手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ウクライナのマジシャン

ウクライナのマジシャン

 

 ウクライナにもマジシャンがいます。ミスターボイトコとか、ボローニンとか。個性的で、優秀なマジシャンです。実際私も彼らと一緒の舞台に立ったことがあります。恐らく彼らは今、ドイツやフランスなどに行って活動していることと思います。

 それでも家族や親戚はウクライナで生活しているのでしょう。自身はドイツにいて戦火に合うことはなくても、家族を思えば気が気ではないでしょう。昔からの思い出深い町並みが、毎日ミサイルで破壊されるのをニュースなどで見るのは嘆かわしいことでしょう。

 毎日学校に通った道、友達の家、遊び場の風景、川で遊んだ記憶、村の祭り、マーチングバンド、その時その時は何でもない風景だったものが、空襲で破壊され、一瞬で消え去ってしまいます。

 建物も、仲間も、もう二度と戻らないと知ったとき、自身がかつて体験した社会は全てが芝居の書き割りのように、何一つ確たるものなどなく、目に見えていたものは実はバーチャルの世界だったと知って、虚無感を覚えるのではないかと思います。

 

 ボイトコさんとは20年近く前にドイツのマジックハンドのコンベンションで会っています。この時、どういう経緯かは知りませんが、私がボイトコさんの出演の時に司会を頼まれました。

 英語もドイツ語も満足に話せない私になぜ司会なのか、見当もつきません。然し頼まれた以上はなんとか面白く司会をしようと、それからは、ドイツ語と英語の原稿を書き、ドイツ人にも、アメリカ人にもアドバイスをもらいながら、何とか原稿を仕上げました。

 そして舞台上で、着物と袴姿で、ドイツ語、英語の原稿を読み上げました。私はドイツ語の癖を思いっきり強調して、アクセントを強めて喋りました。これは思いのほか好評で、場内爆笑でした。

 次に英語ですが、英語はまともに素直に話しましたが、お終いに、「ウクライナ」と発音するところを、英語では「ユークライナ」と言います。ウクライナのUを、youと発音します。このユークライナの発音が面白いため、舞台の上で、ユゥを思いっきり長く発音して、「フロム、ユゥーーーク ライナ」と発音したら爆笑されました。この「ユゥーーークライナ」がよほど面白かったのか、その後、ロビーでみんながユゥーーークライナを真似て笑っていました。

 笑いのセンスなどと言うものは理屈では説明できません。然し、英語もドイツ語も知らない私でも、面白そうだと狙いを定めて、イントネーションを誇張したならそれは面白い話に仕上がるのです。そのユゥーーークライナが今、惨状を繰り返しているのは心が痛みます。

 ボイトコの演技は独自の世界を持っています。リンキングリングなどでも、超スローなアクトで、かなり個性的にリングのつなげ外しが演じられます。前衛的でありながら、その手法がどこかクラシカルに感じます。これがウクライナやロシアでは受ける芸なのか、と半ば納得しました。

 

 ボローニンは1993年のSAMジャパンの一回目の大会にゲスト出演してもらっています。超スローなアクトで、すっとぼけた顔をしてコメディマジックを演じます。彼のファンは多く、独自のアクトで人気があります。

 板橋文化会館の玄関には、参加したマジシャンの国旗が12本並んでいました。その中でも台湾の青天白日旗の国旗を飾ったときには、台湾のワンちゃんから涙を流して感謝されました。然しすぐに中国のマジシャンから、青天白日旗を降ろしてほしいと抗議されました。

「台湾などと言う国はない。中国は一つだ、あの旗は降ろしてくれ」。

 無論私は断りました。「ここは日本です。日本人が何しようが、中国人の指図は受けません」。私の発言に、ワンちゃんは私に握手をして喜びを伝えようとしました。

 ついでに、ベトナムのドクターニュエンにも、今は無くなってしまった、南ベトナムの国旗を掲げました。それはニュエン自身の希望でした。現在アメリカで医師をしているニュエンには、かつての南ベトナムの栄光は忘れられないのです。

 板橋区ではもう二度と掲げることのないであろう国旗です。然し、旗を見て、ニュエンからは何度も何度も私に感謝しました。「あの国旗を掲げてもらっただけでも、日本に来た価値があった」。と言いました。

 同様に。ボローニンです。ボローニンは、自国の青と黄色の旗を持参してきました。独立後間もないウクライナの国旗です。無論それも掲げました。ボロ-ニンは大喜びでした。

 日本人からしてみたら、旗一つのことで涙を流すなんて大げさだと思うかもしれません。然し、台湾にしろ、ウクライナにしろ、大国に対抗して自国を維持していることそのものが栄光なのです。我々が彼らの存在を認め、敬意を表するには、最低でも国旗を飾ることです。ここから互いの理解は深まって行くのです。

 ましてや、南ベトナムです。もうすでに無くなってしまった国家ですが、そこに生まれ育った人たちからすれば、祖国は消え去ったわけではなく、心の奥にしまい込まれています。何かあれば彼らはいつでも祖国を思い出すのです。私は大したことは出来ませんが、せめてそうした彼らの思いに寄り添ってあげたいと思います。

 ボローニンとは、その後2000年のFISMリスボンに出演した際に再会を果たし、一緒に食事をしています。ヨーロッパは遠く、そうしょっちゅう出掛けることは出来ませんが、良い思い出がたくさんあります。

 ウクライナの侵攻を思うにつけ、彼らの心の奥にある祖国愛を思い出します。ちなみに、ウクライナの国旗は、上が青、下が黄色です。広い青空と、果てしなく続く小麦畑、これが彼らの自慢です。ここに戦車を持ち込むようなことはしないでほしい。何とか無謀な行為をやめてほしいと願います。

 

玉ひで公演の終わり、

 4月16日、5月21日の二回で玉ひで公演は終わります。もう、親子丼を食べながらの手妻公演は見られません。どうぞ、ご参加を希望されている方はお早めにお申し込みください。