手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

カレリア

カレリア

 

 ロシアのウクライナ侵攻は、いよいよ攻めあぐねてしまい、武器も足らず、兵志も足らず、現状維持がやっとの状況で春を迎えました。厳しい寒さは和らいできたようですが、春になると、凍っていた平原がぬかるみに変わり、とても徒歩で攻めて行くことも、車を出すことも出来ず、戦車も、大型戦車はぬかるみに埋まってしまい、身動きが出来なくなってしまうため、戦える場所が限られています。

 この事はウクライナ軍も同様で、春だからと、おいそれと大きな奪還作戦は出来そうにありません。飽くまで部分的な戦いに限られます。どうやら本格的な作戦は初夏まで持ち越しになりそうです。

 

 それにしても、一週間でウクライナ全土を占領できると豪語していたプーチンさんは、とんでもない誤算をしたことになります。

 当初、ロシアは、ウクライナ国境に30万人の兵士と戦車を並べたなら、ウクライナは戦う前に敗北を認め、ロシアに併合されるだろうと読んでいました。同様に、NATO各国も、結局ウクライナはロシアに勝てないのだから、ウクライナへの支援は意味がない。と考えられていました。

 然し、ウクライナは国民を総動員して、全面戦争を始めたのです。ロシアは予想外のウクライナの反攻に慌てます。30万人の兵士は、せいぜい一か月ほどの食料しか用意がなかったため、たちまち大混乱に至ります。弾も、兵器も不足をしてきます。こんなはずではなかったと言う、誤算の連続を繰り返します。

 ロシアが意外にも脆弱だと知ると、NATO内の、ポーランドや、チェコ、フランス、イギリスと言った国々はウクライナを積極支援するようになります。彼らにはかつて冷戦時代にプラハを占領された記憶がありますから、ウクライナがやられたら次はポーランドであり、チェコだとは容易に察しがつきます。ウクライナが、ポーランドチェコに代わって戦ってくれるなら、戦車や榴弾砲の協力など安いものです。

 結局、ロシアの初手のミスが響いて、戦争は一年半近くに及ぶこととなりました。然し、このことは全く予想できなかったことでしょうか。

 

 いや、実は84年前に第二次世界大戦勃発の際に、ドイツとソ連(ロシアは当時ソヴィエト連邦)、がポーランドの分割をした時に、こんなに簡単にヨーロッパの国が手に入るならば、ドイツが西部戦線で戦っているうちに取れるだけ取っておこうと考えたソ連が、フィンランドを侵攻しました。1939年のことです。

 この時の戦いがまさに今回の、ウクライナ侵攻と酷似しています。ソ連軍はフィンランドに45万人もの兵士を送り、2300両の戦車を並べ、700機もの航空機を配備して、総攻撃をかけました。

 フィンランドにすれば全く寝耳に水の話です。ソ連と戦う理由など全くなかったのです。然し、フィンランドは降伏するどころか、直ちに国民に呼びかけ国民総動員で迎え撃ちます。但し、フィンランドには戦車は十数両しかなく、飛行機も100余機しかなかったのです。常識で考えたなら一週間も持たないと思われました。

 然し、国民が立ち上がりました。国民だけでなく、世界で活動するフィンランド人までもが国内に帰国して、一兵士として戦ったのです。フィンランド軍は19万人を組織しましたが、武器の不足から、大きな戦いは出来ません。ゲリラ戦を駆使し、森や、村に潜んでロシア軍を迎え撃ちます。

 冬の戦いに慣れたフィンランド軍は、スキーを使って移動したり、橇(そり)で物資を運ぶなど、一見時代遅れな戦術でしたが、結果、ソ連の戦車が余りの寒さで燃料が凍結したり、機械部品が動かなくなったりして、立ち往生する様を見て、こまめに銃撃戦を仕掛けて、徐々にソ連軍を囲い込み勝利します。

 まさかまさかの戦いで大敗北を喫し、ソ連は翌年和平協定を結びます。ところが、この時、ソ連の力づくの交渉で、フィンランドの南部、カレリア地方を割譲されてしまいます。カレリア地方と言うのは、フィンランドが誕生した祖先の地で、フィンランドとは切っても切れない土地なのですが、圧倒的な戦力の前にはフィンランドは沈黙をせざるを得ず、これを認めます。

 しかし翌年、フィンランドは今度はナチスドイツと協定を結び、ドイツがレニングラードを攻めている隙に、カレリア奪還を図ります。この作戦は功を奏して戦いはフィンランドに有利に進みますが、この後、肝心のドイツが敗北してしまい。ドイツと同盟を組んだフィンランドは戦後、国際的に立場が悪くなり、結果、カレリア地方はソ連に返還されることになります。フィンランドは戦いに勝って勝負に負けたのでした。

 然し、ソ連と最も長い国境を接する国のフィンランドが、ソ連と互角に戦い勝利したことは特筆すべきことです。

 

 さて、そのことをロシアは記憶していたのかいなかったのか、上記の戦いの、フィンランドウクライナと書き換えて、カレリアをクリミア半島に置き換えたなら、全く今回の戦いはフィンランドの冬の戦争と同じことになります。

 フィンランドは不幸にもカレリア地方を手放さなければならなかったのですが、同様に、ウクライナが、クリミア半島を手放すことでロシアと休戦協定が結べるとしたなら、この戦いの結末は年内にもまとまるのではないかと思います。

 今回のウクライナ侵攻の影で、フィンランドNATOへ加盟することが決まりました。ロシアにすれば、これで新たに一国がヨーロッパ側に行ってしまったことになります。ロシアの国際的な立場は悪くなるばかりです。如何にウクライナで戦力を誇示しても、結果、一国一国とロシアから離れて行ってしまっては、ロシアは世界から孤立して行くばかりです。それはプーチンさんが望んだロシアの姿なのでしょうか。

 

 フィンランドの作曲家、シベリウスの作品でカレリア組曲と言う小品があります。聴きやすい曲ですし、演奏回数もかなり多い曲です。カレリアの農村風景をほうふつとさせる曲で、3曲目の行進曲などは、エルガーや、ヨハンシュトラウスのような堂々とした行進曲ではなく、全く農村の青年団が数人で楽し気に演奏しているのを、近所の子供たちがスキップして後ろを付いてきているような、素朴で、小さな喜びを感じさせる曲です。

 でも、私は数々あるクラシック音楽の中でこの曲が一番好きです。何とも内省的で、それでいてフィンランドに住んでいることに誇りを持っていて、ささやかな村祭りを楽しんでいる姿がとても美しく感じます。ロシアはどうしてこんなに謙虚な国民の、慎み深い楽しみを戦争で破壊するのでしょうか。

続く