手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

どうにも逃れられない

どうにも逃れられない

 

 私にはどうしても完成させなければならない手妻の演技が幾つかあります。その中でも、もう15年も前に作り始めて、作っては壊し、作っては壊し、部分部分を直し、直しを繰り返し、いまだ舞台にかけていない作品があります。道具はほぼ完成していますが、細かな部分でまだ納得が行っていません。

 ここに至るまでにかけた時間はどれほどでしょうか。私の持っている作品の中で一番時間をかけたものと言えます。

 然し完成しません。なぜか、それは私自身の性格や、私自身の考え方に原因があります。やればやるほど自分自身の弱点が見えてきます。難しい作品です。

 

 それは「峰の桜」です。峰の桜とは、松旭斎天勝師が引退興行をした昭和10年に、何か斬新な作品を出したいと、ニューヨークに住む石田天海師に相談をし、作品を依頼しました。

 天海師は自身の得意ネタであるミリオンウォッチからヒントを得て、五輪の桜の花びらを次々に空中から取り出して咲かせて行く作品を考えました。手紙などで天勝にアイディアを説明し、来日し、実際天勝と稽古をすると、天勝がどうしても仕掛けを隠し持つことが出来ません。やむなく仕掛けを直接掌で握り持って、改めなく桜の花びらを咲かせる手順に切り替えました。

 天勝が後ろを向いて仕掛けを握ってくるまでの間、弟子の松天勝や小天勝が桜を出しながら踊って時間を持たせ、次に天勝が前を向いて桜を出す時には、二人の弟子が後ろを向いて仕掛けを掴んでくると言う演出に変えました。

 舞踊の振りがふんだんに使われて、吉原雀の長唄に合わせて三人が舞うために華麗で、豪華な舞台になりました。

 然し、マジック的に見るとあまり不思議な要素はなく、ただただ出てきた桜を緞帳に描れた枯れ枝に掛けて行くと言う、単調なもので、あくまで天勝引退のためのご祝儀の手順だったと考えられます。

 

 但し、ダーク大和師が昭和10年ごろ、親に連れられて、広島の芝居小屋で見たときに、「空中からキラキラとメッキのかかった、桜の花びらがたくさん出て来て、舞台の緞帳一面に桜が飾られてとても奇麗だった。あの日の天勝の舞台の中では一番忘れられない一幕だった」。と言っていたのです。

 私は、ダーク師の感動は、マジックの内容よりも、天勝とその弟子の踊りの見事さだったのではないかと思っていました。然し、ダーク師の言葉は、それまで峰の桜に興味を持っていなかった私に、一つの明かりを灯したことになりました。

 そのダーク師が、峰の桜を復活させたいと考えて、天勝が使用したと言う桜の花びらの寸法図面を持っていました。これは誰かが天勝の桜の花びらをくすねて持っていたらしく、そこから写させてもらったのだそうで、ご当人はその一枚の紙きれを折あるごとに眺めては構想を考えていたようです。

 実物は薄い鉄板にメッキを施したものだったそうで、5枚の花弁は二か所ずつ糸で結び付けられていて、握った手をパラリと離せば桜の五輪が咲くと言うものです。但し、何もストッパーがありませんから、手のひらに握っているだけです。

 この時私は、「この花びらなら工夫すれば様々な技法もできるなぁ」。と思いました。24歳の時のことです。

 すぐにブリキで桜の花びらを切って、糸でつないでみました。思った通り、それはうまく出来ました。然しこれをどう演技するのか、その構想が浮かんできませんでした。天勝一座なら連日1000人も入る大劇場で興行していたわけですから、道具は大きい分にはいくらでも大きくてよかったのです。今の時代に大きな緞帳を作っても、出来る場所が限られます。

 と言って、ミリオンウォッチのような、小さなスタンドを作って10枚とか16枚、桜の花を飾ったとしても、大した効果は生まないでしょう。「何とかその間を狙った上手い作品にはならないものか」。と思案しました。

 その後20数年を経て、屏風に桜を飾ったら、屏風絵の様になって奇麗だろう、という考えに至りました。さっそく木工所に依頼して大きな屏風を制作しました。桜の花びらも手作りでは上手くないので、鉄工場に依頼して型抜きで作ってもらいました。その時点で200万円くらいの投資をしました。然し、作品は遅々としてできません。

 その出来ない理由は、作品に効果を求めるあまり、いらぬものをくっつけて効果を上げようと躍起になてしまうためです。私の発想は常にイリュージョンなのです。然し、天海師の当初のアイディアはスライハンドです。相容れない発想に折り合いをつけて融合させようとするのですから無理が生じます。

 それでもひたすら没頭して、道具を付加させては、それを全部壊し、その後懲りもせずに更なる付加のアイディアを考えてはまた壊しを繰り返していました。経費ばかりが掛かります。しまいには出費に恐れをなして、峰の桜から気持ちを遠ざけるようになりました。

 

 然し、それは諦めたわけではなく、ずっと頭の中で手順を考え続けていたのです。そしてこの5年くらい、構想がまとまって、ようやく全貌が見えてきました。ただ、私の創作はどれも実践するために大きな費用がかかります。

 このコロナ禍の時期に、どうせ暇なのですから、一気にこしらえ上げてしまえばよさそうなものですが、私が何か作品を手掛けたなら際限なく資金を投資することは見えています。然し、ここへきて、自身の年齢を考えるようになりました。いよいよ今、これを作らなければこの先二度と作る時期が来ないだろうと判断しました。

 一昨日の27日は朝から一日、アトリエに籠って弟子と峰の桜を作りました。仕事は頭の中でじっくり考え上げていましたので、スムーズに進みました。やはり新しいことを考えるのは楽しいものです。今月来月にかけて、峰の桜を完成させます。そのあと、衣装、音楽をこしらえて、振り付けを依頼して、10月にはリサイタルでお披露目が出来るでしょう。まだまだ時間はかかります。乞うご期待。

続く