手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ワクチン3回目

ワクチン3回目

 

 昨日は午前中にワクチン注射を打ってもらいに阿佐ヶ谷に行ってきました。朝10時、駅にほど近い区役所の施設に行くと外には学生バイト風の若い人が5人。中に5人、建物の一階と三階で同時にワクチン接種をするそうで、私は三階に行きます。それぞれの部屋に保健所の関係者か、看護師さんが数人、先生が2人、一階も同じでしょうから、何のかんのと30人くらいが働いています。

 待合室で待つこと10分、今回は65歳以上の高齢者が対象ですから、座っている人たちは高齢者ばかりです。まぁ、私もその一人なのですが、予定時間に問診があり、すぐに注射。その後15分休憩して、様子を見ます。私は合計3回注射をしましたが、痛くもなく、副作用もありませんでした。

 今回も全く同様でした。私にとってワクチン注射は相性がいいのでしょう。家に戻っても何の痛みも腫れもありません。これまで2年半、私は全くコロナに感染することなく、無事に過ごしてきました。

 頻繁に電車にも乗り、地方都市にも行き、繁華街を歩き回って、あちこち飲食もしました。然し、私と家族は全くコロナに罹りません。幸いと言えば幸いです。

 私が二年半前から言っているように、コロナはそんなに大騒ぎする感染病ではないと思います。

 私の仲間も全く感染しませんし、影響もありません。唯一カズカタヤマさんが感染したのはご当人にとって不幸でした。

 カズさんは文化庁の支援金には外れましたが、コロナには当たりました。でも大丈夫です、これで免疫が出来ましたから、もうコロナには罹らないでしょう。次年度の文化庁の支援金はきっとうまく行くでしょう。

 つまり、私の仲間ではカズさん以外は先ず感染者がありません。無論亡くなった人もありません。

 

 このところ、お笑いタレントや、俳優が感染した情報をしきりにマスコミは流していますが、あれは一体何の意味があるのでしょうか。彼らが人より感染する確率が高いのは、ある意味当然なのです。

 常に人ごみの中で仕事をしているからですし、スタジオと言う限られたスペースの中でたくさんの人が長時間仕事をするからでしょう。

 しかも、タレントは仕事がハードで、一日3時間、4時間の睡眠でがむしゃらに働いている人がいくらもいます。疲労、睡眠不足、密閉された室内、人混み、これで感染しないのはおかしいくらいです。それを捉えて、「誰が感染した」と、逐一情報を流すことに何の意味があるのでしょうか。

 罹った人はお気の毒ですが、こんな情報を流し続けることの意味が分かりません。

 

 コロナはもう先が見えてきたと思います。塩野義の飲み薬もまもなく出るでしょう。そうなればオミクロンもコロナも収束に向かうはずです。

 さてその時に国も地方自治体も先のことを考えておかなければいけません。散々借金してオミクロンに金を使い、オミクロンが終息したら、今度は、倒産しかけている鉄道、飛行機会社の救済をしなければいけません。

 何より、いったん出不精になった日本人を遊びに、仕事に、引っ張り出さなければいけません。実はそれが簡単ではありません。これから人をどう働かせるか、どんな仕事がこの先重要になって行くか、早くにプランを作って動き出さなければなりません。

 また大学の活動なども復旧させないければなりません。大学に入学しても大学の生活を知らない学生がたくさん育ってしまいました。こんなことでこの先世の中がうまく回って行くはずはないのです。マイナス部分をどう補うのか、国や地方公共団体が、大きなプランを掲げて、人を動かして行かないとこの先うまく行かないことが続出します。

 

 高円寺に住んでいながら、なかなか阿佐ヶ谷には行きません。せっかくここまで来たのですから、阿佐ヶ谷のアーケードを歩いてみます。

 ここのアーケードは都内でも珍しく賑わっています。細い道ですが、道の細さが歩いていて落ち着きを感じます。大体日本の繁華街と言うのは昔から細い道だったのです車を通そうとして道を広げた結果、左右の商店が遮断されてしまいました。元は、人が二人通るのがやっとの場所ばかりだったのです。

 それは、香港でも台北でも同じで、狭い道で賑わっているところを歩くのは楽しみです。阿佐ヶ谷も同様で、道が狭くて、自動車が入ってこないのが成功しています。朝から晩まで人通りが絶えません。

 はんぺんや、コロッケを作って販売している総菜屋さんがあるかと思えば、たい焼き、たこ焼きもあり、せんべい、和菓子の専門店もあります。昔ながらの洋品店雑貨屋、あらゆる店が並んでいます。距離は長く、地下鉄の南阿佐ヶ谷までずっと続いています。

 道の途中に作家のねじめ正一さんの奥さんがやっていた民芸品のお店があったのですが、数年前に閉店したようです。私のお椀と玉の手順でお終いに出す小型の御殿毬を売っていました。よく買いに行きましたが、もうお店は跡形もありません。

無くなってしまうと妙に寂しく思います。

 

 この商店街は、七夕祭りで有名です。仙台の七夕祭りを模して、この道に大きな飾り物を吊って道の隅から隅まで飾り付けます。この道の細さが祭りにちょうどよく、天井から吊った吹き流しが、人の顔をなぜるのが心地よいのです。

 高円寺の阿波踊りは動の祭りですが、阿佐ヶ谷の七夕は静の祭りと言えるでしょう。どちらも人気の祭りです。久々、阿佐ヶ谷を歩き、帰りにたい焼きを二つ、せんべいを一袋買いました。帰ったら3時のおやつに弟子と食べます。

続く