手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ヘルソン奪還

ヘルソン奪還

 

 ウクライナ軍は、南部のヘルソン州をに進行しているロシア軍と戦い続けて、昨日(11日)ようやく州都ヘルソン市を奪還したようです。ヘルソン州は南にあるクリミア半島に隣接していて、ウクライナにおいて最も重要な地域になります。

 軍港であり、天然の良港をもつクリミア半島は、黒海の中でも最重要な島で、古代からこの島は周辺の国に狙われ、この島のためにたびたび戦いを起こしてきました。

 

 その最大の戦いは、1853年のクリミア戦争です。実はこの戦いにロシアが辛勝したことにより、今も、ロシアはクリミア半島を自国領と主張するのです。

 そもそもの始まりは、トルコ帝国が、勢力拡大を図りバルカン半島に触手を伸ばしたことに始まります。バルカンとは、ギリシァの北側、イタリアの東側に広がる広大な土地です。昔からこの地は、多くの民族が混在し、小さな領主が群雄割拠して、なかなかまとまりにくい土地です。

 それゆえに幾度も大国がバルカン半島を攻め取ろうと戦いを起こします。ところが、半島の小国は、そうした大国の思惑を逆手にとってうまく大国同士に戦いを仕向けて自国の安泰を図って来ました。

 1853年もそうでした。トルコが北上をし、モンテネグロを攻略しようとします。モンテネグロとは今も存続する小さな国ですが、国王は、すぐさまロシアに支援を求めます。ロシアで埒が明かないと、ブロシア(ドイツ)イギリスにも密使を送り支援を求めます。こうして小さな戦争が世界戦争に発展して行きます。ここでフランスが、トルコに支援をして、バルカン半島を一緒になって攻めます。それをギリシァが背後から急襲して、フランス軍は大敗します。

 

 それまでイギリスは静観をしていたのですが、フランスを支援すべく、艦船を派遣して、黒海に入り、フランス軍と共にバルカン半島を背後から攻めます。対するロシア軍は黒海艦隊を派遣してイギリス、フランス、トルコ軍と戦います。イギリス、フランス、トルコの連合軍はクリミア半島にある、ロシアの黒海艦隊の拠点である、セバストポリ港を攻撃します。この戦いの場が今、ウクライナ軍とロシア軍の戦っている地域です。

 ロシア海軍の拠点であるセバストポリは堅固な要塞で簡単には落ちませんが、連合国がごり押しをして責め立てて1年後に要塞を落とします。これによって黒海艦隊は消滅します。然し、この戦いは余りに両軍の損失が大きく、ロシア軍、連合国軍併せて20万人の死者を出しました。

 当時の戦争で、一地域だけで20万人もの死者を出すことは異常で、これにより、イギリスもフランスも国内で急激に反戦運動が起こります。それは当然なことで、縁もゆかりもない黒海の港町一つ攻めるために、各国数万人もの死者を出し、国家予算を傾けるほどの戦費を背負ったわけですから、国民の不満も募ります。

 結局この戦いは双方ともに、戦争疲れをして停戦になります。そもそもバルカン半島の西側、モンテネグロと言う、岩手県ほどの小さな国をトルコが狙ったことから始まった戦いが、いつの間にか、バルカン半島全域から、ウクライナ、ロシアにまで及ぶ大戦に発展してしまったのです。モンテネグロは実にうまく外国の野心を利用して、かわしたことになります。

 この戦いで最も割を食ったのがロシアでした。辛くも戦いは引き分けに終わりましたが、他の国が数万人の死者を出したのに対し、ロシアは直接ロシアの土地が戦場になったため、30万人もの死者を出しました。ロシアの不幸は、この後、第一次大戦も、第二次大戦も、ロシアは戦うたびに数千万人もの死者を出しています。この事を記憶して置いてください。

 ロシアは、今、ウクライナが戦っているヘルソン州や、南部地域を、170年前にトルコの連合国軍と戦い、多くの死者を出し、クリミア半島では黒海艦隊を丸ごと失い、港を占領されました。この損失は計り知れなく大きなものでした。それゆえにロシア人にとって、クリミア半島とそれに付随する地域は、ロシア人の血で守られた地域だと主張するのです。

 ソ連が崩壊したときに、国力を失ったソ連は、周辺国が独立をするのを黙ってみるほかはありませんでした。なにより自国(ロシア)を維持することが精一杯だったのです。ウクライナは、クリミア半島と言う遺産を受け継いで独立を果たします。然し、プーチンが現れて、周辺を眺めたときに、ウクライナクリミア半島を渡したことは過剰な譲歩であったことに気付きます。

 黒海は内海ではありますが、海が大きいだけに嵐などが来ると外洋のごとくに荒れます。その時の寄港地が少なく、入り組んだ土地が少ないのです。かろうじてトルコの北岸、ルーマニアドナウ川の河口、そしてウクライナオデッサ、クリミアのセバストポリ、そうした限られた港に帰国するほかはないのです。そうなると、クリミア半島を手放したことはロシアに取って痛恨だったわけです。

 プーチンは就任以来、ソ連崩壊に時に失った地域を奪還することに執念を燃やしてきました。中東の参戦はそうした戦いの一環であり、今回のウクライナ侵攻はまさにプーチン流の仕切り直しなのです。ソ連時代に余計に支出した分を返してほしいと言っているわけで、サラ金の過払い金の請求をしていることと同じなわけです。

 

 ウクライナの侵攻に対して、トルコが仲裁を申し込んで話に加わろうとしていますが、170年前にトルコがロシアにしたことを考えれば、仲裁できる立場ではなく、ロシアにすれば決して許すことのできない国なのです。同じく、イギリス、フランスです。他国の戦いに、黒海に軍艦まで持ってきて、散々国を荒廃させた罪は今も消えてはいないのです。ロシアにとって、ウクライナは外国ではなく、同じ民族の同じ国家なのです。そうであるが故にクリミア戦争ではウクライナを守ったのです。そこに誰からも文句を言われる筋合いはないとロシアは考えています。

 

 そう言いながらも今ロシアはヘルソン州から撤退しつつあります。いずれクリミア半島も失うでしょう。ロシアにとっては今の状況は理不尽と叫ぶ以外ないのです。ロシアは誰からも理解してもらえないまま不満をしまい込み、くすぶり続けているのです。

続く