手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

お幾つになりました?

お幾つになりました?

 

 私の家の近所が建築ラッシュだと言う話をしましたが、私の家から環7通りに出て、中央線のガードの手前の敷地に、老人ホームと、保育施設の二つを建設している、大きな建設現場があります。

 老人ホームの方は昨年完成しましたが、保育施設はまだ半分も出来ていません。どちらも大きな建物で、この2年ずっと建設していました。

 毎日そこを通って駅まで行きます。工事現場の大きなトラックの搬入口に警備員さんがいます。警備員さんは、通る人に一人一人、「ご迷惑をおかけします」。と声をかけます。私も、「寒いですね」。とか「暑いですね」。と声をかけます。

 こうしたことが2年も続くと、すっかり顔なじみになります。今年は寒い日が続きましたので、外で一日立ち続ける仕事はさぞや厳しいだろうと思います。警備員さんは、体形は細身で、背丈は私より少し低い位。眼鏡をかけていて、顔は面長、真面目そうな人です。さてこの人はどんな人生を送って今に至ったのでしょうか。

 年齢は幾つくらいでしょうか。私と同じか、もう少し上くらいでしょうか。常識的に見て、企業を定年退職して、再就職で警備会社に勤めたように見えます。それにしても、私と同年齢で一日中環7通りに立ち続けるのは体に堪えるでしょう。

 この前の寒い日に挨拶すると、「いや今日は特に冷えます」。と言っていました。「でも、毎日働いていて丈夫そうですねぇ」。と言うと、「いえ、足腰が痛みます」。確かに長時間立ち続けていては足腰が痛むのは当然でしょう。そこで、「お幾つになられました」。と尋ねると、「62です」、と言います。

 同い年か少し上くらいに見ていましたが、私よりも5つも若かったのです。「私よりも5つもお若いんですねぇ。まぁ、若ければ寒くないと言うものではないですが、ご苦労様です」。

 十代、二十代の頃は5歳も年が違えば顔つきがはっきり違いますが、五十代を過ぎると、それまでの仕事の仕方や、人生体験で全く顔つきが違います。それによって見た目もそれぞれ違いが出ます。

 同い年でも、サラリーマンを長年務め、上役に気を使い、後輩に気を使い、取引先に気を使いしているうちに皴も増え、我々芸人よりもよほど更けて見えてしまうのはやむを得ないことかも知れません。

 私は子供のころから決して若く見られることはなかったですが、五十代あたりから見た目と年齢が一致するようになりました。ところが、六十を境に髪の毛を染めることをやめ、白髪にしてから見た目に変化が出ました。

 元々三十代から白髪が多かったので、早くから染めていました。それがなぜ白髪染めをやめたのかと言うと、髪の毛が薄くなってきたからです。

 髪の毛が薄くなって、毛を黒く染めると、地肌が目立ちます。白いままだと地肌は隠れ、しかも毛が多く見えます。薄はげがいいか、白髪頭がいいかと思い悩んだ末、白髪を選びました。

 「頭が白くなったらさぞや年寄りに見られるだろうなぁ」。と思っていましたが、予想に反して人の判断では年齢通りか、むしろ若く言われることの方が多いのです。私は顔の肌に皴が少ないため、そんな風に見えるのかも知れません。

 いや、余りストレスをためないために、苦労が顔に出ないのかも知れません。もしそうだとしたなら、好きな道を続けてきたお陰です。マジックに感謝しなければいけません。

 誰に気を遣うわけでもなく、やりたいことをやり続けて来れたことは幸いでした。そしていまだに私の手妻を名指しで電話をして下さるお客様がいらっしゃるのは有り難いことだと思います。

 

 さて、奇術界で頭の白いマジシャンと言うのは日本では見かけません。アメリカではハリーブラックストーンの白髪は有名でした。ダイヴァーノンも当然白髪でした。

 私は白髪の手妻師は悪くないと思います。真っ白な頭で、黒紋付を着て、白い蝶を飛ばしたらいい雰囲気だろうなぁ、と、若いころから思っていました。

 一月のマジックセッションでは、紺の熨斗目(のしめ=着物の真ん中、それに袖の下半分に柄の入った衣装。昔の正装の着物)の衣装で蝶を飛ばしました。後でビデオを見て、「あぁ、これこれ、こんな姿で蝶を飛ばすことが夢だったんだ」。と、一人納得をしました。

 着物と白髪だけでなく、表情も、雰囲気も、そっくり百五十年前の世界にタイムスリップしたかのような芸能になったなら私にとっては成功なのです。

 この、表情や雰囲気は、いくら教えてもアマチュアさんや弟子では真似できません。そもそも私が表情に気を使っていること自体多くの人は気付いてはいません。マジックは初心者の内は、ただ人より不思議なイフェクトを手に入れればそれで生きて行けると考えがちです。然し、現実には、お客様がマジシャンを指名してくださるのは不思議でも作品でもないのです。

 例えば、私が蝶を演じる時に一瞬、天をにらんだ表情とか、落ちた蝶を見つめる眼差しとか、或いは、サムタイや、お椀と玉で何気に語る話し方に、ひょっとお客様が嵌ってしまうことがあるのです。

 それは実は私の仕込んだ世界なのです。一旦私が仕掛けている世界に気が付いて、その面白さを知ったときに、お客様は私のご贔屓になってしまうのです。なぜなら私でしかそれを表現し得ないからです。

 「あそこのあれが何とも独特で面白い」、と知ったら、何度も私の公演にやって来て、何度も同じところを見て楽しんでくださいます。それがご贔屓様なのです。

 ご贔屓様にとっては、マジックの不思議などどうでもいいのです。私の語る世界こそがお目当てなのです。そうしたものをいくつも見つけ出したからこそ、この年に至るまでお客様が来て下さり、仕事が成り立つのです。

 思えば芸能とは奇妙な商売です。ありもしない、得体のしれない世界を見せて生きているのですから。真面目に生きている人達には想像もできない世界だと思います。そんなことで生活をしている私が、今日も、警備のおじさんに、「寒いのにご苦労様ですねぇ」、とねぎらいの言葉をかけます。虚に生きる者と、実に生きる人との接点がそこにあります。私よりも苦労して生きてきた警備のおじさんが愛想よく笑って答えてくれます。寒いと言っても互いが感じる寒さは相当に違うでしょうに。

続く