手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

昭和の思いで

昭和の思いで

 

 このところテレビ番組で、昭和に使っていた生活用品や、電気製品、昭和の住まいなどが特集されて、それを見た若いタレントが、「えぇ、こんな生活をしていたのですか?」。と言って驚いている姿を見ました。

 正直言って何が驚きなのかが分かりません。確かに家の中に、黒電話はなくなってしまいましたし、カセットテープデッキもなくなりました。ちゃぶ台も見なくなりましたし、日めくりカレンダーも見なくなりました。

 でも、そうしたものが使われなくなって、何がいけないのでしょうか。ついこの間までは普通にあったものですし、今でもまだ使用している人もあるはずです。仮に、無くなったからと言って、昭和の時代が原始的な生活を想像させるようなものではなかったはずです。

 私にすれば、「昭和と今とでは、とんでもなくかけ離れた時代ではないのに、一体、人は何に驚いているんだろう」。と思います。

 そもそも、昭和の時代などと言って区切ることが不思議です。私の頭の中ではいまだに昭和が続いています。今の年代を考える時も、1988年の昭和63年を基準として、「あぁ、あれから35年経ったんだなぁ」。などと計算をします。つまり、頭の中では、平成と言う時代すらなじみが薄く、平成を認識できないのです。ましてや令和などと言われても一瞬戸惑いを感じ、「何のこと」、と思案した上で、「あぁ、そうだ、今は令和の時代なんだ」。と気付きます。

 私の頭の中には、昭和と平成、令和の境はなく、同じ時代にしか感じません。然し、今生まれた人達には、昭和は相当に古い時代に思えるのかも知れません。

 

 そのことは、私が祖母を見たときに感じたことと同じかもしれません。祖母は明治37年生まれでした。祖母はいつでも着物を着ていて、夕方になると割烹着を着て、買い物袋を提げて、町の商店街に買い物に行っていました。朝早く起きて、七輪に火を起こし、炭を入れ、炭が燃えると、それを火鉢と、炬燵の中にある行火(あんか)に移していました。と、こう書いても何の話をしているのか、と思う人もあるでしょう。今電気でする仕事を、昭和30年代は、炭で行っていたのです。それは当時から見ても、古い家庭の仕事でした。生活の仕方を見ていると何もかもやり方が違いましたから、まるで別世界の人に見えました。

 私が20代になって、自動車を買って、そこに祖母を乗せると、「まぁ、おどろいた。自動車を買ったの。お金持ちなんだねぇ。あたしの孫が自動車を買うなんて」。と言い、実際に乗ると、「どうして自動車が運転できるの。よくこんな機械を使いこなせるよねぇ」。と始終驚いていました。そしてそのことを隣近所に自慢していました。

 いくら昭和の時代でも、自家用車を持っている人は普通にいましたし、運転する人はたくさんいたのです。それを孫が自家用車を持っていることを自慢する祖母が恥ずかしく、「頼むから、表で言わないでくれ」。と言っても聞きません。

 祖母の子供時代に近所に自動車を持っている人なんて一人としていなかったでしょう。ましてや普通に車を乗り回している人なんて見たこともなかったのです。自動車を持つこと、イコールお金持ちだったのです。その思いのまま数十年が過ぎて、私を見るに至ったのです。

 

 私が夏目漱石の単行本などを呼んでいると、「どうしてそんなに漢字の多い本が読めるんだい?」と不思議そうに見ていました。その言葉から想像するに、祖母は、日ごろ新聞を読むのにも、文字を拾い読みしていたのでしょう。難しい漢字は飛ばし読みしていたのです。漢字を飛ばし読みしていては、日々の新聞の内容はよくわからなかったでしょう。

 漢字だけではありません。アルファベットも無論わからなかったと思います。英語で書かれていたものは一文字も理解できなかったはずです。私が話す、サスペンションも、パワーステアリングも、ツインカムエンジンも、私が発する言葉は、祖母の耳にはお経にしか聞こえなかったはずです。それを聞いて、ただただ「すごいねぇ、お前は学者になれるよ」。と言って驚いていました。

 19世紀の末に生まれた人と、20世紀の半ばに生まれた人とでは明らかに、大きなギャップがあったのです。

 

 と、そのことは重々認めた上で、それでも今の時代と、昭和の時代にそれほどのいさがあるとは考えられないのです。

 それでも、例えばコンピューターの進歩やスマホの進歩に私は追いつけません。何しろ、私がSAMジャパンを創設(1992年)したときに、私はまだワープロで原稿や、手紙を書いていたのですから、ワープロからパソコンに発展するのはさほど苦も無く理解できましたが、それから、パソコンがどんどん発展して行って、youtubeなどが出来て来ると、もう理解が及びません。弟子や、若い人の話がだんだん分からなくなります。

 先日中国人の若いマジシャンが訪ねて来た時にも、彼は日本語が話せず、英語も話せませんでした。然し、彼はスマホを持っていて、いちいち会話をするたびにスマホが翻訳をして、内容を理解していました。その訳がほぼ正解と思われましたので、会話に不便なことはありませんでした。

 これは便利です。どうしてこんなことができるのか、全く不思議でした。然し、今の若いマジシャンは難なくこうしたメカを駆使します。そうです、かつて私が、祖母に凄い凄いと言われていたのと同じことを、今私は若いマジシャンを見て凄いと思うのです。

 弟子の大成は、難なく公演のチラシを作ります。かつてなら印刷屋さんや、デザイン屋さんを頼まなければできなかったことが、今ではパソコン一台でできてしまいます。だからと言って、私がそれをすることは出来ません。私はただできたものを見て、「すごい」。と言っているだけです。

 昔、祖母を見て、明治の人は別の世界の人だと思ったことが、今は若いマジシャンが私を見て、別の世界の人だと思っているのでしょうか。「いや、同じ時代の人だ」。と言ってもきっと、彼らは私を仲間に入れようとはしないでしょう。やはり時代は進んで隔たりが出来てしまったのです。致し方なしと思うほかありません。

続く