手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

不登校少年 1

不登校少年 1

 長く一つ仕事を続けていると、いろいろな弟子志望者がやって来ます。弟子と言うのは誰でもなれるものではありません。先ず、マジック或いは手妻がうまくこなせる才能が必要です。

 次に、普通にデスクワークや、運転が出来なければいけません。電話の応対、手紙を書く、見積書を作る。こうしたことが出来なければマジシャンとして務まらないのです。

 そしてお客様に愛される性格でなければ務まりません。

 今まで多くの弟子が長く務まらなかったのは、マジックの才能がなかったからではなく、普通にデスクワークや打ち合わせのできない人たちだったからなのです。

 それどころか、朝時間通りに来ない。朝の稽古に間に合わない。仕事で飛行場で待ち合わせをしても来ない。等々、基本的にだらしがない人ばかりだったのです。

 普通の会社なら勤まらない人たちです。然し、芸能の世界は、そんな欠点を持った人たちばかりです。あれも駄目、これも駄目と言っては誰も残りません。私は、何かに打ち込んで、一つことが飛び抜けている人なら、少々だらしなくても、何とか許してやろうと考えていました。

 

 H君は大樹の紹介でやって来ました。その頃大樹は、私の元を卒業したばかりで、とても人を育てることなどできません。「手妻をやりたいと言う高校生がいるんですが、一度会ってやってくれませんか」。

 言われて新宿の喫茶店で会うと、ごくどこにでもいるような普通の高校生です。顏に愛嬌があります。体が小柄なため、同級生にはいじめられていたのかも知れません。どこかおどおどしています。

 年齢が未成年であること。免許を持っていないこと。学校も通信教育を受けいて、普通高校に行っていないこと。マジックはほとんど経験がないこと。話方もおとなしく、自分から積極的に話をしないこと。何から何までマイナス点ばかりでした。

 然し、話の中で歌舞伎や、落語、邦楽など、和の伝統芸には、興味があるらしく、鼓の音が素晴らしいとか、三味線が面白そうだとか、まだ実際に見たり習ったりはしていないものの、テレビなどで聴いて興味を持っているようでした。

 「そうなら、私の家には毎週鼓の先生が来るから、試しに授業を受けて見るか」。と言うと目を輝かせて喜んでいました。地味で目立たない少年が、初めて心の底から喜んでいる姿を見ました。

 翌週、お師匠さんが来て鼓を稽古しているところを見せ、試しに「ちょっとやってみるか」。と言うと喜んで稽古を受けました。実際にやらせてみると、なかなか筋が良く、すぐに鼓が鳴るようになります。私が始めた時よりもずっと覚えがいいのです。

 するとお師匠さんは、「それじやぁ、毎週教えてあげましょう」。と言いました。私は少しためらいました。なぜなら彼は無収入なのです。学校も務まらず、アルバイトも行く先々で失敗をして、長く務まらないのです。

 私のところへ来るのもどうやって来ているのかは知りませんが、交通費もままならない状態です。それで月謝が払えるわけはありません。お師匠さんに、「彼に稽古をさせるのは無理です。彼は支払う能力がありません」。と言うと、

 お師匠さんは、「いいですよ、出世払いで」、「いや、いくら出世払いと言ってもまだ何も形のできていない高校生に、そこまで面倒見ては何か間違いが起こったときにどうにもなりません」。然し、なし崩しにH君は鼓の生徒になってしまいました。

 そして彼は毎週欠かさずに私のところに稽古にやって来ます。無論鼓の稽古もします。そして、舞台の仕事があると一緒に出掛けて裏の手伝いをします。何でも熱心によくやるのですが、うまく行かなかったり、ミスを犯すと、どこかに隠れてしまいます。私が探すと部屋の隅にうずくまっています。

「そんなところに隠れていてもどうにもならないよ。間違いは間違いで仕方ないから、素直に間違っていたと私に言わなければだめだ」。こんな姿を見ると、彼が今までどうやって生きていたのかが良くわかります。また、コンビニなどでバイトをしても長く続かなかった理由もわかります。

 私は、彼に舞台の仕事を手伝うたびになにがしかの小遣いをやっていました。それが彼にとっての交通費だったのでしょう。彼にとっては私のところにいれば、マジックを習えて、鼓が出来て、食事をもらえて、時に小遣いまでもらえるので、まことに天国だったのでしょう。

 猿ヶ京の合宿などに連れて行くと、今まで親にどこかに連れて行ってもらったことがなかったらしく、知らない土地で共同生活をすることを素直に喜んでいました。

 車の中で助手席に座って、車窓から景色を眺めながら目を輝かせ、「こんなことをしてもらったのは初めてです」。と素直に言っています。温泉に入れたことも幸せだったようです。

 彼の両親は、彼を生むと育児放棄をして、祖母に彼を預けてしまいます。祖母は仕事もリタイヤして年金暮らしですので、自分自身が生活するのがやっとです。H君に渡す小遣いなどはないのです。

 H君はバイトも務まらずに無収入ですから、祖母に頼み込んでもらうわずかな小遣いだけが頼りです。これではいつか破綻することは見えています。

 私が一度H君のお婆さんに電話をすると、「まぁ、先生ですか、うちのHがお世話になっています。日頃は全く話をしない子なのですが、先生のところから帰ってくると、Hは人が変わったように楽しそうにその日にあったことを話します。先生はお父さんのような人だと言っています。私も孫の喜ぶ顔を見ると、生きる張り合いが出来ました。ありがとうございます」。

 そう言われると悪い気はしませんが、しかし、私のしていることは慈善事業ではありません。舞台を手伝わせるのも、彼が舞台人として成功するために使っているのです。

 然し、相変わらず彼は私が少し難しい仕事を頼むと、どこかに隠れてしまいますし、仕事の出来はせいぜい50%程度です。忘れ物も多く、段取りをすっぽかしたりはしょっちゅうです。ちょっと怒るとすぐにどこかに雲隠れします。

 「どうもこれではうまく行かないなぁ」。私は、人を育てることの難しさを痛感します。

続く