手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マギー、ボナ、新太郎

マギー、ボナ、新太郎

 

 昨日、久しぶりにマギー司郎さんと電話がつながりました。もうマギーさんとは一年以上会っていません。私からは頻繁に電話をしているのですが、電話が繫がりません。

「携帯を無くしたのかなぁ」。「電話を変えたのかな。変えたなら電話してくるはずだけどなぁ」。

 年に二、三度、私は、マギーさんとボナ植木さんと三人で呑み会をしているのですが、それも丸一年していません。

 こうなると少し心配になります。「入院でもしてるのかなぁ、きっと私らに気を使って、何も知らせずにいるのかも知れない。そうなら、見舞にも行けず、顔も出せず、一人で入院しているのは気の毒だなぁ」。

 そんなことを考えつつ、無駄と知りつつも、月に一度は電話をしていました。それが昨日偶然つながりました。

 「どうしたの、全然連絡がないから心配していたんだ」。  「ごめんね、実は俺も年だからさぁ、コロナに罹ったら怖いから、仕事以外外出しないようにしていたんだ。なんせもう75だからね。仲間と呑んだりしないようにしていたんだ」。

 「そうかぁ、そういう年になるんだよね。で、仕事はあるの」。「ない、ない、月に一本か二本、たまにバラエティ番組に呼ばれたり、地方の市民会館で寄席をするときに呼ばれたり、市民会館の寄席って言ってもお客さん少ないし、まぁ、ギャラにはなるけど、盛り上がらないよ。そんなのが月に一本あったって、生きて行けないよ」。

 「まぁ、それでも長いこと芸能を続けて来たから、縁ある所から仕事が来るんでしょう。若い連中なんか、全く仕事が発生しないって言ってるよ」。

 「そう、全然ないって言ってた。うちの弟子なんかも食べて行けないって言ってるもん。マジックだけじゃなくて、お笑いも歌い手も、全く仕事がないって言ってる。生きて行けないからやめてほかの仕事をする人が多いもん。芸人も生きて行けないし、芸能プロダクションもやっていけないって言ってたよ。事務所閉めちゃったところもあるもの」。

 「芸能事務所がやめちゃったら、この先、コロナが収まっても仕事がかかってくる確率はうんと少なくなるよね」。

 「そう、心配だよね。これでコロナが収まっても、仕事は戻らないよね。俺なんかも昔の蓄えがあったから、少しずつ使って何とか生きて来たけれども、でもまだ何年もこの先、こんな状態が続いたら、もう生きて行けないよ」。

 「マギーさんが生きて行けないんじゃぁ、誰も生きて行けないよ。それで、仕事も少なくなって、人とも会わず、何してるの、家に閉じこもっているの」。

 「家に閉じこもっていてもすることないから、毎日隅田川を歩いているの。少しでも体を動かさないと、年寄りになっちゃうから。このところは天気もいいから、何時間も歩いているよ」。

 「あんたなんか、そうやって散歩して、グルコサミン呑んでいたら、健康でいいよね」。

 「うん、幸いにね。でも、もう、コロナもたいしたことないみたいだから、また会おうよ。久しぶりに一緒に飲みたいよ。ボナさんどうしているの。来週あたり三人で会おうか。この三人は50年来の付き合いだから、もう二度と出来ない仲間だもん。大切にしないといけないよね」。

 「何、いきなり。一年も返事よこさないで、大切な仲間だと思うなら頻繁に返事よこしてよ。いきなり電話かかって来たと思ったら、来週会いたいって、まぁいいけどね。それじゃぁ、ボナさんに連絡してみるよ」。

 

 こうして電話を切りました。無事で活動していたのは幸いでした。それにしても、コロナは人の生活を変えました。仲のいい仲間と言えども一年、会えなかったのです。

 この二年半はそれぞれの人生に大きな変化がありました。ナポレオンズは、相方のパルト小石さんを亡くし、一人で活動しています。更に所属していた、東阪企画の代表、澤田隆治さんが亡くなりました。良き時代が去って行ったような気がします。

 でも、郷愁に浸っていてはいけません。昭和も平成も過ぎて行きましたが、我々は今を生きなければいけません。苦しい、厳しいと言っても我々はこうして生きて行けています。

 生きて行けるなら、それを少しでも面白く、楽しく、充実した日々にしなければいけません。駄目は駄目でもなんとかいやって行けるはずです。

 

 今日は、田代茂さんの主催するジャパンカップがあります。私は20年間、コメンテーターとして出席しています。第一回のマジックオブザイヤーは前田知洋さんだったのです。そのとき賞状を読んだのは私です。私はそのとき47歳だったのです。それから20年。ずっと賞状をお渡しする役を続けて来ました。

 私が適任であるなら、今後もその役は続けます。人から求められることは幸いです。今晩も6時から、帝国ホテルでジャパンカップは開催されます。

 いくつかあるマジックの催しの中で、最高の会場であり、最も格式がある催しです。そこに参加できることは幸いです。

 

 先週、玉ひでの山田社長さんから、玉ひで建て替えの際に、代わりになる舞台を紹介しすると仰っていたのですが、早速、今日、拝見に行くことになりました。

 帝国ホテルでのジャパンカップが6時からですから、夕方4時に玉ひでに伺い、山田社長さんと話をしたうえで、そこから会場に入ろうと考えています。全く、お店の利益にもならないことのためにいろいろご協力いただいて申し訳なく思っています。

 せっかく玉ひでで定着した手妻とマジックの催しを、場所は変わっても継続して行けることはとても大切なことです。「マジックが見たい」、と考えているお客様がいたとしても、いつでもマジックを見られる場が東京に一軒もなければ、人の興味はしぼんでしまいます。

 何とかマジックのファンを増やして行きたい、そのためには、まず月に一回のマジックの催しを定着させなければ行けません。玉ひでが無くなるのは残念ですが、それに代わる新たな場所が生まれることは新たな可能性が生まれます。

 どんな活動をしてもうまく行かないことだらけです。うまく行かなくても、そんな中から何とか可能性を見出して、良き方向に進めて行かなければいけません。今日がそんな出会いの一歩になることを期待しています。

続く

 

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