手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

道具の出来

道具の出来

 

 昨日は幸いにも雪にならずに、お陰で外回りの仕事がはかどりました。朝に下谷にある井上先生の工房に伺い、双つ引き出しの蒔絵のデザインを打ち合わせしました。

 蒔絵師さんが新しい人になるため、余り凝ったデザインを求めずに、今私が使用している引き出しを見本に貸して、同じ蝶に牡丹の柄で作ってもらうことにしました。見本のままですので、きっと問題なく出来るでしょう。

 何とか今月中に引き出しができるそうなので、来月早々には、弟子や、生徒さんに引き出しの稽古が出来ます。

 井上先生も、「藤山さんが来てくれて、道具の注文をして下さると、意欲が湧いてきます」。と喜んでくれました。

 私は工房に出かけると、いつも少し雑談をします。私は常々、芸人の雑談はとても大事なことだと考えています。

 と言うのも、職人さんは仕事の大半を自宅の工房で過ごします。外に出て仕事をすることが少ないために、世間の流れに疎いところがあります。見知らぬ街をほっつき歩いて面白そうな話題を探す、なんていうことをしないのです。

 そのため、私が、日々感じたこと、街で見たこと、思うことを会うたびに話します。職人さんは私が出かけて行って、雑談することを愉しみにしていて熱心に私の話を聞こうとします。

 こうした話の中から、何か新しい発想や、世の中の流れを感じ取ることが出来れば、作品に生かすことも出来るでしょう。

 お客様と芸人、或いは、職人と芸人は花と蝶のような関係なのだと私は考えています。自らは一か所に留まって動かずに花を咲かせる職人と、あちこち動いて蜜を集める蝶、蝶は蜜を集めるお礼に、花に世間話をささやくのです。広く自由に動くことのできない、お客様や職人の目となり耳となって、珍しい情報を提供するのが私たちの仕事です。

 昔から芸人の寄る家は栄えると言います。芸人が寄るから栄えるのか、栄えている家だから芸人が寄るのかはわかりませんが、いろいろな人が寄って、開放的な家には情報も多く集まります。それだけ自由な発想が出来るようになり、稼業も栄えるのだと思います。

 自分が仕事を始めるとわかりますが、一つの職業に就くと、連日、同業者とばかり顔を合わせます。他の情報が全く入ってこなくなるのです。自然と視野は狭くなります。無論、今の時代はネットがありますから、ネットの情報は集まりますが、実はネットの情報と言うものが曲者です。

 それは例えて言うなら、マジックを直接名人から習うのと、DVDのビデオを見て覚えることの違いとよく似ています。ネットは一見、広く多くのことが学べるように見えて、実はある一方的な情報が狭く伝わります。

 ネットに興味を持つことはいいことですが、直接人と話をすることの大切さを犠牲にしてはいけません。人と話をして、質問したり、相手の反応を見て自分で判断することはとても大切なことなのです。たとえ芸人の話でも直接話を聞くことはとても有意義なのです。

 

 さて、私自身も、仕事が動いて来ると、何となく希望が湧いてきます。コロナの影響で、世の中何もかも動かずに、みんなが閉じこもっていると、悪い方向ばかりを考えがちになります。こんな時こそ私の方から新たな喜びを皆さんに提示できるように、明るい楽しい話題を皆さんに提供しなければいけないのでしょう。

 

 下谷の後は、元浅草の稲辺さんの工房に行きます。こっちはテーブルの仕上がりを見に行きます。早速テーブルを組んで、持参した金襴のテーブルクロスをかけて見ます。

 ここでも世間話をしながら、テーブルクロスを出して、木工のテーブルにクロスをかけて見ます。職人は自分の作品が全く違ったものに変身するために喜んでくれます。いい出来です。

 三脚の時とは違って、安定感が違います。黒漆に似せたつやのある塗料を塗った天板が思っていた以上に美しく、天板を覆った黒のビロードも高級感が出ています。

 但し、天板のビロードを渋いワインレッドにしてもいいかなぁ、と思いました。黒と赤の取り合わせは、12本リングのテーブルの時も成功しています。

 洋風のテーブルならそれもいいのですが、和の金襴と合わせたときにどうかな、天板だけ浮かないかな、と悩んでいましたが、案外いけるかもしれません。そこで、すぐにビロード屋さんに行き、ワインレッドのビロードを買い求め稲葉さんのところに戻りました。

 ここでワインレッドの天板のビロードと金襴のクロスを併せると、結構いい具合にまとまります。「そうなら、赤5台黒5台作ってみましょう」。と言うふうに話しました。「取り合えず、ビロードを赤黒一台ずつ張って見て下さい。もう一度夕方来ますから」。

 そう言って私は、本駒込にある日本舞踊の稽古場に行きました。途中本郷で食事をして、舞踊の稽古です。

 舞踊を終えてから浅草に戻り、幾つか買い物をしました。この時、私の自動車に不具合があることに気付きます。今まで運転して3年間、全くおかしなことがなかったのですが、初めて動作が鈍く、トラブルの発生を感じました。明らかに不調です。何とか今日一日乗り通せたらいいがと思い、そろりそろりと運転します。

 

 買い物を済ませ、また稲辺さんのところに行きます。既にビロードの赤、黒が天板に貼ってあります。さて、どちらがいいか、これは判断に迷います。とにかく両方持って帰り、生徒さんの判断に任せることにしました。

 そして、車を運転して帰るのですが、エンジン音が大きくなり、かなり調子が悪くなりました。昨年の秋に車検に出して、それほど乗っていないのに、この状況は不可解です、明日になったら修理工場に出します。あまり過大な修理費にならないことを祈るばかりです。

 

 と言うわけで、思った以上に高級感のあるテーブルが出来ましたので満足しています。私自身がこの先、そうそうは新作のテーブルを作ることはないでしょう。今回のテーブルが私にとっての完成形になると思います。

 私がテーブルにこだわる理由は、テーブルと言うものは、舞台が開いたときに、演者が出るよりも前にお客様にショウ全体の雰囲気を提示することになるため、極めて重要な舞台道具になります。つまり演技のファーストインプレッションはマジシャンの出ではなく、マジシャンの掴みの演技でもなく、テーブルで決まってしまうのです。

 大体、マジシャンのテーブルを見ると、マジシャンがいくら稼いでいるかが分かります。いや、稼ぐと言うよりも、マジシャンがマジックをどれだけ大切にしているかがテーブルを見ただけで分かります。

 プラスチックのワゴンに布切れを巻いただけのテーブルで間に合わせる人は、その程度の演技しかしません。巧くも、大きくも成れません。マジックが本業でなくても、趣味であっても本気に向かい合っているかどうかは道具を見ればわかります。

 好きで始めたマジックならば、本気になって下さい。愛する子供を育てるような気持で目いっぱい愛情を注いだ舞台を作って下さい。マジシャンがマジックを軽んじて、貧相な舞台をする姿を見るときほど悲しいことはないのです。

続く