手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

漢字文化

漢字文化

 

 我々は日常、漢字を使って文字を表現しています。ひらがな、カタカナは漢字を補助する文字で、頭の中ではまず漢字を思い浮かべて、文章を組み立てています。

 漢字は、物によっては極めて複雑で、いくつになっても書けない文字もあります。特に最近は手紙を書く機会が減ったためか、突然文字を書かなければならないときに、基本的な文字まで思い出せないことがあります。

 「奇妙きてれつ」の、きてれつがどう書いたか、いくら考えても出てこないことがありました。頭の中は、きて、と、れつ、で考えてしまいます。れつは「烈」であろうと想像が付きましたが、きて、と言う漢字が思い出せず、「きて」とはどう書いただろうか、と思いめぐらすと、歩いていても、食事をしていても気になって、結局半日思い出せませんでした。

 無論、スマホがあればすぐに調べられるのですが、私はガラケイですので、調べごとなどできません。「携帯は話が出来ればそれでいい」。と思っていて、他の利用方法を知りませんのでこんな時は役には立ちません。

 きてれつが奇天烈であって、「きてんれつ」の訛りが奇天烈となったことをあと知って、そうなら、発音から漢字を想像することの無意味さを思い知りました。

 

 地名などは、元々が当て字で漢字を嵌めたものがかなりああり、発音から漢字を見つけるのは困難な地名がたくさんあります。静岡の登呂遺跡のある、トロ、などは文字のある以前からついていた地名に、漢字が後付けしたものでしょう。これなどは、いざ漢字に書こうと思うとなかなか思い浮かびません。

 よよぎ、せんだがや、などと言う地名は、東京にあって頻繁に利用するために普通に読めますが、仮にローカル線の、人があまり乗り降りしない土地の駅だったら読めるかどうかわかりません。

 

 漢字は象形文字から発達した文字であることはよく知られています。確かに、目、耳、口、人、馬、などは文字の原型を想像することが出来ます。然し、単純な文字にへんやつくりを付加して、自然に存在しない単語を作り上げるようになって、漢字は膨大な数に上り、複雑怪奇になって行きます。

 

 昭和20年に日本がアメリカに敗北して、アメリカ軍が日本に進駐します。この時、アメリカは、日本人が漢字やひらがなを使って表記することを無意味と感じ、全てをローマ字表記にしたらどうかと考えます。

 実際、今日でも、駅名や、簡単な単語はローマ字表記されています。然し、それだからと言って漢字表記を辞めてしまうと意味が通じなくなってしまいます。日本語は同音異語があまりに多いのです。

 特に、新聞などは、複雑な内容を伝えるには、ローマ字では誤解が生じてしまいます。そのためアメリカ政府はローマ字表記を諦めます。そうであるなら、使用する漢字の数を減らしてはどうか、と考え、当用漢字と称して、よく使う文字だけを選び出そうとします。

 ところが、驚いたことに、日本人のほとんどが、複雑な文字を読んだり書いたりできたのです。識字率が99%と言う驚異的な数字が示されました。つまり、占領したアメリカ人よりも、占領された日本人の方が識字率が高かったのです。

 結局当用漢字と言う考え方はうやむやに終わり、漢字は簡略される方向に進みます。漢字を簡略することは、日本人の漢字表記には役立ちました。旧字を見ると極めて複雑な文字が使われています。

 今でも台湾では旧字を使用していますが、台湾の新聞などを見ると、日常に旧字を使用していては漢字表記は困難だろうと想像できます。台湾の湾は灣と書きますし、国は國、鉄道は鐵道と書きます。よくある平易な文字も昔は大変複雑で、虫は蟲と書きました。なぜ三つ虫を書かなければいけないのか、よくわかりません。

 

 ただ、太古の中国では、学問のない農民に、役所の文章を読まれないように、あえて文字を複雑にしたと言う話が残っています。文字は複雑であればあるほど為政者にとっては都合が良かったのです。

 まともに学校で学んだことのない農民にとっては、複雑な文字の読み書きのできる役人は尊敬の対象で、文字が読める、書けると言うことだけでも人並み越えた才能に思われたのです。

 このことは実際ついこの前までの日本でも同じでした。私の祖母は明治生まれでした、明治の義務教育は小学校教育のみでした。私が高校生の頃に、森鴎外や、夏目漱石を読んでいると、私の単行本を見て、「どうしてこんな難しい文字が読めるんだい」、と言って驚いていました。祖母にとってはまったく理解できない内容だったのです。

 漢字が人の理解を遠ざけるためのものであったなら、旧字が複雑怪奇なことも容易に理解できますし、当て字で地名を複雑化させることも理解できます。静岡の登呂と言う地名は、発音からすると決して複雑な意味を持った地名ではないはずです。然し、漢字に変換すると、なかなかかけない地名になります。埼玉に長瀞(ながとろ)と言う地名がありますが、この長瀞のトロは静岡の登呂を飛び越えて、一層複雑怪奇です。

 

 文字自体も、林檎(りんご)の檎の字は、林檎以外で使うことがありません。緞帳(どんちょうの)緞の字も、どんちょう以外では使いません。毛氈(もうせん)の氈の字も、毛氈と書く以外で使ったことがありません。蝋燭(ろうそく)などは読むことも書くことも出来ません。

 憂鬱、鬱憤、の類は今までの人生で何度も見ていますが書けません。病院でよく使われている骨粗鬆症(こつそしょうしょう)はよく聞きますが、字を書くことも出来ませんし、発音することも困難です。なぜそうまで言いにくい病名を付けるのでしょうか。鬆の文字が何を意味しているのかさっぱりわかりません。分かったとしても一分で頭のなかから抜けて行くでしょう。

 骨粗鬆症が骨が弱くなってスカスカになる病気であることは分かります。そうなら「ほねスカスカ病」ではいけないのでしょうか。スカスカ病では保険料もあまり取りにくいと判断して、複雑な病名を名付けているのでしょうか。そうであるなら、病名も学問のない民を遠ざけるために考えられた単語なのかもしれません。そういえば医者はカルテをドイツ語で書きますが、あれも患者を遠ざける手段なのかもしれません。

続く