手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

蛇崩川(じゃくずれがわ)

蛇崩川(じゃくずれがわ)

 

 私が通っている床屋さんは中目黒にあります。元は、駅前の商店街の中ほどにあったのですが、10年ほど前に住宅街に引っ越しました。以来毎月一回、通い続けています。

 だいぶ髪の毛が伸びて来たので、昨日(6日)午前中に床屋さんに行きました。このオーナーの緒方さんは、若いころから名人の呼び声高く、若いころは六本木で店を出していて、たくさんの有名タレントを整髪していました。

 私との縁は、中目黒に店が移ってからです。知人からに紹介でした。それ以来45年。ずっと通い続けています。

 

 中目黒の駅を電車の線路沿いに自由が丘方向に歩いて行きます。5分も歩くと道が二股に分かれます。右側に行くと、そこは桜並木です。もうすっかり桜は咲いていて、風が吹くと花びらが散って、花吹雪となって舞って行きます。

 文字通りこれが花吹雪で、強い風でなくても、次から次と花びらは風に乗って流れて行きます。通り全体が薄桃色に変わり、明るい色調に包まれます。日本の一番いい季節でしょう。

 この桜並木の通りの下に、蛇崩川が流れています。今は暗渠となって、川を見ることは出来ません。昭和の初めころでしたら、美しい小川だったのでしょう。これを暗渠にしてしまったのは勿体ないことだと思います。都内にかつてあった美しい小川を復活させたなら、町の景観はグレードアップし、世界中がうらやむような住宅街になることは間違いありません。ぜひとも暗渠はやめて、自然な小川に直してください。

 

 それにしても、蛇崩川とはすごい名前です。一度聞いたら忘れることが出来ません。元々はこの近くに蛇崩と言う地名があったそうです。この辺りは山坂が急で、その谷間を縫って小川が流れていました。

 この小川があるとき氾濫をして、周囲の崖を崩したときに大きな蛇が出て来たそうです。以来この辺りを蛇崩と呼ぶようになったとか。

 いずれにしても、名前を付けた当時と今では街の様子は大きく変わっています。今は、川の右手の急坂はその傾斜を利用して高級住宅街になっています。いかにも目黒区らしい、立派な家がずらり立ち並んでいます。左手は平地で、ここは商店と住宅街が一緒に並んでいます。その真ん中が桜並木で、蛇崩川は遊歩道になっています。ここを歩いていると、とても豊かな気持ちになれます。

 例の目黒川の桜並木はあまりに有名になり過ぎて、カフェだのレストランだの立ちすぎて、情緒を楽しむ余裕は無くなってしまいました。なにより人の多さが煩わしさを感じさせます。さぞやあの近隣の住人は迷惑でしょう。

 桜並木は確かに美しいのですが、目黒川のコンクリートの土手は醜悪です。しかも川の水もあまりきれいとは言えません。あの川の土手を石垣にして、水がもう少し奇麗になればいい場所になるかも知れませんが、あえて花見に出掛けたい場所とは思えません。

 むしろ、目黒の穏やかな風景を楽しむのでしたら、蛇崩川はおすすめです。目黒川とは反対方向の場所ですが、来てよかったと思える所です。

 

 さて、床屋さんを終えて、いったん電車で自宅に戻りました。昨日詰めておいたスーツケースを車に積み、日本橋に向かいました。今日は、日本橋界隈の経営者の集まるパーティーがあり、夕方4時に、マンダリンホテルの二階にあるアゴラカフェに入りました。

 そのパーティーで、私の手妻と、早稲田康平さんのクロースアップマジックを見せることになっています。早稲田さんはほどなく入ってきました。いろいろ打ち合わせをして、早稲田さんは6時30分から30分間クロースアップを演じ、私は7時過ぎから舞台上で手妻をすることになりました。

 お客様は30名弱、何でも素直にものを見る人たちで、早稲田さんのマジックに客席が湧いています。成果はまずまずのものでした。チップもよく集まったようです。

 

 私は引き出しを演じ、そのあとサムタイ、そして蝶を演じました。いわば宴会の定番ルーティーンです。いずれも熱心に見て下さいました。終了後、客席に回りお客様と歓談。9時の閉会までお付き合いしました。

 その後、アシスタントの穂積みゆきさんと食事。と言ってももう9時です。この近辺で食事のできる所を探すのは難しいと判断をして、コレド室町の一階にある天ぷら屋さんに入りました。一番ボリュームのある、7品くらい乗っている天丼を頼みました。天ぷらが丼から目いっぱいはみ出しています。学生だったら歓声を上げて喜ぶでしょう。穴子が丸まる一本、長いまま乗っていました。

 私は、朝から一日動いていたせいか随分空腹でしたので、全部食べました。それでも半分食べたところで少し油の匂いが鼻についてきました。そこであらかじめ頼んでおいた天茶の出汁をたっぷりかけました。出汁は天ぷらの油を吸って、くどさが消え、胃もたれを押さえます。結局難なく丼一杯のてんぷらを食べました。

 味云々を語るよりも、この晩の食事はとにかく空腹が最大のおかずでした。

 家に戻ったのは夜10時半でした。車から荷物を戻し、さて、デスクワークをしようとパソコンに向かったのですが、知らないうちに眠ってしまいました。目が覚めると1時半過ぎです。「これはもうくたびれているから仕事は無理だ」。と思い、寝ることにしました。

 かくして長い一日は終わりました。日本橋の経営者の皆様の反応が良かったため、この先良い流れが生まれそうです。早稲田さんも、少し、お客様とのつながりが出来て、銀座のお店まで来てくれる可能性ができました。いいことずくめでこの晩のショウは成功でした。めでたしめでたし。

続く