手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

クラスター爆弾

クラスター爆弾

 

 先日、テレビを見ていて驚きました。ロシア軍がクラスター爆弾を使用していて、多くのウクライナ市民や、ウクライナ軍を殺傷しています。ゼレンスキーさんが、ウクライナクラスター爆弾の必要性を痛感し、NATOに供与してほしいと依頼しています。

 クラスター爆弾と言うのは、大きな爆弾の中に、小さな玉になった爆弾がたくさん入っていて、大きな爆弾が破裂すると、四方に玉が飛び散って、広範囲に兵器や、兵士を殺傷するものです。

 それに対して、コメンテーターが、「クラスター爆弾は、危険性が高く、NATO軍の中でも多くの国が使用することに反対している。かつてオセロ条約(ノルウェーで開催された会議)で不使用を確認して多くのNATOの国々が使用をやめている。それをウクライナに供与することは適切ではない」。と言っていました。

 驚きの発言です。クラスター爆弾の危険なことは誰もがよく知っています。しかし、現実に、その危険な爆弾をロシアは連日使用しているのです。被弾して苦しんでいるウクライナに対してクラスター爆弾を使うなとなぜ言えますか、言うならロシアに対して言うべきでしょう。クラスター爆弾がいけないならば、どうしたら戦いを解決させたらよいのでしょうか。コメンテーターは原則を言うばかりで、問題の解決を示していません。

 暴漢に襲われている人がいて、たまたま通りがかった通行人が、襲われている人に、「暴力はいけないからやめなさい」。と言っているのと同じではないですか。「素手で殴るのはいいけども、鉄パイプを使って叩くのは危ないからやめなさい」。などとアドバイス?しているのと同じです。暴力を使っているのは暴漢です。この場は被害者を守ることこそ第一であって、暴漢に配慮する理由がどこにありますか。あまりに被害者の立場が分かっていないのです。

 日本のテレビを見ていると、高見に座って、原則論を言うばかりで、何も問題解決を語ろうとはしません。戦争はしない方がいい。それは誰でもそう思うでしょう。然し、現実に攻め込まれたらどうしますか。戦争はいけないと言うのは、攻めている相手に対して言う言葉で、攻め込まれている国に言うのは無意味でしょう。ましてや、攻め込まれた側に「クラスター爆弾は危険だから使うのはよしなさい」。と誰が言えますか。

 日本の憲法も同様です。これまで、戦争をしない。軍隊を持たないと言うことは、崇高な理念ではあります。考えとしてはそれもよいでしょう。でも、実際にこの70年間。日本に戦争が起きなかったのは、平和憲法があったからではありません。アメリカが強大な軍事力を持って手厚く庇護していたから平和だったのです。

 戦争をしません。軍隊を持ちませんと言っても攻めてくるやくざ国家に対しては何の効力もありません。侵略者はどんな理屈を作ってでも攻めて来ます。理論が正しいから攻めるのではなく、土地が欲しいから攻めてくるのです。彼らに理屈何て通用しません。無法者と理性ある人が戦えば、必ず無法者が勝利します。初めから理屈の通る相手ではないからです。

 それが証拠に70年間話し合っても北方領土は返って来ません。竹島も同じです。尖閣諸島は返って来ました。当時の石原慎太郎都知事が「国がやらないなら東京都が島を買ってでも守る」。と宣言して、尖閣を領有しようとしたからです。理屈のわからない人達には、行動で示す以外解決の道はないのです。

 

 話を戻して、ウクライナクラスター爆弾を使用するでしょう。いいも悪いもなく、目の前で家族が殺されたなら、何が何でも相手を倒さなければならないのです。

 ウクライナの戦局は、かなりウクライナ軍に有利に動いています。ほとんどロシア軍はなすすべもなく敗退しています。どこの戦地でもロシア兵の集団脱走が多いのがロシアの実態です。多くの兵士は戦いたくないのです。

 先日の、クリミア橋の破壊は、ロシアにとっては痛手です。クリミア半島には水もなく発電所もなく、食料も満足にはありません。動脈であるクリミア橋が破壊されると、物資の輸送は制限されます。半島に多くの兵士が駐屯していては、生きて行くすべがありません。一昨日のクリミア橋の破壊は、かなりクリミア奪還が近づいたと言えます。

 

 これに対してプーチンさんが、このところ、核兵器の使用をほのめかしています。「ウクライナの戦争を終結することなんて簡単だ。原子爆弾を一発落とせばすぐに終了だ」。と言っています。この発言はプーチンさんにとって致命的な失敗です。

 原子爆弾を使用すれば、すぐ次にはロシアが被弾します。ロシア人の中で、ウクライナに勝利するためには、原子爆弾を撃ち込まれてもいいと思っている国民が一人でもいるでしょうか。誰一人望んでいないでしょう。そうした中で、原子爆弾一発撃ち込めば、と発言している政治家を許すことができるでしょうか。私は、プーチンさんの発言を聞いていて、「この人は終わったな」。と思いました。

 もう時代はプーチンさんを求めてはいないのです。この人はそう遠くない時期に大統領の立場を追われるでしょう。

 ウクライナの反撃は少しい可能性が見えてきました。年内の完全撤退は無理としても、もうロシアには世界からの信頼も得られず、兵器も、兵士も足らなくなって、身動きが取れなくなるでしょう。

 

 プーチンさんは、自身をピョートル大帝になぞらえて、歴史に残る政治家になろうとしていました。然し、ここへ来てのプーチンさんは余りに稚拙です。大事業を焦り過ぎています。どうも政治家は70歳に至ると、歴史に残るような偉業を残したいと思うようです。然し、偉業は簡単には出来ません。

 同様に、もう一人69歳の政治家がいます。この人も歴史に残る偉業を成し得たいと考えています。それが習近平さんです。しかし、この人も、プーチンさん同様に、この先はとても危険な立場に追い込まれそうです。下手をすると、習近平さんも、中国と言う国自体も、あっという間に世界から消え去ってしまう可能性すらあります。明日は習近平さんの話をしましょう。

続く