手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

よくわからない文化

よくわからない文化

 

 日本には、古くから伝わるもので、何度聞いてもよくわからない呪文のような言葉がたくさんあります。そして、それが途絶えることなくいまだに日常生活で生かされています。

 その代表と言えるのがお経でしょう。葬式や、法事ではお寺のご住職が読経をします。これがさっぱりわかりません。元々が古代インド語から来ているものが中国に伝わり、漢字に直し、それを日本人が受け継いで読んでいるもののようですので、本来の古代インド語とははかなり違った発音や、誤読になっていると思います。

 仮に古代インド語の通りに語っているとしても、だからと言って我々が理解できるものではありません。現在のインド人が聞いたとしても恐らくは理解できないでしょう。そうなると、お経と言うものは誰のために、何のために読むのか、存在そのものが理解できずに、得体のしれないものと思えてきます。

 仮にそこに書かれていることが、お釈迦様が言った言葉だとして、それを多くの日本人に伝えようとするなら、現代語で、平易な日本語に訳して語ってくれたならいいのにと思いますが、それでは有難みがないのでしょうか。

 私にはわからないのですが、どうもお経は、日本に伝わったときのままに、発音から、読み方から、節(メロディーのようなものを感じます)まで、奈良、平安時代の通りに残すことを大切にしているのではないかと思います。

 日本にはどれほどの仏教関係者がいるのかは知りませんが、少なくとも数十万人の人たちが従事しているのではないかと思います。その人たちが日々お経を読んでいると言うことは、かなりの数の古代インド語が使われていることになるわけで、言語の使用回数としては、英語に次いで第二位を占めているのではないかと思います。

 

 私は、日本のお経がどこまで古代語を継承しているのかに興味があります。例えば、般若心経や、法華経などはチベットや、タイや、中国にも残っているでしょう。そうなら、それぞれの国のお経の読み方を聞いて、どう違うのか、どこが同じなのかを耳で確かめたら面白いのではないかと思います。

 

 私の知人のご住職さんが、室町時代の日本の神社の書かれている巻物を読んで聞かせてくれたことがありました。それは単に神社の名称が書かれているだけの巻物なのですが、先ず、その節が独特でした。

 抑揚がかなり強くのっけから別世界です。そして、一つ一つの神社の名称の読みが今と少し違います。今はしない発音方法があるようです。前後の解説なども独特で、お経を聞くよりも内容は理解できるものでしたが、それでも現代の日本語とはかなり隔たりがありました。聞いていると、時空を超えて600年前がよみがえってきたように感じられました。

 ご住職は書かれている巻物をそのまま読んでいますが、巻物には、抑揚の指示とか、発音の支持などはありません。恐らく何百回と読んで記憶をしたのでしょう。こうしたことを地道に繰り返して活動をしている日本人がいると言うことを知っただけでも大きな収穫でした。

 

 日本の伝統文化の中にも、理解しずらい、お経に近い文句がたくさん出て来ます。能でも狂言でも歌舞伎でも日本舞踊でも、大概始まりに「名乗り」であるとか、長唄で言うなら「置き唄」と言うものがあり、長いストーリーの解説をします。

 これが大概は荘重に始まり、ゆっくりとしていて長く、初めて聞く人には退屈を感じさせます。古典芸能を嫌いだと言う人の多くはこの始まりの長さが絶えられないで嫌いになってしまう人が多いように思います。

 能で言うなら、序、破、急、の序に当たります。この序がかなり長く、なかなか物事が進展しません。舞に変わって、囃子が賑やかになって面白くなったかと思うとすぐに終わってしまいます。序の長さに対して、破、急はあまりに呆気なく進んでしまいます。

 

 長唄の「吉原雀」と言う曲があります。舞踊でよく踊られますし、賑やかな曲ですから初心者が聞いても面白いと思いますが、問題は置き唄です。

 吉原と言うのは遊郭のある遊び場です。雀と言うのはそこへ冷かしにやってくる客のことです。要するに女郎と遊ぶ話なのですが、その置き唄の出だしが、

 およそ生けるを放つこと、人皇(にんのう)四十四代の帝(みかど)。元正天皇御宇(ぎょう)かとよ。養老四年の末の秋、宇佐八幡の託宣(たくせん)にて、諸国に始まる放生会(ほうじょうえ)。

 生き物を放す行為は、天皇の四十四代目、元正天皇によって、養老四年から、宇佐八幡のお告げで始まった。という意味です。吉原の遊びとは全く関係のない話で、余りに大袈裟です。

 生き物を殺生しないで、放してやる行為を、放生会(ほうじょうえ)と言い、それが慈善行為であると言うことで、毎年行われていました。

 実際には、生き物を放つと言っても生き物がその場にいなければどうにもならないので、道端や、辻々でわざわざ放すための生き物を並べて売っていました。例えば、橋の欄干のところに、亀を藁紐で括りつけたり、魚を盥に入れたり、鳥を鳥籠に入れて、奇特な金持ちが通ると、「旦那、放生会はいかがです」、と生き物を売ったのです。金持ちは、生き物を買い、それを川に放してやって、「あぁ、いい功徳をした」。と満足をしたのです。

 吉原の中の町に、放生会で小鳥を売る商人がやって来て、道行く客に生き物を売ります。悪所通いをしている客は、女郎にもてたい気持ちと、女郎買いをすると言う、後ろ暗い気持ちが混ざってその生き物を買って放してやります。何とも変な文化ですが、江戸時代は良く行われてたようです。

 然し、長唄は、吉原遊びをするために、その放生会の由来から語り始め、天皇の四十四代目まで出して厳かに始まります。

 女郎買いをするのに天皇を出すのは大げさです。曲は、お終いの方になると、女郎の真と卵の四角、あれば晦日に月が出る。などと砕けた節になって行きますが、それにしてもこの置き歌に何の意味があるのか、私は長唄を始めたころは長唄の出だしが全く理解できず、正直つまらないと思っていました。

 然し、年齢のなせる業なのか、置き唄が少し面白く感じるようになりました。歌詞の内容を探ろうとするからつまらないと感じるのであって、曲全体に身を沈めて、温泉に浸かるような気持で聴いていると実に心地良いのです。

 それはお経も同じくで、内容を探ろうとしてもインド語では理解できません。理解できないからつまらないと思うのであって、全体をひっくるめて、体全体で受け入れて見ると、これはこれで気持ちが良いのです。

 特に、お経は鎮魂を意味しますので、魂を鎮めるために語っているわけですから、聞いて心が静まればそれで目的は成功なわけです。日本の文化には、理屈で聴かず、心で聴くと気持ちいいと言うことが分かるようになりました。

続く