさらされているウクライナに対して、何が問題なのでしょうか。ロシアに言い分があるなら、ロシアの何が正しいのでしょうか。分かったようなことを言って両者を裁く立場に立つことはやめて頂きたい。コメンテーターに国際問題を裁く資格はありませんし、誰も仲裁を期待していません。

 ロシアがウクライナを攻める行為は、いじめと同じです。相手が弱者であることを知って、弱者に言うことを聞かせようとして圧力をかけているのです。その圧力をはねのけるにはどうしたらいいですか、自ら戦って自由を手に入れる以外解決はないのです。

 

 こんなワイドショウのコメントを聞いていると、日本の小中学校のいじめがなかなか解決しない理由が分かります。「いじめられる側にも問題がある」。などとしたり顔して言う教師。バカも極まれりです。いじめは百%いじめる側に問題があるのです。

 周囲の大人が曖昧な判断をしたり、地位やカネのある家の息子を逆にかばったりするから、いじめはなくならないのです。

 実は、いじめる側の子供は常に周囲の大人の様子を見ています。見ていて許されるから一層いじめはエスカレートします。

 いじめられる子供は、家が貧しかったり、親が片親だったり、勉強が出来なかったり、スポーツが苦手だったり、体が小さかったり、身体障害を負っていたり、どれもこれも当人とは何の関係もないことばかりがいじめの対象になります。

 いじめられる子供に罪はありません。そして自分で問題を解決できないほどいじめが陰湿になってくるから子供は自殺します。自殺したときに周囲は、「それほど悩んでいるとは思わなかった」。と、みんなが逃げ腰になります。

 嘘を言ってはいけません。知っていたはずです。知っていながら見て見ないふりをしていたのでしょう。相手が貧しい家の子供だから、障害者だからと教師もバカにしていたのでしょう。いじめは常にいじめる当人だけでなく周囲の無関心が増長させます。

 

 ウクライナがこれほどひどい被害に遭っていても、日本のワイドショウのコメンテーターは、「一刻も早い平和的な解決を望む」、などと意味不明なことを言います。

 何が「平和的な解決」ですか。自分の国にロシア兵が入り込んできて、女房子供を殺されて、どうやったら平和的な解決が出来ますか。相手を倒す以外解決はないでしょう。平和、平和と言葉で語っていても平和はやって来ません。自らが戦って相手を倒した先にしか来ないのです。

 スミスさんのことと言い、ウクライナの戦いと言い、余りに無知なコメンテータの発言を聞いていると腹が立ちます。まぁ、テレビとはその程度のものだと思えば諦めは付きます。そうなら誰が日本人に良識を伝えますか。

続く